その十 長浜時代
おねねはその娘時代から、領主である織田信長の覚えが良かった。
美しく聡明なおねねは信長の妹、お市と重なるところが多かったのだろう。
長浜城時代、おねねは信長と共に一芝居打って秀吉に冷や汗をかかせたことがあった。
なかなか子どもが出来ないおねねに秀吉が冷淡になり浮気が絶えなくなっていた頃、秀吉の行状を相談するふりをして、
信長に秀吉を懲らしめるための書状をしたためてもらったのだ。
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この前、おねねと久々に会うたが、そなたはまた一段と美くしゅうなっておった。
藤吉郎がそなたに不平不満をたらたら申しておるようだが、かようなことは言語道断である。
あのはげねずみめが、そなたより素晴らしきおなごなどをいったいどこで見つけられようものか。
だからそなたも安心して城主の奥方らしゅう堂々として、やきもちなぞ妬かぬことである。
この書状は必ず藤吉郎にも見せるように
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なんという政治上手。
これで秀吉は信長の目の黒いうちはおねねを粗末に出来なくなった。
長浜城時代、多忙を極めた秀吉にほったらかしにされることが多くなったおねねは、自分が出会う前の夫のことを何一つ知らないことにようやく疑問を持ち始めた。
苗字すら持たぬ賎しい身分の出のはずなのに、騎馬武者顔負けに馬を乗りこなしたり、書状を書けば熟達の僧侶も及ばないほどの達筆であったりした。
元々農民だった者がわずか数年で武士の作法や政務をこなすなどあり得ぬことであった。
それは後から呼び寄せた、弟の秀長とて同じであった ・・・・