第一話 転生しました
目を覚ますと、目の前には大の大人も食い殺しそうないかつい巨人の男がこちらをにらんでいた。
これはどういったことだろう。思いつく可能性を考えてみる。
その結果、現代の科学技術は秘密裏に巨人の作成に成功しており、その実験が自分の所属する大学で行われていたが何らかの手違いで実験体が脱走して、研究室で寝落ちした自分を見つけて近寄ってきたのだと結論付ける。
未知の相手から目を逸らす、背を向けるといった行動は愚考だろう。それに人型であれば知性がある可能性が高い。ならばまずは挨拶だ。挨拶は全ての基本にして奥義。
俺はひとまずゆっくりと手を上げてあいさつすることにした。もちろん言語は全世界に通じるであろう英語だ。
「あぉう(ハロー)」
しかし聞きなれない声が俺の挨拶にかぶせて話し出したことで、俺の挨拶は意味を無くしてしまった。巨人も意味がわからなかったのか首を傾げている。
先程の声の主が誰なのか気になるが、ここはもう一度チャレンジするべきだと思い、俺は今度は腹に力を入れて挨拶した。
「ぅあぉー!(ハロー!)」
しかしまたしても妙にガキっぽい高い声が俺の挨拶を邪魔してくる。いったいこの声の持ち主はなんなんだ。タイミングよく俺の邪魔ばかりしやがって。というかこの研究室には当たり前だが子供は入ってこれない。つまり外部の存在ということだ。ということは別の実験個体か。
俺は新たな存在の可能性に気付き辺りを見回そうとする。しかし、体がうまく動かない。手足の感覚が鈍い。首は少ししか回らない。どうやら机で寝落ちした後寝ぼけてソファーまで移動し変な格好で寝てしまったために、寝違えてさらに手足の血管を塞いでしまい一時的に手足がマヒしている、といったところか。
仕方ないがここは身体が回復するまで目の前の巨人に集中することにしよう。しかし周囲へ注意を払うことは忘れない。
目の前の巨人はそんな俺の様子を黙って見ていたが、おもむろに表情を崩したかと思いきや後ろを向いて叫んだ。
『ソフィアー! シアンが目を覚ましたぞー!』
やばいな。何語を喋っているのかわからない。それにどうやら興奮した様子で仲間に呼びかけているようだ。ということはやはり実験体は少なくとも二体以上いるということになる。こいつらが危険な生物だった場合、間違いなく俺は殺されるだろう。まだ三十年も生きていなかったが、俺の人生はどうやらここでおしまいのようだ。
こうして辞世の句をつらつらと考えていると、巨人の男が声をかけた方向から、なにやら巨大な氷の物体が飛んできて、巨人の頭に衝突した。
もしや援軍か。しかし現代兵器で巨大な氷を吹き飛ばすなんてものはあっただろうか。兵器には詳しくないが、どうも不自然な感じがする。
『カイン~、赤ちゃんのそばで大声を出しちゃダメって何回言わせれば気が済むの~?』
きれいなソプラノボイスと共に今度はきれいな女性の巨人が現れた。どうやら先程の攻撃は彼女が行ったようだ。片割れの男に怒っているようにも見える。仲間割れかもしれない。
だがきれいな女の巨人はこちらの方を向くとにっこりと笑いかけてきた。場にそぐわない華々しさを彼女からは感じる。不覚にも少し見とれてしまっている自分がいることに気付き、急いで頭を切り替える。もう一度挨拶をするべきだろうか。だが俺の知らない言語を使っているので何語で話していいかわからない。と言っても日本語と英語以外は挨拶程度しか話せないが。
『ごめんね~、シアンちゃん。うるさくしちゃって~。でももう大丈夫よ~。あのバカは黙らせたからね~』
なにやら女が優しく話しかけてくる。どうやらこちらを安心させようとしているのがうかがえる。
「ぅあぅあ。おぃいぁああぅ。(いえいえ、お気になさらず)」
女の友好的な態度を見てつい日本語で返事をしてしまった。しかしまたしても謎の声が俺の声にかぶせて邪魔してくる。というかこいつすごいな。俺が話すタイミングにきっちりと合わせてくる。無駄に高度な技術だ。
女はこちらのそんな態度に驚いたのか様子を見せるが、すぐにきれいな顔をほころばせて話しかけてくる。
『あら、シアンちゃんはもうお話できるようになったのね。おりこうさんね~。
それに全然泣きださないし、どうしちゃったのかしら。子供の成長は早いってよく聞くけど、本当なのね~』
何を言っているのかはわからないが、いくつかわかったことがある。どうやら女は俺を誉めているような気がすること。それとまるで赤ん坊に話すような喋り方だということ。それと『シアン』という単語が何度も出てくること。
特に『シアン』はまるで俺の名前のような感じがする。外国人の知り合いが話す時に人物名を使う時のタイミングと酷似しているので気付いたが、もしそうならなぜこの巨人は俺を『シアン』と呼ぶのだろう。いつのまにか俺は捕獲されて実験体として『シアン』と名付けられたのだろうか。それなら俺の体が動かないのも何かの薬品を使われているからかもしれない。
そんなことを俺が考えていると、にこにことしている女の横に先程の凶悪面の男が立ち上がって女に話しかける。
『いや、ソフィア。さすがに赤ん坊が一日で急に泣くのをやめたりこちらの声に応じたりするようになるのは成長じゃないからな』
すると女が少し怒ったように反論する。
『なによカイン。私たちの子供の成長がうれしくないの? それにシアンちゃんはきっととってもおりこうなのよ。だからなんにも不自然じゃないわ~』
なにやら男は呆れたような表情を作る。
『多分シアンは転生者だ。ついさっき記憶か知識が戻ったんだろう。前に見た子供の転生者と雰囲気がそっくりだ。
たしかヒースが転生者に会った時のためとか言って渡してきたものがあったはずだからそれを取ってくる』
男がなにやら女に話しかけてから出ていった。女はというと俺を抱き上げてゆらゆらと揺らしながら色々と話しかけてくる。さすがは女とはいえ巨人か。成人男性をこうも軽々と持ち上げるとは。俺は何に感心しているのかそれとも現実逃避しているのかとりあえず黙ってされるがままにしている。それにしても間近で見てもきれいな女だな。なんであんな凶悪そうな男といるんだろう。
そうしてしばらく女の話を聞きながら言語解析に挑みつつ、周囲の観察を続けた。その結果わかったのは、ここは研究室ではないこと。機械のようなものが見当たらず、自然素材を多用したものが多いこと。どうやら俺はいつの間にか誘拐されていたのが正しかったようだ。
だが見たこともない巨人がわざわざ俺を誘拐した理由がわからない。背後に黒幕がいるのか。いつの間にか俺の研究は闇組織に狙われるような価値を持ったのだろうか。はたまた愉快犯か。どうでもいいけどこの女歌がうまいな。聞いたことない曲だが耳が幸せを感じていることだけはわかる。
俺が何度目かの思考の沼に沈んでいると、男が戻ってきた。手には何やら紙を持っている。それを俺に見せながら、短文をひとつひとつ指さして俺に話しかけてきた。
『ぶろーね。ぷろろん。しゅらりお。けぽりん。とぢのぃろぁ。はろー。にゃおーん。あぃくたー。こんにちは。ひょろろろーん。ぬるねばー。
お、反応したのは「はろー」と「こんにちは」か。ということは27ページの、これか。えっと。
「ようこそ異世界へ。そして転生おめでとう。これで晴れて君も剣と魔法の世界の住人だ。多分チート無双やハーレムは無理だろうけど、この紙を持った男に出会えた君は運がいい。彼は顔に似合わず優しい性根の持ち主なので、騙されたと思って頼ってみるといい。それと君が彼を巨人だと思っているならそれは違う。君が子供だからそう見えるだけだ。それでは君の新しい人生に幸があらんことを」
これでわかるか? わかったようだな。何度か出会った転生者と同じ顔してやがる。
なあ、ソフィア。俺の顔そんなに怖いかな……』
男が見せてきた紙には衝撃の言葉が書いてあった。到底信じられない内容だが、同時に納得できる説明でもある。俺が赤ん坊で、落ち込んでいる彼が父親、きれいな女が母親ということか。
どんなに暇なやつでも三十手前のしがない研究者だった俺を誘拐して、巨人まで用意するような大がかりドッキリを仕掛けるなんてことはしないだろう。ダーツで無作為に選ばれたかわいそうな犯行の標的が俺だった可能性もあるが、その場合もはや俺にできることはない。
ということはここは素直に転生したと思えばいいのだろう。そうなるとどうしても確かめておきたいことが一つだけある。
俺の顔はどっちに似ているんだ。
自分が転生したと知ってから数日経った。どうやら今世の両親は自分の息子が転生者だと知っても気にしないおおらかなタイプのようで、普通に接してくれている。なので俺も彼らが両親なのだと受け入れ、素直に赤ちゃんプレイをすることを決めた。
幸いなことにと言うか、どうやら前世の記憶、特にエピソード記憶とかいう自身の思い出などはほとんど覚えていないので、前世の両親との複雑な関係に頭を悩ませることはない。
ということで最近のマイブームはこの世界の言葉を覚えることだ。これは母親のソフィアがよくそんな話す内容があるなと言いたくなるほどマシンガントークで話しかけてくれるので、既に耳はこの世界の言語に慣れたようだ。あとは単語の意味を理解していくだけなのだが、それは父親のカインがホワイトボードとマジックのようなものを使ってちょくちょく絵と文字を使って教えてくれるので非常に助かっている。
だが、どうやら今世のシアン、つまり俺はまだ生まれて一か月くらいしか経っていないらしいのだが、教育が早すぎないか? いくら転生者とわかったからってこの教育速度はおかしいだろう。きちんとした発声すらままならない赤ん坊に対して何をしているんだ、この親は。
そう思いつつも助かるには助かるので両親の好意を素直に受け入れつつ、適度に昼寝やご飯、休憩を挟みながら日々は過ぎていく。
あれから半年くらい経っただろうか。今日は両親が忙しいらしく、ちょくちょく顔を見せには来るがあまり話すこともなく出ていってしまう。ちょっと寂しい。
だがいい機会なので前世の俺のことを思い出してみる。
覚えているのは、自分が二十代後半の大学所属の研究者だったということ。自分の研究内容は覚えていないが、覚えている限りの最後の記憶はたしか学会発表の一か月前に実験手法に間違いを見つけ、急いで実験をやり直して栄養ドリンク片手に修羅場七日目を迎えた、というところだ。どうやら俺の死因は過労らしい。
趣味はよく覚えていないがパソコンで色々やってた記憶が断片的に思い出せる。それと一日一回、不規則な時間に教授室のドアを一度だけノックするという、教授へのどうしようもない嫌がらせをすることが最大のストレス発散だったということか。
こうしてみると小さい人間だったな、俺は。
今世はせっかく前世の知識というチートを持っているので、もっと派手に生きていきたい。この世界には魔物も魔王も勇者も聖女もいるらしいし、どうせなら最強を目指すのもいい。両親も昔は魔物を討伐するのが仕事の冒険者をやっていたらしいし、強くなるための環境はそろっていると考えられる。
それに既に両親から魔法とはなにかという説明はされており、現在魔力の操作を練習中だ。これは魔法チートを狙えるかもしれない。
そうして暇な一日を考えことと魔力操作の練習に費やしていると、両親が帰って来た。どうやら忙しい仕事が終わったようだ。というかこの二人の仕事がなんなのか知らないんだけど、何してたんだろう。そう思いつつ帰ってきた二人を笑顔で迎える。
「おあぇいー(おかえりー)」
「シアンちゃんただいま~。ああ、やっぱりかわいいわね~」
「ただいま、シアン。今日は悪かったな。どうやら今年のワイバーンは大繁殖したらしくてな。せっかくの食料と素材ゲットのチャンスだったんで村人総出でワイバーンを狩ってきたんだ」
なぜだろう。カインの言っていることが理解できない。ワイバーンって大きくて腕の代わりに翼が生えた凶暴な爬虫類だったはずだ。前世だと作品にも依るが、そこそこ強敵として出てくる存在のはずだ。
それを今日はバーゲンでおひとり様卵98円ひとパックまでだから思わず二人で行って買ってきたよ、みたいなノリで言われても。俺の覚え違いかもしれない。きっとワイバーンじゃなくて猪とかそんな感じだろう。
「ワイバーンの説明覚えてるか? こいつだ。今年は運がいいことに千匹はいたからな。だいぶ儲かるぞ」
カインがワイバーンの挿絵が書いてある本を見せながら説明を加えてくる。そこには俺の記憶通りのワイバーンの姿が描いてあり、大きさは10mから20mとある。学校の教室くらいの大きさだろうか。これを、村人みんなで、千匹、狩った?
「今年のMVPはエリーちゃんだったわね~。最近やっと15歳になって成人の儀式も兼ねてるからはりきっちゃって。彼女の最初の雷で100匹は狩ってたわね」
「だがちょっと気合を入れ過ぎてたな。あれだと肉が焼け過ぎて買取価格が落ちるかもしれない」
「まあまあ。誰もが一度は通る道よ。あなたの時なんて剣で200匹狩ろうとしてたんでしょ? 俺が狩りつくすまで誰も手を出すな~って」
「おい、昔の話はやめろよ。それにヴァンのやつに比べればましだ。どれだけ正確に首だけ狩れるか試してくるって一人で突っ込んで魔法で約300匹全滅させてきたんだからな。あれは悔しいがすさまじいの一言だったな」
「そうらしいわね。まあこの村では一人でワイバーン50匹狩れて一人前って言われるくらいだしね。シアンは何匹くらい狩ってくれるかしら」
「シアンは同い年があと二人いるからな。三人で取り合うとなると、大変だろう。たくさん繁殖してくれればいいんだが」
「ふふふ。負けないようにがんばって育ててあげなきゃね」
「そうだな」
うふふふふ、あはははは、と両親が楽しそうに会話をしている。そうか、この世界ではワイバーン50匹くらい村人が一人で狩るものなのか。なかなか異世界の常識は前世とは異なるようだ。
こうして俺は異常な常識を身に着けながらすくすくと成長していった。