その百五 二つの砦
衰弱著しく体の利かぬ三成は、おいねを伽相手に関ヶ原の真実を探る思考に浸った。
「某は太閤殿下より直々に御遺言をたまわっておった。
それはそれは長い長い物語にござった。
織田のお市様がこの近江に興入れされる七年ほど前に信長公と今川義元公の間で大きな戦がござった」
「 ・・・・ 桶狭間にございますね」
寒村のたかが農民の妻にもかかわらず、おいねはこの時代をよく理解していた。
「その頃内府はまだ十七、八の若殿で松平元康の名乗りであった。
三河とて今川の属領に過ぎず国の体すらなしておらなかった。
織田征伐の先鋒として尾張領内の大高城に突出した松平元康のもとに太閤殿下の古参、蜂須加殿が織田の使者として遣わされた。
三河軍は織田の二つの砦を落とす振りをして今川本隊に戻るなかれと ・・・・
かくして最強の三河軍を欠いた義元公は織田軍に正面からの突入を許し首を取られた」
「 ・・・・ 桶狭間は悪天候と奇襲が功を奏して織田様がたまたま運よく勝たれたと聞き及んでおりました」
「謀略で得た手柄や勝利などあまり世間にはひけらかさぬものよ」
「お殿様の関ヶ原もそうだと」
やはりおいねは聡明であった。
「 ・・・・ 如何にも ・・・・ 」
三成は瞑目してこの三月余りの出来事を思い返した。
「事の起こりは上杉、いや直江山城守からの内府への挑戦状であった。
今思えば山城守は内府と通じておったのかも知れぬ。
わざと内府が怒るような書状を送り付け上杉征伐の大義名分を与えた」
「そのようなことをしたら主の上杉がどうにかなってしまうではありませんか。直江様だって困ることになるのではございませんか」
「そもそも兼続とはそういう奴よ。あ奴は領国や石高になぞ興味は御座らぬ。あくまで権力にのみ生き甲斐を求める男よ。
某には兼続のような男の心持がよく判る ・・・・ 」
三成も兼続と同類であった。
もう一人、家康の右腕本多正信老人も ・・・・
その正信が宇喜多に送り込んだ次男の政重は関ヶ原の陣を早々に引き払い近江の大津堅田に潜伏していた ・・・・ 手はず通りに ・・・・
やがて政重は再び福島はじめ大名家中を渡り歩き、ほとぼりが冷めた頃には直江兼続の娘婿に収まるのである ・・・・ 正信と兼続が密かに結んでいた状況証拠としては充分であろう。
「内府はかつての信長公に倣い、二つの囮の砦を用意しておった。
一つは上杉を会津に釘付けにした最上義光。
いま一つは九州の強豪立花を関ヶ原の決戦から遠ざけた京極高次の大津城 ・・・・ 」
三成は思い出すのも悔しそうであった。
最上が豊臣を見限る原因となった駒姫の処刑に奉行として立ち会ったのは三成自身であり、京極高次を心を砕いて西軍に引き入れたのも三成であった。
「所詮己と内府とでは役者が違ったということか ・・・・ 」
沈みこむ三成の手から空いた椀と箸を取りながらおいねは言った。
「それでも勝つ見込みがあったからお殿様は徳川様に勝負を挑まれたのでありましょう」
三成は顔を上げておいねを見た。
「如何にも ・・・・ 勝算は御座った」