その百二十一 茶番
「徳川の問いにはお答えし申した。某が問う番で御座る」
ここで正則と幸長はようや三成と徳川が交互に問いと答えを繰り返す形で詮議を進めていたことに気付いた。
大罪人であるはずの三成の詮議にしてはひどく穏やかなものに思えた。
まあ敗れたとはいえ三成は二十万石の大名にして元奉行である。
そのくらいの面目は保ってやるというのが内府の温情か、それとも何か魂胆があってのことか。
何にしても朝方に門前で晒し者にしたこととは不釣合いな待遇である。
「本多殿、常に内府殿の右腕として側近くにおるはずのそこもとが、関ヶ原に居らなかったの何故で御座ろうか」
それに対し正信は注意深く言葉を選びながら答えた。
「此度某は秀忠様と行動をともにしておった」
「大事な決戦を控えて秀忠殿と徳川の本隊はどこで道草を喰っていたので御座る」
「行き掛けの駄賃に大坂方についた真田を懲らしめようとしたまで」
「懲らしめられたのは徳川であろう」
「否定は致さぬ」
正信は涼しい顔で答えた。
「徳川が真田にてこずるはこれで何度目で御座ろうか」
「はて、某は戦向きのことには疎くての。年寄りの某はもっぱら上様の伽役で御座るのでな」
正信は都合が悪くなると年寄りを口実にとぼけた。
「行き掛けの駄賃などというのは口実で御座ろう。真田を攻めればてこずるは端から計算づくであったはず。
虎の子の徳川本隊をかかる大戦に出し惜しみしたいばかりに、わざと関ヶ原に来なかったというのが事の真相では御座らぬか」
それを聞いた正則と幸長は頭を殴られたような衝撃を受けた。
・・・・ 我等豊臣の大名は徳川の陰謀で同士討ちをさせられたのか ・・・・・
「はっはっはっ、へたに頭の良い奴は何でも陰謀と結びつけるから困る」
それまで黙って成り行きを覗っていた家康が満面の笑みを浮かべて割って入った。
「徳川が誇る歴戦の三河軍をむざむざ出し惜しみするなどあるわけないではないか。
確かに関ヶ原での東軍は寄せ集めの混成部隊であった。
しかしそれは西軍とて同じこと。ゆえに土壇場で裏切りにおうたりいたすのだ。
わしとて出来ることなら徳川だけで戦いたかったわ。
皆を巻き込んでしまったために要らぬ悲劇も引き起こしてしもうた。
細川の珠様にはまことにすまぬことであった。
まさか治部殿がそこまで敵方の妻子を追い詰めようとは思わなんだでな」
家康は話をすり替えて正則、幸長らに三成が京、大坂で如何に非道な事をしたか印象付けようとした。
「明智の珠様の件はまこと遺憾の極みで御座る。何を言われても申し開きできぬ。
忠興殿が某を許せぬと申すのであれば忠興殿にこの首を刎ねられても致し方あるまい」
三成は潔く己が不手際を詫びた。
三成があまりにあっけなく非を認めたのでかえってのらりくらり言い逃れを続ける徳川の印象の方が悪く映った。
「治部殿」
正信が改めて質した。
「仕える主君や行く道は違えども、某はそなたの才覚を高く買っておるのだ。
信長公が身罷ってより僅か十年足らずで豊臣政権が国中を治められたは一重にそなたの知恵と手腕の賜物で御座ろう。
領地などよりも政の中枢で己が才覚を存分に振るいたいと願うところなど、某とそなたは似たもの同士である。
あまり人に好かれぬ性格も似てしまったは余計であるがな。
そこでで御座る ・・・・
もし、そなたが大坂城におる毛利中納言こそが此度の騒乱のまことの首謀者であったと皆の前で証言いたすのであれば、
そなたの罪は大いに減じて大名としての再起も許すがいかがであろうか ・・・・ 」
ここで正信は家康に合図した。
「ああ、 ・・・・ 治部殿、すべて水に流して豊臣のため徳川の家臣として出直さぬか」
言葉の内容とは裏腹に平板な音声で家康が打ち合わせどおりのせりふを言った。
心からの問いかけではないことなど三成ならずとも見通せた。
茶番である。
あまりのあほらしさに笑い出してしまうのを三成はずいぶん苦労して堪えた。
四方を取り囲む衛士が脇差の柄に手を掛けて三成が無礼な態度を致さば切りかかってくる気配をにじませていたからである。
死ぬ覚悟などとうにできていたがあまりにあほらしい死に方は御免である。
どうやら内府はここまで来て裏約束どおりに毛利の所領を安堵することが勿体無くなったようである。
まあ気持ちは判る。
せっかく三成を敵に仕立て上げて大戦に勝利したのに、西国の大名どもを焼け太りさせてしまっては、せっかく手が掛かった天下が遠のく。
島津を討ち漏らしたことがこれほどまでに大きく災いしたのはまさに自業自得である。
三成がどのような返答をするのか正則は気が気でない様子で見守っていた。