その百二十七 腹芸
明けて九月二十三日、三成は鳥居成次の陣屋より再び大津城へ戻された。
どかどかと足音を響かせて本多正信が家康のところへ駆け付けた。
「はあはあ ・・・・ 、上様、三成めが生きたまま戻されましてまいりましたぞ」
正信の嬉しそうな顔を見て家康は舌を鳴らした。
「鳥居の倅め、どういうつもりだ ・・・・ 」
今度は家康がどかどかと荒々しい足音を響かせて、目通りを許された鳥居成次が待つ本丸広間へ向かった。
家康が荒々しく床を踏み鳴らす音は広間の手前で次第におさまっていった。
気配を察した鳥居成次は平伏したまま家康を迎えた。
開口一番家康は、「成次、大儀であった」、とだけ声を掛けた。
顔を上げた成次は、「此度は敵将石田治部少めを某の如き者にお預けくださり有り難く存じ上げます。
上様のお心尽くしまことに以って痛み入りまするが、我が父彦右衛門は正々堂々の公戦にてその一命を差し出したもの。
治部少輔殿に対しては些かの遺恨もございませぬ」
家康はその心中とは裏腹に、「天晴れである成次。そのほうの申す処もっともなり。いよいよ大儀であった」、とだけ言い放ちその場を引き上げた。
神妙な面持ちで廊下で待ち受ける正信に、「これでよろしかろう ・・・・ 」、と言ってぷいっとした。
「上出来でございまする」
「ふんっ、天下人とならんとするはなんと窮屈なものよ。思ったことも言えず、怒り散らすことも叶わぬ」
「いましばらくの辛抱にございまする」
家康はでっぷりと太った腹をぴしゃりとたたいて自分自身を奮い立たせると、「さて、いよいよ大坂に乗り込むぞ正信」、と言ってやっと正信の方を見た。
「その前に三本木をお忘れなく」、正信が念を押すように言った。
「判っておる」
「されば三成めは一足先に堺、大坂で晒し者と致し、西国勢に圧力をかけておくといたしましょう ・・・・ 」
「其の方に任せる」
家康が三成に会うことはもう二度となかった ・・・・