8.妹の友達の指摘
「あはは……勉強を教えてくれてたのに悪いな、急に腹が痛くなってきてさ。て、優梨はどうしたんだ?」
リビングに戻るとなぜか優梨の姿は見当たらず、奈々さんが物静かに座って待っていた。
「優ちゃんであれば、買い物に行きました。美味しい食べ物を食べさせてあげるんだ、と気合いを入れてましたよ」
「あーそろそろ食料が底を尽きそうだったもんな……。買い物に行くんなら、俺も連れて行けっての」
「あの、優也先輩。少しお話したいことがあるんですけれど、よろしいですか?」
「ん……? ああ、別にいいぞ」
奈々さんの改まった口調にドキリとする。もしかして告白!? なんて淡い期待を抱く。
だが、優梨が彼女を俺に紹介した以上それはありえない。
優梨は、自分以外の人間を俺から遠ざけてきた。とくに女の子には、かなり酷い仕打ちをしてきたことを知っている。その事実がある以上は、彼女が俺や優梨にとって無害な人間であることは確定的である。
「言いにくいことなのですけれど、多知川 優也さんは、優ちゃんのことをどう思ってらっしゃいますか?」
「は? ど、どうって……?」
嘘を突っつかれた感覚に陥り、心臓が大きく跳ねる。
「優ちゃんは、あなたのことを心から愛しているようだったので、多知川 優也さんはどうなのかなと」
「堅苦しい話し方の奈々さんは、ギャップがあってドキリとするな。は、はは……」
「軽いノリで伺うのは、失礼かと思いまして」
奈々さんは、俺の優梨に対する偽りの愛情に気づいたとでもいうのか!? いや、まだ知り合ってから間もない人間にバレるなんてそんな。
ふ、深読みするな。なんとなくで質問しただけのほうが遥かに理由としてありうる。
「大袈裟だな。答えてもいいけど、俺の答え次第じゃ、奈々さんは優梨を軽蔑するかもしれない。それは、優梨のためにも避けなくちゃいけない。その辺は大丈夫なのかよ」
「どんな答えでも受け入れる覚悟があります。優ちゃんを軽蔑するなんて、天地がひっくり返ってもありえません」
奈々さんの真っ直ぐな瞳には、嘘偽りはない。たぶん本心だろう。
「大した自信だな。そんな奴が優梨の友達なのは、兄としてすごく心強い」
「それはよかったです。で、どうなんですか?」
「……奈々さんの感じた通り、優梨は俺を愛してる。俺もまた優梨を愛してる。当然、家族としてじゃない。キスもしたし、身体で交わり合った。近親相姦……って説明したほうがわかりやすいか」
「多知川 優也さんが優ちゃんを大切に思っていることは傍から見ていてもわかります。日頃から妹想いの兄だと聞かされてきましたし、多知川 優也さんとやりとりをするときの優ちゃんは物凄く生き生きとしていますから」
「そりゃ、どうも」
「だからこそ、あなたが大切な妹に手を出したことが信じられないんです。お互いにまだ高校生の身であるにもかかわらず、赤児を身ごもるかもしれない行為をして……加えて、お2人は血縁関係にあります。あなたが世間体を気にせず、兄妹で愛し合えるのであれば構いませんけれど、そうでなければ何か裏があるとしか思えません」
奈々さんの心の中を見透かすような言葉に、俺の視線が泳いでしまう。
彼女には絶対的な確信があって追求しているようで、平常心を保つことが困難に近かった。
「う、裏があったとして、奈々さんに関係あるのか? 俺と優梨――家族の問題だろ!?」
「恋人ではなく、家族ですか。……愛してもいないのに、優ちゃんの好意を利用することが許せません」
「俺は、優梨を……愛してる。愛して、いるさ……!」
「家族として、なんて言い訳はやめてくださいね。優ちゃんは、あなたを1人の男性として愛している。その気持ちに応えることができない想いを認めることはできません」
「ッ……」
たとえ奈々さんが、根拠なしに俺が嘘をついていると仮定して動いていたとしても、俺を言いくるめた時点で彼女の勝利だ。
感情を殺し、人間性を捨てて、妹に尽くすことを誓ったはずなのに、妹の友達程度の言葉に気持ちが揺らぐ。
唯一の肉親である優梨に嘘をついてきたことの反動かもしれない。
だから、後悔と罪悪感と自責の念に耐えきれず、つい口を滑らせた――。
「俺が優梨を愛しているのは嘘じゃない。けど、1人の女の子に抱く愛情とは違う……」
「それで……?」
「ただ俺と優梨のいまの関係は、決して悪いものじゃないはずだ。そうだ、そうなんだ! 優梨は俺をこれまで通り愛して、俺はその好意に応えるだけで、優梨とずっと一緒にいることができる」
「愛されてもいない相手と添い遂げて、それで優ちゃんは幸せになれるとでも?」
「互いに欲求を満たしてるんだから、幸せを感じることくらいできると思うんだが。何がいけない? どこに不満がある? いいじゃないか、俺が選び取った選択は最善だっただろうが!」
俺が選び取った選択肢から紡がれた√は、俺や優梨が死ぬことも、周囲に迷惑をかけることもく。優梨と一緒にいたいという俺の願いが叶う。
最善といっても差し支えないだろう。
だというのに、優梨の友達程度の分際で感情論を垂れ流して、優梨の気持ちを代弁しようなどと片腹痛い。
「……」
「もうやめようぜ、こんな話。優梨にとって楽しい内容じゃないし、あいつに聞かれでもしたらさ、な?」
「……」
俺の提案に黙りこくる奈々さん。優梨が帰ってくるまでこのままでいるつもりなのだろうか。俺が語った事実を優梨に伝えるつもりなのだろうか。
であれば、どんな手段を使ってでも、口封じするほかない。
「おーい、俺の言葉が聞こえてくるか?」
奈々さんがどう動くか判断するために声をかける。
すると――。
「自分勝手な動機でええぇぇぇ……!」
「なにを!? ングッ……なに、しやがる……!」
小さくて、柔らかい感触がする奈々さんの手が、俺の首が覆う。しかし、その手はただ添えられたわけではなく、力任せに首を締め付けてきたのだ。
呼吸ができない――。苦しい――。
逃げようにも、適当な長さに切り揃えられた爪を突き立てられて、身動きが取れない。その前に意識が朦朧として、身体に力を入れることができない方が、抵抗できない理由としては大きいのかもしれない。
「感情に任せて優ちゃんの大事な人を殺めるなんて――彼女の意思に背きたくはありませんでした。それでも、あなたが許せなかったから……これは自分勝手な動機です。あなたのことを言えませんね」
「俺は、お、れは……本気で優梨を、愛していた、んだ……! 優梨もまた俺を……なのにお前は、俺を……優梨が愛してる俺を……」
「家族という柵から抜け出せないあなたが、本気という言葉で愛情を誇張したところで、家族愛の域を越えることはないです」
「他人が人の家に口出ししてんじゃねぇよ、ァハ……。ッ、俺たちはァ……唯一無二の兄妹だぞ……」
「そう、兄というだけで、優ちゃんから一途な愛を注いでもらえているのに、その体たらくですよ」
「はッ……羨ましいかよ……!?」
「自分には性別という枷を捨てて彼女を愛せる覚悟があるというのに、見向きもされないんですから……!」
僻み妬み嫉み恨みが募って、鬼の形相で首をより一層強く締めつけてくる奈々さん。溜まりに溜まった行き場のない鬱憤を俺にぶつけているようだった。
「ァ、ぐわ……ゃめ、ゃぁ……」
蛙が潰れたよう声が発せられる。
これでも残りわずかしかない精力を注ぎ、言葉を絞り出していた。それでも言葉の最後は楽譜に音符を書き忘れたかのように音にならず、奈々さんの耳に届くことはなかった。
酸素不足で脳が正常に機能しないなかで、優梨のことを思い浮かべる。
「ぁ、優……梨……?」
靄がかかった視界に包丁を手にした優梨の姿が映る。普段の天真爛漫な明るさが失われ、いまにも人を殺してしまいそうな狂気が前面に押し出されていた。
優梨は、本気で奈々さんを――。
ああ――この√でも、平凡で平和な、けど、ものすごく楽しい日常を2人で送ることができなかった。
そのことを悔いながら、俺は意識を失った。




