その百六 明智の怨念
「関ヶ原での戦は霧が晴れるのを待たずに始まった。
普通は悲惨な同士討ちを避けるために奇襲以外では霧中に攻撃を仕掛けることは致さぬのが定石である。
霧が無く、日の出とともに双方丸見えとなっていたなら、果たして東軍の各将は自分達が袋の鼠となっていることに冷静でいられたであろうか。
定石通り霧が晴れるのを待っていたなら双方、睨み合いに終始し、日暮れと共に兵を引き、合戦には至らなかったやも知れぬ。
それほどまでに我ら西軍の布陣は完全無欠で強固なものであったのだ。
戦端は福島隊の方角から鉄砲が打ち込まれたことにより開かれたが、果たして撃ち掛けてきたのが本当に福島の鉄砲かも怪しい。
霧が晴れては都合が悪い徳川がけしかけたとも考えられる。
内府は完全にこちらの手の内を読んでいた。
刑部が長篠の合戦に倣って関ヶ原に後手必勝の待ち伏せを仕掛けていたことを、内府は百も承知で関ヶ原に現われたのだ。
作戦の要である反転攻勢は密かに封じてあると自信満々で。
悔しいかな策士、策に溺れるとはこのことなり ・・・・ 」
「 ・・・・ 」
さすがにおいねには戦のことはちんぷんかんぷんであった。
それでもよいのだ。
ただそばにあって聞き手となってくれるだけで三成の思考の助けとなった。
「小早川の大軍勢を東軍に偽装して松尾山に置いたこちらの策略は見事に打ち砕かれてしまった。
内府の小早川に対する調略は当主の秀秋殿ひとりの力では覆せぬほど巧妙であった。
しかし、万が一小早川の偽装工作が裏目に出たとしても狭い山道に押し返してしまえば小早川を松尾山に封じ込めることも出来た。
最悪の場合に備えて、刑部はそこまでは織り込んでいた。
現に大谷軍は三度小早川を押し戻した。
それがまさかの脇坂よ。
そもそも脇坂、赤座、朽木、小川の少数部隊を松尾山の麓に置いたは、西軍は小早川を東軍とみなしていると見せ掛けるためであった。
それが脇坂の寝返りをきっかけに小川も赤座も朽木もつられるように東軍に寝返った。
脇坂の手勢は僅か千である。
その僅か千の裏切りが関ヶ原の趨勢を決めてしまったのだ。
刑部と共にずっと北陸を転戦してきた脇坂があそこで刑部を見限るとは予見不可能であった」
「脇坂の殿様はこの辺りのご出身でございます。昔からお仕えするご主君に運の無い殿様でございました」
「左様、脇坂は浅井、明智と滅亡した主君に仕えておった。しかしその運の無い男が太閤殿下のおかげで大名となれた御恩を忘れるとは嘆かわしや」
「なにやら京極のお殿さまと似ていますな、脇坂のお殿さまは」
「 ! 」
おいねがずばり核心を突いた。
京極も脇坂も共に明智日向守の配下であった。
そして小早川を土壇場で東軍に転じた"お福"は明智の家老の娘。
三成を窮地に陥れた"細川屋敷の珠"は明智の姫君。
「何ということか、内府は豊臣に怨念を持つ明智ゆかりの者たちを駆使して豊臣を滅ぼそうとしたのか ・・・・ それでは勝てぬも道理」
三成は目の前を覆っていた霧がすーと晴れたような気がした。