その百十二 初手
「此度は治部殿が先手を打たれよ」
「 ・・・・ 」
「関ヶ原では後手をお譲り申したでござろう ・・・・ 」
そう言って家康は三成の顔を上目遣いに覗き込んだ。
関ヶ原で三成と大谷吉継が仕掛けた策略など、端からお見通しであったと言いたげだった。
初手からの揺さぶりにも三成は平静さを崩さなかった。
この勝負は感情を表に出した方が負けである。
三成から家康への最初の問いは単純なことであった。
「上杉はどうなされるおつもりか」
家康は目をぱちくりさせた。
「ああ、上杉か ・・・・ 。上杉はいずれ処分いたす所存である。中央で事が済んだ上は景勝殿とて無益な反抗はいたすまい」
家康は興味薄に答えた。
しかし関ヶ原は、そもそも上杉征伐から端を発した騒乱である。
大騒ぎの果てに勅命まで拝してどやどや繰り出した上杉征伐を途中で投げ出すとは、上杉など端から眼中に無かったと白状したのも同然である。
「秀頼様のまことの父親は誰か」
対する家康は、最初から核心に切り込んできた。
「これは異なことを、内府殿は某が父親であると皆の者に吹聴しておられたのでは御座らぬのか」
家康はにやりとしてしゃあしゃあと言ってのけた。
「それは方便である。どうだ、ほんとのところを申せ、まことの父親は治長であろう」
「 ・・・・ 」
三成は押し黙った。
「なんだ、もう答えられぬのか。これで終いか」
家康は物足りぬといった様子で三成を見た。
意を決した様子で三成が答えた。
「秀頼様は大公殿下のお子に相違御座らぬ」
「ほう、その証拠は」
「治長めとお茶々様との間には確かに関係があり申した ・・・・ 」
家康の目が一瞬獰猛に光った。
「しかし太閤殿下はそれを承知の上で治長を当て馬に仕立てられたので御座る。
その方が自分の子が授かりやすくなると信じて。
全て太閤殿下と某とで、お茶々様に殿下のお子が授かるように仕組んだことで御座る。
証拠となるかどうかは知らぬが、当て馬役の治長めに馬回り役三〇〇〇石を与えたのは太閤殿下の皮肉で御座ろう」
三成は秀頼が秀吉の嫡子であることをここで明言しておいた方が、家康に秀頼を粗末に扱わせぬ抑止が働くと踏んだ。
「 ・・・・ 」
今度は家康が黙り込んだ。
秀頼が秀吉の子ではないであろうことに付け込んで、片桐且元を調略したのだった。
且元の働きがなければこうも思い通りに事は運ばなかったはずである。
且元にはまだまだ徳川の手先として働いてもらわねばならなかった。
「いまひとつ」
三成は続けた。
「内府殿には先刻御存知である通り、淀の方は信長公の娘御で御座る」
直政と正純は驚いた様に顔を見合わせたが、家康と正信には動じた様子は見られなかった。
「当の本人ですら存ぜぬことである ・・・・ 」
家康は直正と正純に対して肯定してみせた。
「秀頼様は我ら全員の主筋である織田家の血を誰より強く受け継がれた淀の方が産まれた、正真正銘太閤殿下のお子である。
そのことくれぐれも御心に留め置かれますることをお願い申し上げる」
三成の言葉に家康は顔を曇らせた。
信長とは同盟者と云う建前ではあったが実際のところは臣従であった。
家康の長男の信康は信長に謀反の疑いをかけられ切腹、その生母で家康の正室築山の方も死を賜わされた。
表に出すことは決してあらねど家康は信長を心の底ではずっと恨んでいた。
信長を本能寺に追い込んだことも、己が野心よりは自己防衛と遺恨がそうさせたのである。
信長の子や孫にまでつけを払わせようとまでは思わねども、秀吉に幾度も煮え湯を飲まされてきた記憶はまだ生々しい。
旗色不鮮明な大坂を今後どう処置するかはまだ不透明であった。