その百八 本多正純
「佐和山では手違いから御内儀も御尊父も痛ましきこととなり、すまぬことでござった ・・・・ 」
捕縛された三成を大津の手前の膳所の宿で一晩預かることとなった本多正純は、佐和山城の一件を三成に詫びた。
・・・・ 手違いだと ・・・・
・・・・ 田中吉政ほどの者が心得違いなどで和議をひっくり返し、降伏した者を殺戮に及ぶわけが無かろう ・・・・
・・・・ 全ては諸侯に石田三成こそ西軍の総大将であったと印象づけるために徹底して貶める目的であったのであろうが ・・・・
三成は自分の一族に対するあまりの非道に対して、徳川を糾弾したい憤りを懸命に堪えた。
三成は家康が不戦を貫いた毛利輝元を救済する為に、全ての責任を自分に押し付けるつもりであることに気付いていた。
しかし、奇しくもそれは、三成の望むところでもあった。
今後の豊臣に、少しでも多く徳川への抵抗勢力を温存する為には、自分が全ての責めを負ってこの世を去るのが最善であったからだ。
「攻め手は小早川と田中吉政であったそうでござるな」
「如何にも、。田中吉政は治部殿とは格別御懇意であったゆえ、徳川への忠誠心いかばかりかと試させていただいた。
それが災いしての勇み足となってしまったので御座ろう。
小早川秀秋殿は関ヶ原での御振る舞いに疑わしきところが御座ったので、誰も気の進まぬ片付け仕事を担っていただいたまで。
しかしこれで小早川への嫌疑は晴れ申した」
正純はそう言って三成の反応を窺った。
三成は本心に気付かれぬようにわざと秀秋を非難した。
「秀秋の内通は伏見城攻めの頃よりうすうすは気付いてはおったが、まさかあの場面で裏切りに及ぶとは思いもかけぬこと。
あのような根腐れ者を要所の松尾山に配した事は悔恨の極みである」
「 ・・・・ 切れ者の治部殿ともあろうお方が小早川の小倅に見事に謀られたと?」
「如何にも、秀秋は豊臣家第二位の継承者である。
秀頼様の御成人までのあいだ、関白に任ずるとまで約束いたしておった。
斯様な者が裏切りに及ぶなどとは全く以って思い至らず、全ては某の未熟によるところで御座った」
三成は己と秀秋が土壇場で家康を謀ろうとしたことをひたすら秘した。
秀秋にはこの急場をしぶとく生き残ってもらい、これからの豊臣を支えてもらわねばならない。
正純は三成の言葉に納得したようである。
「ところで治部殿、天下にこのような騒乱を起こした責任をご自身で如何にお考えか」
「主家への忠義を軽んずる裏切り者の為にかかる顛末と相成ったが、我が忠義の志には一片の曇りも無く、全て時の勢いの為せる天命と存ずる」
正純は三成を怒らせて本音を引き出そうとさらにたたみかけた。
「かかる大戦に破れて自害もせず、今だ生き永らえようとするは見苦しき事では御座らぬか」
三成は些かも動じず正純に言い返した。
「 ・・・・ 大望を持つものは容易に自ら命を絶つことを潔しとせず、どのような恥辱に塗れ様とも最後まで望みを捨てぬもので御座る。
そこもとは苦難の末に鎌倉に幕府をうち建てた源頼朝公の故事を御見知り置きでは御座らぬのか」
如何に切れ者の本多正信の長男の正純と言えども三成の明晰さには及ぶところではなく、どのように兆発しても三成は尻尾を出すようなことは無かった。
三成が反撃に打って出た。
「ところで本多殿、そこもとの弟の政重殿は宇喜多の家老として関ヶ原に参陣しておったはずだが、その後の消息をご存知か」
正純は臆面も無く言い退けた。
「あの者は既に我が一族に在らず。戦場で合見えたときには討ち果たす所存で御座った」
その口ぶりに嘘は無さそうであった。
・・・・ 政重の間諜活動は兄の正純の知らぬところで父正信から命じられていたということか ・・・・
三成はそう合点すると父親の正信から何も知らされずにえばり散らす正純が哀れに思えた。
「徳川は此度の騒乱の責任を我が身一身に負わせようとするつもりで御座ろう。
しかし、西軍の中で真っ先に決起したは宇喜多であり、それをそそのかしたのは政重であったことを其の方は御存知ないのか」
「何を馬鹿な。勘当者の弟とて間諜呼ばわりは許さぬぞ」
「某は笹尾山から西軍の壊滅していく様を逐一見届けておった。
真っ先に崩れた宇喜多勢から、先頭をきって逃げ出していたのは政重殿であったぞ。
今頃はどこかの郷でのうのうとほとぼりが冷めるのを待っていることで御座ろう」
三成の言葉の通り本多政重は大津のすぐ近くの近江樫田の郷にあり、父正信の到着をひっそり待っていたのであった。
政重の兄、正純はその名が災いしてかそれとも幸いしてか弟よりはるかにお人よしで正義感が強いところがあった。
ゆえに父正信は正純には理由を秘して政重を西軍に潜ませていたのだ。
天下を騒がせた大罪人だと決めてかかっていた三成から、自分の知らぬところで弟の政重が陰謀の中核を為していたと聞かされて、
正純は自分の顔から血の気が引いていくのを感じた ・・・・
それは先々正純が将軍家から遠ざけられていく遠因となるのであった。