その百九 大津城
翌日、三成は荷車に乗せられ膳所の宿から家康が滞在する大津に連行された。
大津の城下は京極高次により見渡す限り焼き尽くされ、遠くからでも朽ち果てる寸前の大津城が覗えた。
櫓はほとんど打ち壊され、かろうじて残った本丸の城門には数え切れないほど無数の弾痕が刻まれていた。
屋台骨を大筒に打ち抜かれ上層部が傾いでいる本丸の門前まで到着した三成は、しかしすぐに門をくぐることは許されず門前脇の古畳一枚に縛られたまま座らされた。
これより続々と登城してくるであろう東軍諸将への晒し者とするためであった。
ちらと本丸の方を見た三成の目に、傾いた四層部分の格子窓に黒い人影が動いたかに見えた。
家康だった。
・・・・ ふん、 何と姑息な。あそこから自分に対する大名達の一挙手一挙動を見張っておるのだろうて ・・・・
それにしても敗軍の将の三成との面会場所をこのような惨憺たる戦場跡で行う理由は一体何であろう。
武家屋敷が多数存在する京までは目と鼻の先であるし、ここよりはずいぶんとましな伏見城も近い。
・・・・ 無残な城砦の残骸の中に某を晒すことで、徳川に逆らった者がどれほど悲惨な末路をたどるのかを皆の心に焼き付けたいのであろう ・・・・
三成は家康との対面の前に東軍についた大名達と個別に一戦交えなくてはならない羽目になった。
・・・・ いや、これは願っても無い機会。無駄には出来ぬ ・・・・
最初にやってきたのは福島正則の家中であった。
何事も先陣を切らねば気が済まぬこの男はさぞかし踏ん反り返って来るかと思えば、なぜかすっかり意気消沈の面持ちであった。
不戦の密約を反故にしてまで島津を騙まし討ちにしようとした家康の汚さを目の当たりにして、この血の巡りの悪い一徹者にも徳川の野心というものがようやく見えてきたようである。
佐和山での和議を反故にしてまでの石田一族の虐殺も非道に過ぎると感じたはずである。
遠くから三成を見つけたにもかかわらず目を合わさずそそくさと通り過ぎようとするではないか。
・・・・ 馬鹿者。内府が見ておる。この後に及んで後ろめたい素振りなど見せるな ・・・・
「うおっほん」
三成は大きく咳払いをした。
振り向いた正則と目が合った。
三成は眼を飛ばした。
こうなると後に引けないのが正則である。
三成の前にずかずかやってきて言い放った。
「か、勝てもしない戦を仕掛けるからだ ・・・・ 」
「 ・・・・ 」
三成は無言で見つめ返した。
それだけである。
それだけで伝わった。
・・・・ 豊臣を頼むと ・・・・
にやりとした後、不意に三成が吼えた。
「貴様をこう出来なくて残念であったわ!」
ぷいと背を向けた正則は崩れかけた城門をくぐっていった。
その背中は小さく震えていた。
次に現われたのは藤堂高虎であった。
高虎は甥の高刑から関ヶ原の首謀者が三成ではなく大谷吉継であった極秘情報をすでに聞き及んで知っていた。
それを一切公にはせず、家康に同調して自分の立場を優位にすべく利用しようとしていた。
・・・・ 三成こそが西軍の首領であると ・・・・
三成は東軍についた諸将の中でもこの藤堂高虎だけはなんと言われても許せなかった。
三成と同じ近江の土豪の生まれながら幾度も主家を転々としたのち太閤の舎弟の大和大納言に長く仕えたときその恩義で大名に取り立てられていた。
それなのに秀吉が死ぬと真っ先に徳川に擦り寄り常に反三成の急先鋒にあった。
その抜け目のない高虎は三成の様子を見るとすぐに家康が見張っていると察したらしく、恭しく三成に近づいてきた。
「治部殿、此度の合戦での石田軍の奮闘、敵ながら見事なもので御座った。この高虎感服してお願い申す。我が藤堂家の軍に欠けておるものは何で御座ろうか」
三成はあまりにもつまらない問いをしてきた高虎にうんざりした。
こんなものに掛ける言葉も授ける知恵も持ち合わせてはいなかった。
どうせ家康が覗き見ているからと大物ぶっているだけである。
「鉄砲隊の統率が取れておらぬようにお見受け致した」
三成は早く追っ払うために当たり障りの無い助言をして高虎を追い払った。
次いで連れ立ってやってきたのは黒田長政と細川忠興であった。
一瞬で状況を理解した切れ者の黒田長政が大きな声で、「よくも生きていられるものよ」、と嘲った。
「内府に武田の金山を貰ったのがそんなにうれしかったか」、と三成が返した。
「ちっ」と舌打ちをすると長政は自分の陣羽織を脱いで三成に近づいた。
それを三成に掛ける振りをして小声で、「 ・・・・ 衛士が聞き耳を立てておる、誰ぞに申し伝えることは御座らぬか ・・・・ 」
「 ・・・・ 如水殿に、今一度、豊臣に御忠義をと ・・・・ 」
「 ・・・・ 承知 ・・・・ 」
三成が大きな声で、「かたじけない!」と言うと長政は去っていった。
忠興は三成と目を合わせず終始無表情で門に消えた。
本来なら珠の仇の三成を最も恨んでよいはずの忠興であった。
その仇を目の前にしても忠興は平静であった。
忠興には珠が殉死を選んだ理由がわかっていた。
・・・・ いつも義理よりも自分の利を欲する己の日和見を嫌気してこの世を去っていったのだ ・・・・
三成を恨むは逆恨みである。
あらかたの大名達が城内に吸い込まれたとき、逆に城内から出ようとするものが一人いた。
小早川秀秋であった。
そばに居合わせた細川忠興が秀秋の只ならぬ表情から察して思いとどまらせようとした。
それでも秀明は城門の影から三成に詫びようとした。
そうしないではいられない心持であった。
・・・・ 己が不甲斐無いばかりに関ヶ原では家康を討ち漏らし、三成の一族を滅ぼすことにも加担してしまった ・・・・
秀秋に気付いた三成はさすがに慌てた。
・・・・ いかん、秀明殿。命取りぞ、こらえよ ・・・・
やむなく三成はことさら大きな声で皆に聞こえるように言い放った。
「これはこれは金吾中納言殿では御座らぬか。太閤殿下の御恩を忘れし裏切り者め、そなたのような根腐れ者、三成はいまだかつて見たことも御座らぬ」
三成が秀秋のことを"金吾中納言"と呼んだことはこれまで一度もなかった。
しかし混乱していた秀秋は三成の真意までは読み取れずに、いたたまれずに城内に逃げ戻っていった。
「はてさて、人の心とは読めぬものよのう。正信はどう見た」
「福島と小早川には注意を怠らぬことですな。黒田の倅の方はともかく、九州には如水と清正、それに立花と島津がおりますればそれらが結束して毛利と結ぶようなこととならば侮れない勢力となりましょう」
「うむ ・・・・ それにしても島津義久を討ち漏らしたは失策であった。
あれから諸将の間に徳川への不信感が蔓延しておるようだ。
これより先は力で屈服させるよりあるまい。
治部殿には地位も名誉も一族も、何もかも失った惨めな負け犬として死んでもらわねばなるまい」
大名達と三成との一部始終を見届けた家康はこれより始まる三成との会見に向かうべく、傾いた階段に太った体でしがみつきながら階下へ降りながら思案した。
家康の腹の中で三成の処分はすでに決まっていた。