その百十六 三成の逆襲
三成は家康の疑念が秀吉の出自にまで及ばぬように、家康が触れて欲しくない徳川の過去に切り込んだ。
「本能寺で信長公が横死されたとき、内府殿は何処におられましたかな」
本能寺は十八年前の出来事であった。
「 ・・・・ 堺である」
家康は憮然として答えた。
「堺湊におられたのなら、なぜ海路三河に戻られなかったのでござろうか。
船旅に慣れた三河者なら危険な陸路を行くより海路を行かれるのが順当で御座ろう」
家康は嫌な顔をしてそっぽを向いた。
代わって正信が答えた。
「堺にはあいにくと手頃な船が御座らなかったのよ」
「 ・・・・ それはそうでござりましょう。四百名もの軍勢ともなればそうそうおあつらえ向きの船もありますまい」
「 ・・・・ 」
今度は正信も押し黙った。
「天下を狙う徳川にとって、武田の金山は喉から手が出るほど欲しいものだったのでございましょうな」
家康は無表情のまま三成から視線をそらさなかった。
「どさくさにまぎれて甲斐の穴山梅雪殿を亡き者になさいましたな」
「 ・・・・ 今更そのようなことを蒸し返して何になるというのだ」
家康は開き直った。
「どさくさに紛れて邪魔者を始末するは徳川の御家芸。
関ヶ原でも密約を反故にして島津公を亡き者にしようとなされた」
「 ・・・・ 」
「島津が捨て身で敵中突破に及んだは、約束を反故にされたことへの抗議と徳川の汚い遣り口を天下に知らしめんが為 ・・・・
尋常ならざる島津の退き口を目の当たりにした大名達は、もはや今までのように諸手を挙げて徳川に従うことはござりますまい」
「何を証拠にそのような虚言を ・・・・ 」
正信が否定した。
「あのとき何処の家中も島津と徳川の間に割って入ろうとはしなかったのは何故でありましょうな。
徳川に恩を売る最大の機会にもかかわらず、誰一人島津の突進を遮らなかったのは実に不思議で御座る。
事情を察して武士の情けと島津に反撃の機会を与えたので御座ろう。
それどころか心中、島津が内府殿と刺し違えてくれればと期待していたのではござるまいか。
諸侯の徳川に対する信頼は関ヶ原の前と後ではかくも変貌したということで御座ろう。
先ほど内府殿は某には人望が無いと申されていたが、果たして今の内府殿には人望が有ると云えましょうかな」
家康はいよいよ腹に据えかねた様子で手に持った扇子をぱちぱちとせわしなく開け閉めした。
「関ヶ原で敗れた某はすべてを失い申した。
しかし勝ったはずの徳川が失ったものも大きい。
徳川にはすでに諸国に号令する信用も大儀も無く、ただの業突張りと成り果てた。
こんなことなら豊臣家の執政として筆頭大老でおられたままの方がよろしかったのではあるまいか。
内府殿のあからさまな野心が衆目の知るところとなってしまった今、豊臣家の後ろ盾無くして徳川の治世など到底おぼつかぬのではありますまいか。
かくなる上は秀頼様と淀の方の信頼を損なわぬよう、あくまで豊臣家の執政官としてのお立場を踏み出さぬことで御座いますな」
家康の顔が怒りでぷるぷると震えた。
これではどちらが被告人だか判らぬ詮議と合いなった。