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その百二 古橋村

いつの間に寝入ったのか三成は腹部の変調で目覚めた。


木漏れ日は山の斜面の正面低くから差し込んでいるようである。 


まだ尾根の東側にいるはずだから昼前のようである。


急な便意に嫌な予感がしたが腹痛は全く感じなかった。


潜んでいた藪の中で急いで尻を出すとその場で用を足した。


はじめのうちは普通の便が出たが変化はすぐにあらわれた。


軟便どころではない、まるで水のような便がばしゃばしゃと勢いよく出ると、その中に全く消化されていない(もみ)が漂っていた。


「ぬかった、生米はけっして食うなと戦陣訓を垂れていたのは自分自身であったのに生米どころか籾ごと食したは浅はかであった」


沢水と生籾(なまもみ)が逃避行で消耗した三成に追い討ちをかけた。


尾根筋に近いそこでは失った水分を湧き水で補うこともままならず急いで水のある低地まで山を降りなければ生死にかかわろう。


しかし三成はもと来た春日村には戻らず体力があるうちに尾根の鞍部を超えて小谷(おだり)側へ降りることを選んだ。


「己が所領なら一時(ひととき)身を寄せられるところが在るかも知れぬ」


妻と父が残る佐和山の行方も気掛かりであった。


途中何度か、やはり水のような下痢を繰り返しようやく新穂谷から中津又谷に至る新穂峠に至る頃には脱水症状と疲労で歩くどころか立っていることさえ難儀なほどであった。



・・・・ いっそのこと ・・・・ いや、ここで死ぬわけにはまいらぬ ・・・・



今は関ヶ原で果てたであろう刑部がうらやましくさえ思えた。


苦労の末にたどり着いた峠に立つと、三成の眼下に琵琶湖畔が見渡せた。


三成はほっと安堵した。


足元の、今は城砦の名残しかない小谷山(おだりやま)の向こうに、小さく己が居城の佐和山の城がうかがえた。


佐和山の健在が三成の脚に希望を与えた。


尾根をまたいで姉川の谷筋に沿って進んだ。


今度はひたすら下り坂である。


とうに体力の限界を過ぎた脚には下るは昇り以上に堪えた。


だいぶ下ると岩肌が露出しているところのから清らかな湧き水が流れ出ていた。


三成はこの湧き水に救われた。


・・・・ どうせまたすぐに下すのであろう ・・・・


そう思いながらも腹いっぱいに水を満たした。


下すものがあるだけましであるし、腹の毒を洗い流すことが出来る。


その通り飲んだ水はほとんどそのままの状態で排泄された。


しかしいくらかは体にも吸収されたようでなんとか歩き続けられた。


人里近くまで下りてからは夜中に民家の軒先の干し大根や干し柿を盗んで飢えをしのぎ、夜陰に紛れて姉川を越え小谷城の廃墟が残る小谷山の裏手の古橋村界隈まで辿り着いた。


この辺りは三成が少年時代まですごした土地で古橋村は幼馴染の与次郎太夫の在所であった。


星明かりしかない真っ暗闇の中、与次郎の家を探し当てた三成は戸をたたいた。


すぐに戸の向こうに人の気配が現われて戸が開いた。


与次郎本人であった。


「佐和山の ・・・・ 石田の佐吉である ・・・・ 」


それだけ言うと三成は土間に倒れこんだ。


与次郎の背後から女の小さな悲鳴が漏れた。


「佐和山の殿である」


与次郎は心配そうに見守る女房にそう告げると三成を家に抱き入れた。


三成は与次郎宅に匿われた。


小さな村の小屋のような家である。


他の村人に隠し通せるはずも無い事ゆえ、与次郎は翌朝すぐに村の衆達に佐和山の殿が自分を頼って落ち延びて来たことを明かした。


そして、「殿さまを匿いたいと ・・・・ 」


重苦しい沈黙ののち、村びとたちのあいだから「殿さまをお助けしよう」、「お助けいたそう」という声が聞こえた。


罰を恐れて異を唱えるような者は誰一人いなかった。


村人たちは団結して三成を匿う事を決めた。


三成の元には村人たちから精がつくようにと(うずら)の卵や(きじ)肉が差し入れられた。


与次郎からそれらのことを聞いた三成は ・・・・ 感涙した。


自分が領民に施してきたことなど、村人たちの決意に比べれば偽善に過ぎなかったと。


「与次郎殿、古橋村の御厚情この三成生涯忘れぬ。再起が叶うた暁にはこの古橋を日ノ本一豊かな村に致し申す ・・・・ 」


与次郎夫婦の介抱で少しずつ生への希望を取り戻しつつあった三成は、床の中で成すすべもなく、関ヶ原の敗因を振り返るのであった。

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