その百七 死地へ
関ヶ原より四日後の一九日に与次郎は鎮痛な面持ちで三成の傍らにあらわれた。
その様子から凶報がもたらされしことはすぐに察しがついた。
「おととい、遠くに聞こえた鉄砲の音はやはり佐和山からにございました。
攻め手は小早川秀秋様。
お城はおととい一日持ちこたえましたが本丸を残すのみとなったところで降伏を受け入れ、昨日の朝方に城兵の助命を条件に開城したそうにございます。
ところが東軍は約束を反故にして、開いた城門から田中吉政様の兵が城内に突入したそうにございます。
お父上様と兄上様は御自害。
奥方様もお城と運命を共にされたそうにございます。
城内の者は女といわず子供といわず皆殺しにされたそうにございます」
三成は無言で聞き、その日は一日中押し黙り何も食さなかった。
明けて二十日になるといよいよ三成探索の手が近辺に迫り、三成は更に落ち延びねばならなくなった。
しかし三成は既に覚悟を決めていた。
「与次郎殿、某の探索方は何処の家中の者であろうか」
「田中吉政様の弟の田中氏次様とのことにございます」
「ならば話は早い、田中氏次に三成はこれにあると知らせよ。逃げも隠れも致さぬゆえ余り大事と致さぬよう捕り手を差し向けよと」
与次郎は慌てて三成を諌めた。
「お殿様、見つからぬようにもっと山中深くにお連れ致します。居心地は悪う御座いますが岩屋か炭焼き小屋にお隠れ下さいませ」
三成は悲愴さの微塵も無く軽やかに答えた。
「与次郎、もう良い、もう良いのだ。そなた達のおかげで最後にやるべきことがはっきりし申した。
これ以上そなたたちを危険に巻き込むことは出来ぬ。これが三成の為と信じて申した通りにしてはくれまいか」
与次郎は不承不承ながら三成の申し付けに従って隣の集落の庄屋まで出向いた。
「さて、おいね殿。そなたには三成よりたっての願いが御座る」
「わたくしの様な者でお役に立てるのでしたら何でもお申しつけくださいませ」
「そなただからこそ頼める事である。我が遺言を洛中の三本木にお住まいの北政所様へお伝え願いたいのだ。
農民の、しかも女のそなたなら怪しまれずに辿りつくことも容易であろう。
褒美は北政所様より充分に頂けるであろう」
「褒美など頂かなくてもお殿様のお役に立ちとうございます。北山の親戚を訪れる振りをすれば何の咎めも受けずに京までまいれます」
三成は最後の最後に信頼できる同志に恵まれたことでまだまだ天に見放されてはおらぬ気がした。
「北政所様にお会いしたらこれまで三成が話したことをそのまま伝えていただければよろしい」
「はい」
「そして必ず次の三つを伝えて欲しい。
一つは太閤殿下の出自はけっして内府に悟られてはならぬと。
二つは小早川秀秋が徳川を謀ろうとしていたことも内府に悟られてはならぬと。
三つは太閤殿下の御遺言である徳川の千姫様と秀頼君の婚礼を急ぎ実現されること。
北政所様はそれですべて理解される」
「わかりました」
「また、某の助命嘆願などは決してなされませぬようとも。
内府は絶対に某を生かしておくはずも無く、どのような無理難題を北政所様に突きつけるやも知れず」
「 ・・・・ 」
「他に北政所様に何か問われたら、遠慮無くおいねの思う処をお答えするが良かろう。
聡明で美しいそなたはお若い頃の北政所様によく似ておられる。
きっと話が合うはずだ」
「まあ」、とおいねは少し照れた。
二十一日の早朝、三成の探索方が与次郎に案内されて現れた。
三成の願い通り捕り手に物々しさは感じられず、村の人々も落ち着いていた。
隊長はやはり馴染みの田中吉政の弟・氏次であった。
「石田治部少輔三成殿で御座いますな」
「如何にも」
床で身支度を整えた三成は落ち着き払って答えた。
「成り行きにて治部殿を捕らえる役目を申し付かって参り越し申した」
「委細承知」
三成は続けた。
「なるが、世話になったこの村の者達に類が及ぶは我が本意にあらず。
其の方の一存で、某はこの先の岩屋に一人で隠れていたものを発見した事にしてはくれまいか」
「 ・・・・ 」
「何卒、三成の今生最後の願いで御座る」
氏次の兄の田中吉政は佐和山で三成の一族郎党を皆殺しにした張本人であった。
「 ・・・・ 承知仕った」
三成はよろよろと立ち上がった。
それを見た氏次は与次郎に、
「済まぬが戸板を一枚所望致す」
そう言って氏次は持ち合わせの金子を全て与次郎に手渡すと満足に歩けぬ三成の為に戸板に寝かせて配下に担がせた。
「かたじけない ・・・・ 」
三成は見送る与次郎夫婦と村人たちに目で礼を言い自ら死地に赴くのだった。