1.妹がいない孤独
4月9日 take2 9 の続きのお話になります。
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優梨が死んでから、何週間経っただろうか。春の柔らかな暖かさは完全になくなり、蒸し暑い梅雨の時期に突入していた。
「…………」
優梨で彩られた世界が灰色に堕ちた――。
優梨がいなくなって、まるで生きる気力を失ったかのように絶望していた。彼女の存在が俺の生きる理由だったのだから、そうなってしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
「優梨……」
最愛の妹の名前を呟くが、反応などあるはずもなく虚空に消える。
妹を殺した張本人――シルヴィー・フォッセとは事件以降、彼女の席が俺の前のため配布物などで顔を合わせる機会はあるけれど、お互いに距離を置いている。
事件のことで一言二言あってもいいのではないかと考えつつも、優梨をその手で殺めてしまってことに対して思うことがあるのかもしれない。
学校を終えて、家に帰宅する。
家の中はゴミと衣服が散乱していて、まるでゴミ屋敷。優梨が生きていたころを考えるとありえない光景だ。
「いまになって、優梨のありがたみを感じるなんてな……。もっとたくさん感謝を伝えとけばよかった」
失ってからわかる優梨の大切さ。数えきれないほどの感謝と後悔が俺の胸を抉っていく。
「優、梨ッ……」
優梨を想うたびに自然と涙が流れる。
優梨が生きていたころは、楽しかった。
優梨が生きていたころは、寂しさなんて感じたこともなかった。
優梨が生きていたころは、悲しくて泣いたことなどなかった。
「クソ、なんで……! なんでだよッ!」
優梨が生きていたころの記憶、一緒に過ごした思い出が蘇り、虚無感が襲ってくる。
「…………」
何も考えたくない。何も思い出したくない。
「寝よ。寝たい……」
バッグを放り投げ、制服のまま玄関で寝転がる。
最近は頭と身体が疲れないと眠れないのに、いまだけは身体から意識を遠ざけることができた。
「……」
寝ている間だけは優梨のことを考えずに済む。心が安らぐ、唯一の時間だった。
………………。
…………。
……。
寝苦しさで目を覚ます。
夕暮れの太陽はどこへやら、夜の帳が下りていた。
「ん……」
重い瞼を擦り、ゆっくりと起き上がる。身体にかけられていたタオルケットがすらりと落ちた。
いつの間にタオルケットが……?
「優梨……?」
ありえるはずのない淡い期待を囁きながら、リビングに続くドアを開いた。
包丁とまな板が奏でる小気味よいリズムと芳醇な匂いに誘われて、自然と脚が台所に向いていた。
台所には、薄桃色のエプロンを纏って調理をしている女の子が1人。
あのエプロンは、俺が小学校ころに家庭科の授業で縫ったものだ。
クラスメイトからは男なのに「どうしてピンク?」と陰で笑われたけど、優梨にプレゼントするためと選び、丁寧に裁縫した。彼女の割れんばかりに喜んだ笑顔はいまでも忘れられない。それ以来、台所に立つ際には必ず着用してくれていた。
本当に優梨なのか……?
優梨が目の前にいる。夢を見ているような心地だった。
でも、
煌びやかに輝く銀色の髪に、エプロンの上からでもはっきりと浮かび上がる身体のライン。
「優梨、じゃない……」
彼女の容姿は、明らかに日本人離れしていた。
「ユーヤ……」
「あっ……」
名前を呼ばれて銀髪の美少女が振り返る。その表情は少し不満そうな顔つきで、しかし、翠瞳は柔らかく安心しているようにも見えた。
「ごめんなさい。ワタシ、です」
「シルヴィー?」
「んっ。シルヴィー、です」
「いや、でも、どうして、シルヴィーが……?」
1人で下校して家まで帰ってきたことは覚えている。その後は……そう、疲れたのか玄関で寝落ちて――。
「ユーヤ、家の鍵を閉め忘れて玄関で寝ていたから、不安になって」
「そーいや、閉めてないか」
「家の中も散らかっていたので、衣類を洗濯したり、ゴミをまとめたり、あと最近はインスタントばっかりみたいだったので料理したり……。ユーヤの許可がないのに家に上がって、勝手なことして、ごめんなさい」
「シルヴィーが家にいたことには驚いたけど、家事をしてくれるのは助かる。あれ以来、手づかずで何もしてなかったからな」
「……ごめ……、なさ、い」
あれ以来とは言わずもがな。それを理解しているシルヴィーは顔面蒼白で、謝罪の言葉もおぼつかなかった。
「……謝ったところで別に」
大人気なかった。
結局、優梨とシルヴィーの関係が険悪である以上、遅かれ早かれ2人は殺しあうことになっていた。それがつい数ヶ月前のことで、死んだのが優梨だったというだけ。
妹を殺された兄としては、死んだのが優梨だったというだけ、と片付けられるはずもないのだが。
「……」
「それより飯食おうぜ飯」
優梨について話すだけで、何もできなかった自分に対する無力感とシルヴィーに対する憎しみに押し潰されそうになる。
だから、強引に話題を切り替えた。
「っ……ん。盛り付けたら完成、です。だから、リビングで待っててください」
「はいよ。期待してるな」
「期待は、ちょっと……。ユーヤの口に合うかどうか」
「大丈夫だって。腹がペコペコで何でも食べられそうなんだ」
まともな料理を前に、脳と腹が空腹を訴えてうるさい。こんなに食欲が湧いて出てくるのは久しぶりだ。
きっとシルヴィーの台所での立ち居振る舞いが優梨を思い出して期待してしまうのだろう。
優梨の手料理はもう食べられないのに――。
「お待たせしました」
数分もしないうちに、テーブルにカレーとポテトサラダが並ぶ。
「おっ……美味しそうじゃん。でも、こんか食材冷蔵庫にあったか……?」
カレーには脂身の良さそうな豚肉と甘い匂いを醸すりんご、ポテトサラダにはみずみずしい野菜がふんだんに使われている。伽藍堂としていた冷蔵庫から使われた食材とは思えないものばかりだ。
「買い物に行ってきましたから」
「それなら金出すよ。いくらだ?」
「いいえ、ワタシが勝手にしたこと、ですから。冷めちゃう前に食べてほしい、です」
「お、おう」
シルヴィーは、急かすようにカレーをスプーンですくって俺の口元まで運んできた。
俺の口に合うかが気になってソワソワしている様子でこのまま金の話をする空気ではなく、食べさせてもらうわけにもいかない。
自分のスプーンに山盛りになるほどのカレーを乗せて、大きく口を広げてパクリと食べた。
「おぉ……! りんごが入ってるのに甘すぎず、酸味とコクがあってすげぇ美味しい」
「もしかしたら、バターがいいアクセントになってるのかもしれない、です」
「ポテトサラダも美味しい……シルヴィーって料理上手なんだな! きっとあのパンも美味しかったんだろうな」
「あのパン?」
「ほら、お前の転校初日に俺に譲ろうとしてくれたパンだよ」
「ブリオッシュ、ですか?」
「たぶん、それ。雪だるまみたいな形をしたパンだよな」
「ブリオッシュ、ですね。あのときは食べてもらえなくて残念でした」
「ちょーど腹がいっぱいだったんだよなぁ。優梨の作ってくれた朝食を食った直後ってのもあったんだろうけど」
「ユーリ……」
殺した相手の名前を悲しげに呟く。彼女もまた俺と同様に優梨の死を引きずっている。
シルヴィーは優しい女の子だから。彼女は優梨と友達だったから。
後悔してないわけないよな。
「……美味しい、美味しいな! おかわりくれよ!」
「ゆ、ユーヤ……? そんな飲み物みたいに……」
「それくらい美味しいんだって! ささ、おかわり」
「ふふっ……ありがとう、ございます。おかわり、まだまだありますから、いっぱいしてください」
「おうともさ。こんなん食ったら、もうカップ麺生活に戻れる気がしないぜ」
気不味い空気をかき消すように、カレーとポテトサラダを腹に流し込んでいく。こんな美味しい料理を前に湿っぽい話は相応しくない。
久しぶりに誰かと食卓を囲んでいるんだ。いまだけは優梨のことを頭の片隅に置いて、楽しい団欒を過ごしたかった。
 




