3.帰国子女の手作りパン
ケンカ別れ……といえばいいのだろうか。俺は妹を放って、教室に逃げ込んでいた。
優梨は全く気にも留めていなかった様子だが、後のことを考えると少し怖い。
優梨に殺された前の世界では、こんなケンカをしなかったのに。妹の好意を知ったせいで、過敏に反応してしまうのかもしれない。
だが、今更どう思おうが後の祭り。世界の修正力が稼働してくれることを願うしかない。
「てか、マジでギリギリだったな」
中央の最後列にある、自分の新しい席に着席すると、少し遅れて鐘が鳴った。
ほかのクラスメイトも席につき、 教室から私語がなくなる。と思いきや、依然としてざわざわしていた。
それもそのはず、教卓にいる先生の隣に、純正の銀髪翠瞳の美少女が姿勢正しく立っていたのだから。
まずは担任の先生の自己紹介から始まった。
「はい。初めましての人は、初めまして。2年A組だったみんなは、久しぶりね! あたしは、米倉 紬。今年はなんとね、3年A組の担任になったのよっ。よろしく!」
去年、俺は2年A組に所属し、米倉先生が担任だったので、彼女のことはよく知っている。
生徒の面倒見がよく、悩みごとにも親身になってくれる優しい先生だ。去年は、俺もかなりお世話になった。たぶん今年もなると思う。
しかし、そんなことなど他のクラスだった生徒には、関係ない。米倉先生の自己紹介を尻目に、その隣にいる銀髪翠瞳の美少女を注視していた。
「そうね、みんなは若くて綺麗な女の子の方が、気になるわよねー。じゃあ、自己紹介をお願いしていいかしら、シルヴィーさん」
米倉先生もまだ23歳と俺たちとそう変わらない若さで、明るく可愛いらしい女性なのだが、いかんせん相手が悪かった。
銀髪翠瞳の美少女は、容姿からして浮世絵離れしていて、美しく。まるで妖精のような華やかな神々しさを放っていた。
しかも、胸もワールドクラスのデカさときたもんだ。そりゃ、目を引くわな。
注目を集めた銀髪翠瞳の美少女は、先生の言葉にこくりと頷き、重い口をゆっくりと開いた――。
「はじめ……まして。ワタシは、シルヴィー・フォッセ。その、よろしく、お願いします」
「シルヴィーさんは帰国子女なのよ。みんな色々教えてあげてね!」
「あっ……忘れてました。そう、です。ワタシはフランス人だから、日本語を上手く話せない、です……」
拙い日本語で、必死に言葉にする。
その様子が前の世界での彼女と重なった。
シルヴィー・フォッセ――俺に初めてできた異性の友達。そして、あの惨劇の被害者である。
彼女が殺された理由がわかったわけではない。ただ大切な友達として、惨劇に彼女を巻き込まないことも、このゲームにおけるクリア条件の1つといっても過言ではないのかもしれない。
「シルヴィーさんの席はそこね」
「んっ」
中央最後列の1個前の、空いている席――俺の前の席を指差す米倉先生。
こくりと頷いたフォッセは、その指示通りに席に着席した。
「……背を向けてんのに綺麗だな」
背筋を真っ直ぐに張るフォッセ。姿勢がすごくいい。座っているだけなのに、彼女の品格の高さが伺えた。
………………。
…………。
……。
ホームルームが終わって、いつの間にか俺の前の席に人だかりができている。その中心には、フランスからの帰国子女――フォッセがいた。
「シルヴィーさん、彼氏いるの?」
「その髪の毛って地毛?」
「シルヴィーさんって可愛いよね。フランスでもモテモテでしょ?」
クラスメイトからの質問攻めに、フォッセは強張った表情を見せる。日本が聞き取れないわけではないが、どうも理解が追いついていないみたいだ。
まあ、聖徳太子ではないのだから、同時に10人以上から質問されれば、困り果てるのも仕方がない。
それは始業式を終えて、教室に戻ってきた後も続く――。
「フランスってイケメン多いんでしょう!?」
「なんで日本語を話せるんですか?」
「ハローハロー。シルシルって可愛いな!」
「あ、ぅ……!」
身を乗り出して質問するクラスメイトに、翠の瞳をくらくらさせるフォッセ。いよいよ限界が近い。
助けてやりたいのはやまやまだけれど、自分から選択肢の死地に飛び込むつもりはない。
しかし、そうは問屋は卸さなかった。フォッセが助けを求めるようにして、後ろの席を振り返ったからだ。
クラスメイトも彼女とともに、俺に視線を向けるのだが、
「もうそろ先生来るし、座ろうぜ」
「そうね。帰りの支度をしましょう」
「な、な、昼から、どこ行くー!?」
なにもなかったかのように1人残らず退散していった。
「みんな、どうしたんですか?」
「さあ……?」
フォッセのごもっともな質問に首を傾げる。
気づいたら、周囲に避けられるようになっていたのだから、理由などわかるはずがない。逆に俺が聞きたいくらいだ。
「あのっ……ありがとう、ございます」
「礼はいらないからな。俺がなにかしたってわけでもないんだから。逆に困ってるのをわかっていながら、行動に移さなかった俺を怒ってくれてもいいんだぞ」
「そんな……! ワタシは、困ってるところを助けてもらった、って思ってますから。ありがとう、です。ええと、お名前は……?」
「あーそっか、そうだな、俺が一方的に知ってるだけだもんな。俺は、多知川 優也。よろしく頼む」
「ワタシはシルヴィー・フォッセ。シルヴィーって呼んでほしい、です。ユー……ユー、ヤ……。ユーヤ?」
「おう、優也だ。その……シルヴィー」
「よろしく、です、ユーヤ!」
「おうさ」
フォッセ――改め、シルヴィーと固い握手を交わす。
すべすべとした綺麗な手。妹以外の女の子に触れるのは人生初の快挙で、胸が高鳴る。世の中のリア充男子は、こんなことを平然としていたのかと感心するしかない。
当然だが、妹以外の女の子を名前で呼ぶのも、彼女が初めてである。
う、うぅ……幸福だアアァァァ……!
「ユーヤ……?」
「な、なんだよ!?」
「あの、」
落ち着い声によって、幸福な時間から我に帰る。
シルヴィーは、きょどる俺を心配そうに、お願いしたいことがあるように上目遣いで見つめていた。
「なんかあるなら言えよ。……友達だろ?」
「ユーヤ、照れてます。顔が赤い、です」
「そりゃあ。普通はこんなこと口にしないからな。ま、困ったこと、わからないことは俺を頼ればいいさ」
「ワタシとユーヤが友達だから、ですか?」
「うっせぇ。恥ずかしいことをいちいち言うな」
シルヴィーに尽くしたところで、罪悪感は拭えない。それに関わることによって、また惨劇に巻き込み、同じ結末を招くかもしれない。
だけど、シルヴィーと仲良くしたい。友達として、学校生活を送りたい。そんな気持ちから、彼女とまた友達になった。
ただ――。
「あの、友達になった証にパンをもらってほしい、です。一応、ワタシの……手作り、です……」
▶︎パンを貰う
▶︎パンを貰わない
俺とシルヴィーが関わったことで、この未来は見えていた。否、足掻いたところで、選択肢で未来を変えない限りは、彼女と関わらなくても同じようになっていたことだろう。
「……」
「パンは苦手、ですか……?」
どんな理由があったとしても、俺が彼女の手作りパンを食べるわけにはいかない。結末を回避するためにも、同じ選択肢を選ぶことだけは許されなかった。
それでも保険として、【Q.SAVE】に上書き保存をし、【SAVE】画面のNo.2のファイルにここまでのデータを記録しておく。
No.2
4月9日 11時10分 3年A組の教室
▶︎パンを貰う
▶︎パンを貰わない
「わるい。全然、腹が減ってないんだ。たらふく食ってきたから」
腹が空いてないのは嘘。朝ご飯を抜いてきたのだから、当然、減っている。
「空いてないならしようがない、です。味にもあまり自信がない、ですし」
「んなことはない。見た目はしっかりとしてるし、味もきっと美味しいと思うぞ」
「いいのは見た目だけで、もしかしたら不味いかもしれない、です。食べてみないとわかりません」
「そこは友達のセリフを信じろって」
「んっ。ありがとう、です」
「ああ、どういたしまして」
シルヴィーからすれば、根拠のないお世辞に聞こえるだろう。
だけど、俺は知っている。シルヴィーの手作りパンは甘くて、とても美味しいことを。