その百十七 家康の誤算
「治部殿、この場でいくら徳川の策謀を暴いたところで是非も無かろう。
そなたが徳川の深慮遠謀の深淵に辿りついたことはさすがと褒めてつかわそう。
しかしそなたはすでに捕われの身。
誰かと会うことも話をすることもままならず、余命すら我が手中にあるというのに如何にして徳川に歯向かうと申すのだ。
悔い改めて命乞いをいたさば、場合によっては隠岐の島流しにとどめ、命だけは安堵もいたそうぞ」
家康は心にも無いことを言って三成を懐柔しようとした。
しかし三成にはもう失うものすら無い強みがあった。
「内府殿 ・・・・ 某が何の手も打たぬまま捕縛されたとでもお思いか」
「 ・・・・ 」
「某の遺志はすでに内府殿の手の及ばぬ処へ届けられておる。たとえこの場で死を賜ろうと何ら思い残すことは御座らん」
三成はきっぱり言い切った。
・・・・ 徳川の手の及ばぬところとは大坂城か、朝廷か、・・・・ いや北政所! ・・・・ 家康の胸中はざわついた。
・・・・ そう申さば
ここ大津城の攻防戦を終焉させたのは北政所の従者の孝蔵主であると耳にしておる。
あと一日でも早く片が付いていたら関ヶ原の趨勢はどうなっていたか判らぬところであった。
北政所に本気で徳川との対決姿勢に動かれたら ・・・・
徳川にとって北条政子ともなりかねぬ。
家康はおねねの政治家としての才覚には一目も二目も置いていた。
だからこそ三本木の隠居屋敷には頻繁に足を運んで豊臣への忠誠心を演じてきたのだ。
己が野心を暴かれるにはまだ時期尚早である。
家康は正信と連れ立って小用に行く振りをして会見の場を中座した。
まだ埃が立ち込める納戸の中で家康は正信に問うた。
「正信、其の方はどう思うた」
うーむと唸って正信は。
「某は秀忠様と共に昨日大津に到着致しましたばかりゆえ、関ヶ原での成り行きも佐和山での一件も目の当たりにはしておりませぬ。
然るに治部少輔の申すとおりの事と次第であったのなら諸侯の心が急速に徳川から乖離しているのも無理からぬこと。
城門前に晒した三成に対する諸侯の同情的な接し様も頷けまする。
島津を討ち漏らしたことと、佐和山で和議を反故にしたことは裏目になり申した。
このまま大坂城に西軍の残党を追い込んだどさくさに豊臣を滅ぼすは如何にも無理が御座りましょう」
「まだ待てと申すのか ・・・・ 」
「 ・・・・ 」
正信は中仙道廻りで家康の傍を離れていたことを後悔していた。
・・・・ 正純に上様の補佐を任せたは荷が重すぎた ・・・・
「わしもそなたも寿命が持たぬぞ ・・・・ 」
「恐れながら、最後の最後に馬脚をあらわしてしまいますれば」
「島津まで討ち取ろうとしたは欲張りすぎたか」
「残念に御座いますが」
「北政所を北条政子にせぬにはどうしたらよい」
「 ・・・・ 三成めの助命 ・・・ でありますかな」
「それは出来ぬ。それは出来ぬぞ正信。いったい何の為の上杉征伐、いや関ヶ原であったのだ。それだけは断じて出来ぬ」
「 ・・・・ 」
「ここまで我等の思惑通りに豊臣恩顧の大名達が徳川に付き従って来たのは石田治部少輔という豊臣家に棲み付く獅子身中の虫がいたればこそ。
此度の戦で三成めを取り除いてしまえば奴等も目も覚め申す。
すでに島津の退き口と佐和山での徳川の非情さを目の当たりにした者の中には徳川に対して不審の眼差しを向けている者もおりましょう」
「これより先、如何に振舞えば良い」
「裏約束通り毛利を安堵することは出来なくなりましょうな」
「何と、しかし広家が黙っておるまい」
「毛利を不戦にまとめ上げた吉川広家はもちろん、小早川も加増せねばなりませぬ。
このままでは毛利は焼け太りとなってしまいまする。
そうでなくとも唯一徳川と拮抗する力を持つ毛利を北政所が乗り出して来るやも知れぬ豊臣側に温存させるは余りに危険。
吉川ごとき小物、不服があろうと泣き寝入りさせるよりしかたありますまい」
「 ・・・・ 」
「大坂に乗り込めば何かしらいちゃもんを付ける隙はいくらでも見つかりましょう。
無ければこれまで同様捏造するまで」
「其の方の申すことなら抜かりは無かろう。で、治部少輔はいかが致す」
「上様にはこの後、大坂に向かわれる前に三本木にお立ち寄りいただきまする」
「 ・・・・ 」
「あまり気が進まぬのは承知で御座いますが北政所様との条件交渉をしていただかなくてはなりませぬ。
今は軍勢すら持たぬ北政所様がすべての鍵を握っていると申せましょう。
上様にはもう少し律儀で温情ある御仁として振舞っていただかねばなりませぬ。
三成めの処分はその後までお待ちになった方がこちらの手札が増えまする」
「致し方あるまいの、其の方は正純に命じて三成の申していたあ奴の手足となった者を見つけ出させるのだ。
石田の生き残りは無論、治部少輔の逃亡を助けたのもがあればその者も調べよ。
三本木に出入りする者も逐一見張らせよ」
いつしか勝利したはずの家康の方が防戦一方に立たされていた。
家康は正信の進言とは裏腹に今すぐにでも三成を殺してしまいたい衝動に駆られていた。