8.妹の誕生日 優梨side
9月6日――今日は私の17歳の誕生日。
「優ちゃんは、したいこととかありますか?」
「ユーリの行きたいところでも大丈夫、です」
「ん〜……急に言われてもなにも思いつかないなぁ……」
放課後、シルヴィーちゃんと奈々ちゃんに呼び止められて、自分の席から動けないでいた。
お兄ちゃんは先に帰宅すると連絡があった。2人はきっと誕生日パーティーの準備をするお兄ちゃんのために時間稼ぎをしてくれているんだと思う。
「でも、3人でダラダラ〜ってしながら駄弁るのもいいよね」
お兄ちゃんが準備の時間を必要としているんだったら、ピエロになるしかないよね。
ほんとは、いますぐにでもお兄ちゃんと2人きりになって、一生に一度の17歳の誕生日を祝って欲しい。だから、今日の学校も本当はお休みしたいくらいだった。
けど、お兄ちゃんはそれを望まなかった。
お兄ちゃんはいまの日常を幸せに感じているからこそ、日常に小さな亀裂も生みたくないのかもしれない。
「女子会みたいなもの、ですか?」
「自分とシルヴィー・フォッセの間に女子会を開くほどの話題があるとは思えませんけど」
「そう、ですね。ワタシ、ナナのこと全然知らない、です」
「シルヴィーちゃんと優ちゃんは、私の友達の友達みたいな関係だもんねー。だから、なんとなーくで関わってきちゃってたけど、せっかくの機会だから仲良くなっとこーよっ」
「優ちゃんがそうおっしゃるのであれば。……シルヴィー・フォッセと仲良くですか」
「奈々ちゃんは、まず呼び方から直していかなくっちゃ。フルネームなんて堅っ苦しいよ」
「シルヴィー・フォッ――ふぅ……」
またフルネームで呼んでしまいそうになったところで落ち着いて深呼吸。
奈々ちゃんは、私とお兄ちゃん以外には、基本的に苗字かフルネームで呼んでいるから、親しげに呼ぶには時間がかかりそうだ。
「ワタシは、ナナって呼んでますけど、いい、ですか?」
「好きにして。自分は呼び方、呼ばれ方に拘りはないですから」
なんて澄まし顔で口にする奈々ちゃん。私のことは優ちゃんって呼ぶくせに。ほんとに私以外の人間は眼中にない。
だけど――。
奈々ちゃんにプレゼントした盗聴器付きリボンモチーフのネックレスから、最近はお兄ちゃんに接触する機会が多いことが確認できている。
それに奈々ちゃんのお爺ちゃんであり、高岡高等学校の理事長――美崎 源治との邂逅と口約束も把握している。
お兄ちゃんがどうして蚕ちゃんのこと知っているのか不思議でならないけど、お兄ちゃんのおかげで穏便に済んだのは助かったかな。
「呼び方も決まったところで! そーだなー、私たちに共通の話題があるといーんだけど」
「やっぱりユーヤとか、ですか?」
「やっぱり、とは。優ちゃんとシルヴ――フォッセさんの2人はわかりますけど、自分は共通の話題といえるほど彼のことを知りません」
「でも、一昨日、ユーヤとケー――」
「フォッセさん、それ言うとサプライズが台無しになってしまいます。控えてください」
「あっ……。んっ、ごめんなさい」
「え〜、最後まで言ってよー! 続き気になるじゃんっ」
そもそもお兄ちゃんの護衛は私が奈々ちゃんに頼んだことだから、一緒に過ごしたことくらいは知っている。お兄ちゃんと奈々ちゃんがケーキやプレゼントを買いに行ったことも盗聴器で筒抜けだけど。
「続きを話すほどのことじゃ……。それよりお兄さんのことでしたね。自分も多少は2人の会話に混ざれるかもしれないので、よかったら」
「うーん、せっかくの女子会だから、お兄ちゃんの話はやめとこっか。仲良くなることが目的なのにケンカに発展しちゃうかもだし」
シルヴィーちゃんはもちろんのこと、奈々ちゃんの口からお兄ちゃんのことを聞いたら。
思い違いかもしれないけど、奈々ちゃんはお兄ちゃんに好意を――ううん、奈々ちゃんに限ってそんなこと。
でも、お兄ちゃんを突き放すような態度と「お兄さんはやっぱり優ちゃんのお兄さんなんですね……」という優しさのこもった呟き。そのときの表情を見ないことには確信できないけど、そうとしか思えない。
はぁ……お兄ちゃんは罪作りだよ。
「あっ……お兄ちゃんから連絡来てる。急いで帰ってこーい、だって」
「それはそれは。引き止めてしまってすみませんでした」
「いーのいーのっ。この3人だけでおしゃべりする機会なんてこれまで一度もなかったし、すごく新鮮だったよ」
「自分も……そうですね、優ちゃんがこの機会を作ってくれたおかげで、フォッセさんと仲良くなれた気がします」
「んっ。少しずつナナと仲良くなれたら嬉しい、です。ナナは日本できた3人目の友達、です」
「自分とフォッセさんの関係を友達と敬称していいのであれば、自分にとっても優ちゃんに続く2人目の友達です」
「ユーヤは?」
「優ちゃんのお兄さん。それだけです」
「もう奈々ちゃんってばぁ……。今回は女子会ってほど盛り上がれなかったけど、また3人で集まっていーっぱいおしゃべりしようね!」
「はい」
「んっ」
お兄ちゃんのお願いを聞いて、私と一緒に過ごしてくれた2人に感謝しながら教室を後にする。
やっと。やっと。
お兄ちゃんと2人きりのお誕生日会の始まりだ。
………………。
…………。
……。
「えっ……お兄、ちゃん……?」
鍵を閉めてあるはずの自宅のドアノブがくるりと回る。
私の視界に飛び込んできたのは――包丁が胸に刺さったまま仰向けで寝転がるお兄ちゃんと、赤で染まった床に膝をつけた蚕ちゃんの姿だった。
「おかえりなさい、優梨ちゃん。あたし、優也くんを殺しちゃったわ」
何の後悔もない、至って普通のことをしたとでも言いたげに蚕ちゃんはそう口にした。
「どうして……?」
蚕ちゃんがお兄ちゃんを殺す意味がまるでわからない。至って普通であるはずがない。
お兄ちゃんに対し家族愛に近い感情を抱き、弟のように接し、姉のように慕われていた彼女が。私でさえも、お兄ちゃんをいない者のように扱う多知川家の中では、彼女はいくらかマシな人間であると認識していたというのに。
教員になったのもお兄ちゃんの成長を身近で見守りたいからというのも関わりを見ていればわかる。
なのに、どうして!
「どうしてって?」
「蚕ちゃん、お兄ちゃんのことすごく大事にしてたのに……!」
「そういう意味での質問ね。ええ、大事にしてた。大事にしてたから、教員になって一緒の時間を過ごしたし、教員を辞めることになった後も見守っていたわ」
「そんなに想ってて……なおさら、お兄ちゃんを殺したのはおかしいよね!?」
「……もうあの頃の優也くんはいないから」
「あの頃のって、お兄ちゃんは蚕ちゃんと一緒に遊んでた頃からなにも変わってないよっ! 優しくて、妹想いの……いまも変わらず、私の大好きなお兄ちゃんだもん」
殺意を向けるほどの変化があった。
「変えた張本人はそういうでしょう。でも、優也くんは優梨ちゃんからの異性愛に、優梨ちゃんへの家族愛にずっと悩んでいた。そんな彼が、あたしが何度説得しても優梨ちゃんが好きの一点張りで、あぁ……優梨ちゃんに汚されたんだって。だから――」
殺したってこと?
「…………」
私も、蚕ちゃんも同じ穴の狢。
なにを口にしたって蚕ちゃんの考えもお兄ちゃんが死んだ事実も変わらないのは、私が一番よくわかっている。
だって、お兄ちゃんが他の人間の手によって変えられたとしたら、きっと同じ行動をしていたはずだから。
だから、私たちには血がお似合いだ。
「さようなら、蚕ちゃん」
蚕ちゃんの身体から血飛沫が上がる。
お兄ちゃんを殺して、のうのうと生きていこうなんて許されない。お兄ちゃんを付け回し、私たちの日常を壊した彼女には当然の結末。
「お兄ちゃんっ……」
血濡れた汚れた身体で、お兄ちゃんに覆い被さる。
「ごめんね。私もすぐにお兄ちゃんのところに行くから。……きっとお兄ちゃんの妹に生まれ変わるから、そしたらまた恋人にしてください」
きっと彼の妹として生まれるのは必然で、兄である彼を愛するのは私の定めだから。
来世にお兄ちゃんとの幸せに願いを馳せながら、短い今世を終えた――。




