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8.帰国子女の初恋の思い出

 密室に閉じ込められてから、何時間が経っただろうか。

 手足は相変わらず拘束されたままで、身動きを取ることができず。脱出の糸口を未だに掴めていなかった。


 閉じ込めた張本人であるシルヴィーは、数十分くらい前に「待っててください」と笑顔で出て行ったきり、顔を見せていない。


「遅くなりました。ごめんなさい、です」


 噂をすれば、差し込んだ外の光からシルヴィーが現れる。セーラー服の上にエプロンを纏い、木製のトレーを持っていた。

 彼女の制服エプロン姿は、学生カップル感、同棲感、新妻感を醸し出しているのは興奮するので非常にグッド! なのだが、監禁されていることを思い出し、すぐに気持ちが萎えてしまう。


「……もう朝か?」


「まだ今日――4月9日は終わってません。4月9日19時、です。えっと……ユーヤ? 体調が悪い、ですか?」


「昼にここに連れてこられたとして、もう7時間も経過したのかよ……。外の状況が確認できないし、この部屋には時計もないんだから、仕方ないないだろ? 人間、太陽の光がないと体内時計が狂っちまうんだからさ」


「不自由をおかけして、ごめんなさい。でもこれもユーヤのため、ですから」


「俺のためなら、いますぐにでもこの枷を外してほしいんだがな。それで、優梨に動きでもあったのか?」


 シルヴィーの逆鱗に触れない程度に反抗する。

 薄暗い閉鎖空間では、たまには毒を吐かないと溜まった苛立ちがいつ爆発するかわからない。穏便に事を運ぶためにも、それだけは避けなくてはならなかった。


「いいえ、まだ。だから、時間があったので、ユーヤのために晩ご飯を作ってきました。その……ユーヤに手料理を振る舞いたいってずっと夢見ていたから」


 シルヴィーは俺の側で正座になり、膝の上にトレーを置いた。

 トレーには、肉じゃが、和風ドレッシングゴマ風味のサラダ、豆腐とネギの味噌汁、フルーツヨーグルトが並んでいる。

 どれも美味しそうなのだが、なによりも目を惹いたのは赤飯だ。何か祝いことでもあったのだろうか。……あまり考えたくない。


「口を開けてください。ワタシが食べさせてあげますから」


 しかも、一口量の赤飯をスプーンですくって、差し出してきている。


「いや、食事時くらい外してくれよ。自分で食うから」


「だーめー、です。はい、あーんっ」


「俺は子どもか! 自分で食えるってぇの! てか、食わせろ」


「むぅ……あーん。んん、あーんっ」


 言う通りならない俺に、ムスッとした顔で料理を口元に差し出してくれるシルヴィー。

 こんな状況でなければ、彼女を可愛いって、リアルが充実してるなって思えるんだけどな……。


「ま、食えないよりかマシか……。いざって時に動けないと困るしな。恥ずかしいけど」


「そうですよ、食べましょう。はーい、ユーヤ。あーんっ」


「あ、あー……あん、んっ、もぐもぐ……」


 赤飯の乗ったスプーンが口に入る。

 もちもちとした米と少し粘ついた小豆の感触が口いっぱいに広がった。


「んっ、あー……美味、しいな。俺、ぜんぜん料理したことないから、こんだけ美味しいの作れるとか羨ましいわ。あ、飲みもんを飲ませてくれ」


「味噌汁でいい、ですか? 熱いかもしれないので気をつけてくださいね。ふーぅ……ふうぅ……。はい、あーんっ……」


「あー……んふぅ……。ごく、ごく……。んまい、それにあったまるな」


「ユーヤに褒められるなんて嬉しい、です。頑張った甲斐がありました。まだいっぱいあるので、よかったらどうぞ」


「おう、そうさせてもらうな」


 女の子にご飯を食べさせてもらい、恋人のようなやりとりをしている。そう聞けば、幸せなひとときを過ごしていると思うことだろう。


 しかし、実際には俺の命を彼女の手の中にある。優梨を消そうと動いている。多知川兄妹の命は危険と隣り合わせにある。

 そんな中で口にする料理の味などわかったものではない。

 ただ栄養を体内に溜め込むだけ。シルヴィーの手料理を咀嚼する作業に勤しんだ。


「……ふぅ。ご馳走さま」


「お粗末さま、です。お腹一杯になりましたか?」


「十二分に張った。サンキューな」


 料理に薬の類いが混入しているのではないかと危惧したが、とくに身体に違和感はなく。やはり彼女の目的は、優梨ただ1人であることが伺える。


 シルヴィーは空になったトレーをよけて、俺の肩に頭を預ける。

 さらりと舞い、俺の首元に滑り落ちた銀髪からは、女の子特有の甘い匂いがした。


「ユーヤは気になっていることない、ですか? ワタシのこと。ワタシとユーリのこと。……ワタシとユーヤのこと」


 上目遣いに見上げる翠の瞳が、俺をじっと捉える。エメラルドのような透明度の高い、綺麗な瞳に俺は吸い込まれそうになっていた


 だから、優梨のことではなく、俺が一番に気になっていること――シルヴィーがどうして俺に好意を寄せているのかを聞かずにはいられなかった。


「シルヴィーは俺を愛してるんだよな。じゃなかったら、自分のすべてを捧げるなんて平然と口にできないもんな……」


「そう、ですね」


「いつからだ? 俺とお前は、今日会ったばっかりの人間だぞ。なのに、愛してるなんて……」


 シルヴィーが、優梨と似た感情を抱いていることはわかっている。

 だからこそ、違和感を感じる。俺とシルヴィーが出会ってまだ1日も経っていない短期間で、なぜこんなにも重い愛情を――。


 その疑問を解決するために、シルヴィーの小さく震えている薄桃色の唇がゆっくりと口を開く。


「ワタシ……っ」


「……」


「ワタシがユーヤを好きになった理由は、その……」


「……ああ」


「ユーヤが牛乳を飲んでくれたから、です……」


「牛乳を、飲む……?」


「そう。ユーヤがワタシの飲みかけの牛乳を飲んでくれたから」


「飲みかけの牛乳、ってなんだよ」


 4月9日を二度繰り返したが、牛乳を飲んだことなど一度もない。女の子の飲みかけなどなおさらだ。


「ワタシ、小さい頃は日本で暮らしていたんです。だから、小学校も日本の小学校に通うことになって、そこで優しい男の子に出会いました。……ユーヤーーあなた、です」


「俺……? シルヴィーみたいな可愛い子といままでに会ったことないなんて……」


「ワタシはとても目立つ容姿だったので幼稚園の頃から周囲から浮いてしまって……友達もいませんでした。小学校に進学しても変わらないのかなと不安でした。でも、小学校に入学して、ユーヤに出会えました」


「小学校のときに俺と出会ったってことは、卒業アルバムに載ってるはずだよな。けど、銀髪翠瞳の女の子はいなかった気がするんだが」


「2年生の夏休みに入る前にフランスの学校に転校しましたから」


「転校には理由があるのか、俺や優梨が関わってるんじゃないのか?」


「あります。ワタシがユーヤに恋した理由にも。ワタシがユーリを恨んでいる理由にも」


「聞かせてくれ、シルヴィー」


 こくりと小さく頷き、シルヴィーは俺たちの思い出を語りはじめた――。


「入学当初、給食は残すのはしょうがないけど、牛乳は飲んでほしい、と先生が話していました」


「小学校の給食の量は、数日前まで園児だった子どもからしたら多いからな。先生も給食が食べきれない代わりに牛乳くらいは飲んでほしかったんじゃないか」


「だから、頑張って飲んだんですけど、ワタシは牛乳が苦手で、どうしても飲みきることができなくて。それを先生に説明する勇気も、相談できる友達もいなくて。そんなときにユーヤがワタシの飲みかけの牛乳を飲んでくれたん、です」


「女の子の飲みかけを俺が……か」


 優梨の、"同級生の女の飲み残した牛乳を飲んであげたよね? そのときにね、その女が、お兄ちゃんのことが好きになっちゃったんだって。"と紡いだ言葉が頭に過ぎる。


 当時のわんぱくだった俺でも、そうそう女の子の飲みかけの牛乳を飲むことはしないだろう。ということは、優梨の話は、シルヴィーのことだったのか……?


「でも、ユーヤはワタシの牛乳を飲んだことを先生に怒られて、嫌いみたいだから勝手に飲んだって言ってくれて。それから先生は、牛乳が苦手なワタシに配慮してくれるようになって。……ワタシのために行動してくれて、ワタシのせいで怒られたのに気にすんなって笑いかけてくれたユーヤをいつのまにか好きになっていました」


「そっか。シルヴィーのこと、だったんだな」


「そう、です。ユーリに、鼻にストローを入れられたのはワタシ、です。彼女からすれば、軽い気持ちで兄を横通りしようとする女と映ったかもしれません。ユーヤもそんなことで好きになったのかと感じると思います。それでもワタシにとっては、あなたを愛するために避けては通れない重要なプロセス、でした」


 欠けていた記憶が補完されていく。

 確かにみんなとは異なる髪や瞳の色をした女の子が印象に残っていた。その女の子の飲みかけの牛乳を飲んであげたこともあったと思う。

 その女の子が、シルヴィーだった。


 なら、シルヴィーに謝る必要がある。

 俺と関わりを持ったこと。妹がやったこと。多知川兄妹がシルヴィーの人生を狂わせたのだから。


「俺と出会ったせいで。だから、シルヴィーは優梨に酷いことをされたんだよな。ごめん、ごめんな。俺が情けなかったばかりに」


「せいでって言わないでください、謝らないでください。寂しい、です。ワタシはユーヤに出会えたことをとても幸運だと思っていますから」


「そうだよ、雌豚に謝る必要なんてないよ、お兄ちゃん。私たちのおかげで、シルヴィーちゃんは生きる証を見つけて、そのために頑張ってきたんだから。それを否定しないであげてよ」


 聞き慣れた可愛い声とともに、薄暗い密室に明かりが灯る。


「優梨……」


「もう探したんだからね、お兄ちゃんっ。日頃から発信機をつけておいてよかったね」


 一房にまとめたサイドテールがぴょんぴょんと飛び跳ね、兄を発見できたことを喜んでいるようだった。


 小柄な身長、膨らみかけの未成熟な胸、安産型の尻と肉つきがよくむちむちしているふともも。そして、なんといってもこの愛らしい笑顔!

 幻影ではない。紛れもなく、多知川 優梨――俺の妹だ。


「ユーリ……ッ!」


「こんばんは、シルヴィーちゃん」


 笑顔の優梨と怒り顔のシルヴィー。

 俺の妹と俺の友達が、ついに相見える――。

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