その百二十三 今生の別れ
「もし叶うならば、この場をお借りして福島正則殿、浅野幸長殿に豊臣家の代表として某の謝罪をお聞き届けいただきたく存じまする」
正信が家康の方をみて指示を仰いだ。
正則と幸長の両名が同席してより、三成から徳川を糾弾する内容の発言は陰を潜めていた。
衛士の刃が効いたのか、それとも両名に類が及ぶのを三成が潔しとしなかったのか。
おそらく後者であろう。
謝罪したいというのを許さないのも不自然である。
家康は無言で頷いて三成に発言を許した。
三成は正則、幸長らに向きなおし頭を垂れた。
「某が引き起こしし此度の騒乱の為に幾多の豊臣家に繋がる大名家がその命を、その職を失い、豊臣家に多大なる損失を被らせたること、まったく持って某の不徳の致す処にございまする。
如何なる罪状、仕置きを賜ろうともこの身でお引き受け申しまする。
ただ、ただ一つだけ心残りがあるといたさば、それは大公殿下より託されし秀頼様の今後でございまする。
いくつかの誤解があったようでございますが秀頼様はまごう事なき太閤殿下の御嫡流 ・・・・ 」
ここで三成の視線を感じた家康は不承不承頷いて見せた。
「ますますもって豊臣の要となられる筆頭大老の内府殿のお力にすがりして、これよりも秀頼様ならびに豊臣の治世が磐石となるよう御奉公くださいます様御願い奉る次第に御座います ・・・・ 」
「うむ、あっぱれな口上である」、家康がほっとして感想を述べた。
すかさず正信が、
「刻限で御座る。これにて石田治部少輔三成殿の詮議を終わる」
と、ぴしゃりと締めた。
それを受けた衛士達が腕を取って三成を立ち上がらせようとすると半ば立ち上がった三成ががくんと膝を突いた。
精も根も尽き果てたのである。
引きずられても文句の云えない立場の三成を衛士達は、両脇から支える様に抱えて退場を促した。
この小柄な男は只一人で徳川二百五十万石と渡り合ったのだ。
そういう衛士達の敬意の表れであった。
両肩を抱えられて去り行く三成が正則の方を振り返った。
その目はこう語っていた。
・・・・ 今生の別れぞ ・・・・
正則は込み上げてくるものを必死に堪えた。
・・・・ 己が愚かであった ・・・・
正則と幸長の心がすでに徳川から去っていることを家康と正信は見抜いていた。
これから彼らを待ち受ける運命は三成と同じく悲惨を極めることとなる。
・・・・ 世代を超えて。
大津城での家康との会見を終えた三成は家康の命で鳥居成次に預けられた。
成次は関ヶ原に先がけて三成が攻め落とした伏見城の城代、鳥居元忠の三男であった。