2.妹の友達に交渉
「ん……ふぁ……っ」
肉体に意識が宿る。だが、意識が肉体に侵食できていないのか、1つの体に2つの意識があるような不思議な感覚を味わう。
それも朝の暖かな日差しを浴びていくうちに違和感が薄れていった。
「よし、ばっちり目が覚めた。そういえば、今日の日付は、……やっぱり4月9日だよな――って、はぁ?」
俺は新たな違和感に気がつく。それはゲームの世界を経験していなければ、感じることのないものだった。
ゲームをプレイ中に右下辺りに映っていた【SAVE】、【LOAD】、【Q.SAVE】、【Q.LOAD】の4項目が見えくなっているのだ。
「本当に現実に戻ってこれたのか……?」
触れようとしても、その手は空を切る。ゲームのシステムが起動することはなかった。
「戻ってこれたって夢から? どんな夢を見てたの?」
「ぁ……あぁ……ゆぅ、優、梨ぃ……!」
「お兄ちゃんを驚かせよーって布団に隠れてたけど、ドッキリ成功みたいだね。んふーうりうり」
「……ふぅ……はは、成功だ。驚きすぎて動けなくなっちまった」
優梨に抱き締められて、ふわふわとした柔らかい感触と心を落ち着かせる温もりに身を委ねる。すごく気持ちがいい。
愛嬌のある笑い声も普段から聞きれ慣れた妹のもので、彼女が紛れもなく、多知川 優梨であることを実感する。
本当に現実の世界に帰ってこられたんだな……。
「それはズル休みする言い訳かなー? 普段は私がお兄ちゃんと家でイチャイチャしたいって駄々をごねても聞いてくれないのに、今日はどういう風の吹きまわし?」
「誰も休むとは言ってない。ただ妹が兄のために朝食を準備してくれてるはずだから、兄としては食ってから登校したいだろ? 遅刻確定になっちまうが」
「妹の行動を考えてくれるなんて、妹想いのお兄ちゃん素敵……!」
「兄想いの妹も可愛いぞ」
選択肢は出現していないが、朝食を食べずに登校するor先生に怒られることを覚悟で朝食を食べる――俺は後者を選んだ。これで√分岐が確定したはずだ。
ただゲーム内では後者を選択後、そのまま学校に登校しないことを選び続けた結果、バッドエンドを迎えた。だから、ここからは後者を選んで学校に登校する――俺がまだ経験したことのないルートへ進むために。
学校に行くことになれば、シルヴィーとの接触は避けては通れない。シルヴィーと接触すれば、奈々さんが優梨に報告するのは必死。情報網を断たなくてはいけない。
その布石として――。
「じゃあ、私は温めてくるから、お兄ちゃんは登校の準備をしといてね。んふー今日の朝食は手間をかけて作ったからね、絶対うまい美味しいって言ってくれると思う。その分起こしにくるのが遅くなっちゃったけど」
「ほいよ、期待しながら準備しとくわ」
「んふふんっ」
俺の返事に、優梨は機嫌の良さそうな笑みを浮かべて、リビングに向かって行った。
「ん、これでよし。さてと、優梨のスマホスマホ」
そうして、登校の支度をしてすぐに優梨のスマホを探して始める。
「あっ、あったわ」
自室から出ることなく、発見する。ベッドの上に置き忘れてたようだ。都合がいい。
優梨に無許可で画面ロックの解除を試みる。
「0、6、0、6と……お、いけたやっぱりな。ま、俺が優梨の誕生日である9月6日を暗証番号にしてんだから、兄が超大好きな妹が俺の誕生日を暗証番号にしてるのは当たり前か。さてさて、奈々さんの電話番号は……」
優梨のスマホの電話帳で奈々さんの連絡先を確認し、俺のスマホで連絡する。優梨のスマホでは通話履歴が残り、内々の話をしたことに気付かれると考えたからだ。
数回の着信音が鳴ってから、
「どなたですか? こんな朝早く電話とは、迷惑な人ですね」
「電話対応もそんなんなんだな。てか、前に会話したときよりも酷くないか? 知らないやつからの電話だから、不機嫌になるのもしょうがないような気もするけど」
丁寧な口調にトゲトゲしい態度をとる女の子が電話に出た。美崎 奈々さんだ。
俺のよく知る皮をかぶったにわかギャルではないが、たぶん優梨にやらされていただろうから、こっちが素なんだろうな。優梨の死後は、ずっと丁寧な口調でやりとりしていたし。
「どなたと聞いたはずです。答えないんでしたら、切りますよ」
「それは困る、すまんすまん。俺は多知川 優也、優梨のお兄ちゃんをやってる者なんだけどさ」
「優ちゃんのお兄ちゃんで、多知川 優也……あ、あ! ……ゴホン、優ちゃんのお兄さんと知らずごめんなさい」
「いや、いいんだ。最初に名前を名乗らなかった俺が悪い」
「いいえ、お兄さんが悪いとは……」
「すぐに名乗っておけば、そこまで警戒させることもなかっただろうから俺が悪い」
「そうですか。……ありがとうございます」
優梨の兄と認識するや否や態度を改める奈々さん。
にしても、優梨や俺以外の人になると、対応がドきついんだな。
「しかし、なぜ自分の電話番号をお兄さんがご存知なんですか?」
「それは優梨のスマホを勝手に……」
「わかりました。このことは優ちゃんに報告させていただきます」
「うおい。待て待て! 俺は多知川の兄妹の今後の話がしたくて連絡したんだ! 奈々さんの耳には絶対に入れておかなくちゃいけないことだから……」
「あなたが、理由もなく妹のスマホを弄る人間でないことを知っています。妹想いのお兄さんだと優ちゃんに聞かされていますから」
「それは助かる! ただ優梨が友達になにを話してるかを詳しく聞いてみたくはあるけど」
「それで、今後の話というのは?」
「んー……何て言えば、冗談じゃなく本気だってことが伝わるんだろうな」
「優ちゃんのお兄さんが、自分なんかに連絡して冗談を口にするとは思えないので大丈夫ですよ。それに自分と通話……どころか、あなたが優ちゃん以外の人間と通話していることが露呈すれば――」
「俺は優梨が好きだ。だから、ほかの女の子と会話することを黙認してくれ」
「……? ええと、浮気現場を見て見ぬふりをして欲しいということでしょうか。そのような頼みごとをするなど人間としてありえないですね」
「 い、いまのは語弊があった。そういうつもりは全然ない。その今日から帰国子女がうちの学校に編入するらしいんだよ」
「帰国子女なんて情報は全く……。しかし、お兄さんがそんなわかりやすい嘘をつくはずもないですよね。まさかお爺様が隠していた……?」
シルヴィーの父――クラウド・フォッセはフォッセ家の現当主様であり、フランスの外交官であることは知っている。娘の編入を内密に進めることくらい容易いだろう。
「今日登校すりゃわかることだ」
「そうですね。自分もお爺様に聞いてみます」
「そんで、そいつは、俺や優梨と関わりがあって、俺に好意を寄せてる。だから――」
「お兄さんが優ちゃんの語った通りの人物であれば、みなまで言わなくてもわかります。優ちゃんの幸せのためにも頑張ってください」
「俺を信じてくれるのか……?」
「お兄さんを信じるのではなく、優ちゃんが好いているお兄さんを信じています」
「実質、俺ってことじゃんか!?」
「浮気については黙認しますから、安心してください」
「浮気じゃないって。でも、女の子に浮気の公認してもらうって、なんかえっちぃな」
「意味がわかりません。……あ、気になっていたんですけれど、前に会話したときよりも酷いと語っていましたよね? 自分がお兄さんとお話しするのは今回がはじめてなはずですが」
「あ、あー勘違い。勘違いっす。忘れてくれ」
「はぁ……」
ゲームではやりとりをしたことがあっても、現実ではこれが初めてだ。失念していた。
今後は気をつけなければ。
しかし、奈々さんからすれば初対面だというのに、優梨の兄というだけで協力してくれた。奈々さんは本当に優梨のことが好きなんだということが伺える。
優梨の兄として、彼女の信頼を裏切るわけにはいかないな。
「ゆ、優梨がそろそろ呼びにくるだろうから、これで」
「怪しいですね……」
「いや、怪しくないって。んま、浮気のことよろしく頼むな。じゃ」
「はい」
「お兄ちゃん準備できたよ!」
通話を終了したのと同時に優梨から声がかかる。ちょうどいいタイミングで呼びに来てくれた。
「おう、いま行く」
ここからだ。
現実世界は、ゲームの世界のように同じ刻を繰り返すことも、自分の望むルートに辿り着くまで挑戦し続けることもできない。失敗は許されないのだ。
だから、次に実行するべきことはシルヴィー・フォッセの排除――。




