シルヴィーHistory
ワタシ――シルヴィー・フォッセには、好きな男の子がいる。
――タチカワ ユーヤ。
小学1年生の頃から同じクラスで、嫌いな牛乳を飲んでもらったことをきっかけに恋に落ちた。そのときの彼は、困った姫を助ける白馬の王子さまのようだった。
2年生に進級した今年も運がいいことに彼と同じクラスになった。
けど、進展は一切なく。ただ彼の後ろ姿を見つめる毎日を送っている。
「おい、優也。放課後なにして遊ぶ?」
「サッカーにしようぜー。みんな集まるだろ?」
「もちろん」
「今日こそ優也のシュートを止めてやるぞ!」
「ふふん、やってみろよ」
それもそのはず、クラスのリーダー的存在の彼の周りには、クラスメイトの男の子が集まっていたからだ。だから、安易に近づくこともできず、声をかけることも躊躇われる。
それどころか、
「優也くんかっこよくない?」
「足が一番速いし、勉強も得意だしねー」
「それにすっごく優しいもんね」
「好きな子いるのかなーあたし告っちゃおうかなー」
「あーずるいよぉ〜」
クラスメイトの女の子からも好意的に見られており、ワタシが割って入れる隙なんてなかった。
それほどまでに、ユーヤはクラスのみんなから慕われていたのだった。
――銀色の髪と翠色の瞳のせいで、周りから浮いてるワタシとは大違い、です……。
放課後――。
今日こそは彼に話しかけようとしたけれど、クラスメイトを従えて足早に教室を後にしていた。
「今日もだめだったけど、明日こそは話せるはず、です」
お決まりの言い訳を口にし、ランドセルを背負う。
彼のいない教室に残ってもとくにやることがないし、窓際に陣取ってワタシの陰口をしている女の子に対してわからないフリをするのも苦痛でしかない。いますぐにでも教室から逃げ出したかった。
「さようなら」
小さく、誰にも聞こえないくらいの声で囁き、廊下に足を踏み出す。
すると、教室を出てすぐに、
「教室にお兄ちゃん、いる……?」
鈴のような甘い響きのする声にワタシの意識がもっていかれた。
その声の主は、天使のような愛らしさを纏う女の子だった。ワタシよりも一回り小さくて、黒く艶やかとした髪は2房に結い、茶色がかった大きな瞳はワタシを見つめ、ふわふわしていそうな頬には涙が伝った跡があった。
「お兄ちゃん、ですか?」
「うん、お兄ちゃんっ」
「お兄ちゃん……」
名前を聞こうと問いかけたはずが、お兄ちゃんとしか返ってこない。意図が伝わらなかったみたいだ。
だから、女の子の胸元にある名札を見る。それが女の子とそのお兄ちゃんの素性を調べる一番手っ取り早い方法だと思ったから。
――1年2組のタチカワ ユーリ……タチカワ?
タチカワという名字にピンときたワタシは、彼の妹だったらいいなと自分にとって都合のいい期待を抱きながら女の子に質問する。
「ユーリのお兄ちゃんは、タチカワ ユーヤ、ですか?」
「そうだよ! ユーヤお兄ちゃん。私の大、大、大好きなお兄ちゃんっ!」
「ユーヤは教室にはいません。でも、どこにいるかは知ってます」
「ほんとにぃ!? やった! やったー! ねぇねぇ連れてって」
「いいですよ」
女の子――ユーリはユーヤに会えるとわかるやいなや可愛い笑顔が元気よく弾けた。
ワタシも内心ではユーヤに会える口実ができたとかなり喜んでいる。それを表に出さないのは、ユーヤの妹である彼女に良い印象をもってほしかったからだと思う。
「ありがとう! えーと、きれいなお姉さん?」
「違います。ワタシはシルヴィー、です」
「シルヴィーちゃんかぁ……かわいいお名前だね!」
「ありがとう、ございます」
「じゃあ、お兄ちゃんを連れ戻しにいこー! おーぅ!」
「ん……うん」
いまにして思えば、ユーリとのこの出会いはワタシの運命を決定づけるできごとだったに違いない――。
手を繋ぎながら、ユーヤのいる土手のサッカーグラウンドまでやってきた。
17時30分を告げる夕焼けチャイムが数分前に流れ、ちょうど解散したばかりみたいだ。
「お兄、ちゃん……!」
「ユー、ヤ……」
「優梨……。それにシルヴィーも……こんなとこまでどうしたんだよ」
「教室に行ってもお兄ちゃんがいなくて……。そしたら、シルヴィーちゃんがお兄ちゃんのいるところに連れて行ってくれたの」
ここまでの経緯を説明するユーリ。ユーヤと会えない時間が寂しかったのか、ユーヤの腕にぎゅっと抱きついて離れない。
「そっか、シルヴィーありがとな。妹のわがまま聞いてもらったみたいで。ほら、優梨お前もありがとうを言え」
「ありがと、シルヴィーちゃんっ!」
「いえ、こちらこそ……。ユーヤには牛乳のことで助けてもらったから、ぜんぜん大丈夫、です」
「牛乳? あぁ……あんなので助けてもらったとか思わなくていいんだぞ。シルヴィーは牛乳が苦手なんだろ?だから、無理するなんておかしいし、俺も飲みたかったから丁度よかったんだよ。な?」
「ん、んっ……」
にこりと眩しい笑顔を照らしてくるユーヤ。
ワタシは、あどけなさとかっこよさが入り混じった表情に心がキツく締め付けられる。
――やっぱりワタシは、彼のことが好きみたい、です。
そのことに気づけただけでも、ユーリを彼の元に届けられてよかったと思える。
「じゃあまた明日、学校でな」
「またねーシルヴィーちゃん」
「ん。またね、です……」
「にしても、家でも会えるんだから、我慢してくれよ」
「なんでーっ! 1年生になったら、幼稚園のときみたいにいっぱい遊んでくれると思ったのに!」
「わかったわかった。帰ったら、いっぱい遊んでやる」
「んふー」
ユーリはユーヤの腕に抱きつきながら、そんなやりとりをして帰っていった。
ユーヤと一緒に帰る絶好のチャンスだとはわかっていても、2人の仲睦ましくしている姿を見せられたら割って入る勇気など出てくるはずもなかった。
しかし、ユーリとの出会いは、なんだかんだでワタシに幸をもたらす。
今回のことをきっかけにユーリとよく遊ぶようになったのだ。
「今日のお兄ちゃんどうだったー?」
「モテモテでした。クラスの女の子が、誰から告白するかケンカするくらい、です」
「お兄ちゃんが優しくて、かっこいいのはわかるけど、お兄ちゃんは私のなんだからねっ」
ワタシが学校内でのユーヤの様子を、ユーリは学校外や小さい頃の様子を話し、ユーヤの情報を共有することがワタシとユーリの放課後の日課になっていた。
おかげでワタシはユーヤを身近な人間として感じることができるようになったし、ユーリとは友達になれたような気がした。たぶん彼女が初めてできた友達だったと思う。
けど、ある日を境にユーヤがユーリと一緒に帰るようになり、放課後の日課が自然と消滅していった。
さらには、騒がしかったはずのユーヤの周りが静かになって、ユーヤ1人でいることが多くなっていた。クラスメイトの様子を見るに、ユーヤを無視しているのではなく、避けているようだった。
ワタシは、そんなユーヤを見ていることがつらくて、彼の支えになりたいと思って、告白することに決めた。
だから、まずは妹であるユーリに許しを得て、告白しようと思った。それが兄を慕っているユーリに対する、初めてできた友達に対する贖罪だと思ったのかもしれない。
でも――。
「お兄ちゃんが牛乳を飲んでくれたから、好きになったの?」
昼休み中に女子トイレに連れてこられ、理解できないといった表情でユーリが首を傾げる。
それに対し当時のワタシには、ユーヤへの好意を説明できるだけの語彙がなかった。それでもそのことがきっかけで彼を好きになったから、ユーリに好きの気持ちが伝わるように力強く頷いた。
「んっ」
「そうなんだ。ん〜わかんない。私にはぜんぜんわかんないなぁ……」
「なんて言ったらいいのか……。えっと、ユーヤの優しいところが好きで、その……」
「お兄ちゃんはみんなに優しいの。だから、シルヴィーちゃんだけじゃないもんねーだっ」
「ご、ごめんなさい……」
「お兄ちゃんを好きになっちゃう気持ちはわかる。わかるよ」
「ほんとに……?」
「うん。でもね、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだからッ!」
「えっ!?」
不意にユーリに肩を押されて、便座にお尻を打ち付ける。その上に向かい合う形で跨ってきた。
間近で見るユーリの表情からは、あどけなさが消え失せ、1人の男性を愛する女性の顔をしていた。
「あーぁっ。シルヴィーちゃんは邪魔しないって思ったのになーざーねんっ」
「牛乳……!? ユーリ、やめっ……」
「んふーごめんね? 私とお兄ちゃんの世界にシルヴィーちゃんはいらないから」
「んんーッ。んーッ……!」
ワタシの鼻の穴にストローが入ってくる。ストローは、牛乳パックとつながっていて、これから何をされるのか予想がついた瞬間、全身から血の気が引くのを感じた。
しかし、ユーリの天使のような愛らしさを纏う女の子からの急な変貌ぶりにワタシの脳は理解が追いつかなくて、なすすべもなく鼻の穴に牛乳を出された。
あまりの気持ち悪さに食べたばかりの給食を吐いて、恐怖に耐えられなくてお漏らしまでして――。
「うわぁ、シルヴィーちゃん、きったなぁい。……でも、これでわかったよね? お兄ちゃんがだれのものか」
「ッ……」
そして、ワタシはこのできごとを理由に2年生の夏休みを待たずしてフランスの学校に転校した。
あとになって、みんながユーヤを避けるようになったのは、ユーリが原因であることに気づいた。
だから、ワタシはユーヤをユーリの鳥籠から出してあげたいと、ユーリが改心してくれるなら仲直りをしてまたユーヤについて語り合いたいと思った。
それはユーリが日本で初めてできた友達だから、ユーリが初めて好きになった人の妹だから。




