第九話 内政チートの暗黒面
ガタゴト揺れる馬車内の空気は温度差が激しかった。
俺と母さん、レナとリーンが対面する形で座っているせいだ。
母さんはぽわぽわした微笑みを浮かべて俺を見つめている。まさしく慈母の眼差しといった感じだ。てらいのない愛情を向けられて俺の心が暖かくなる。
一方、レナとリーンはいかにも冷戦状態って感じだ。
両者とも不機嫌そうに鋭い視線をぶつけ合っている。紫電の如く、バヂバヂッという効果音が今にも聞こえてきそうだ。
混ぜるな危険、という格言の良い見本だなこれは。
母さんの手前、露骨にため息を吐くわけにもいかない。
雰囲気を変えるため、俺は話を切り出した。
「ねえ母さん。視察の結果、聞いてもいい?」
「あらあら~、イオってばせっかちさんねぇ。でも構わないわよぉ、何からお話ししようかしら~?」
急がずとも、屋敷に戻れば視察報告を兼ねた幹部会議が開かれる。
メンバーはこの場にいる四名。
そこに幼児の俺が加わっているのは、次代当主の教育のため。そして《政務相談役》という肩書をもつ俺の特殊な立場ゆえだ。
なおこの役職は、俺の知識や見識が有為だとして、母さんが任命してくれたのだ。
母さんが快く了承してくれたので、訊ねたい事を脳内で整理する。
「まずは製塩所の状況について聞かせて欲しいかな」
二年前、俺は無理を言って母さんの視察に同行した。
現代知識をこの世界で活用できるかどうか、もしできそうなら何を導入または開発すべきか。
領内の現場を視察する事でそれを見極めるのが目的だった。
幸いな事に、俺は前世で俗に言う〝内政チート〟に使えそうな知識を数多く仕入れていた。
異世界転生系の小説を読んで触発されたのが理由だった。
普通なら若気の至り的な黒歴史だが、実際に転生した今となっては結果オーライである。
視察の結果、地球の現代知識は有効活用できそうだと判った。
それで最初に考えたのが〝良質塩を量産して荒稼ぎ計画〟だった。
「そうねぇ、運営に問題はなかったわよぉ。新式塩浜の規模と製塩量は順調に拡大してたわ~」
新式塩浜というのは採鹹塩田の事だ。より正確に言えば入浜式塩田。
俺が母さんに技術情報を提供し、領内で実用化してもらったのだ。
採鹹塩田とは、海水を濃縮し鹹水を生成するための塩田の総称。
なお鹹水生成後、それを煮詰める事で製塩できる。
入浜式塩田は採鹹塩田の一種だ。潮の干満を利用して塩田に海水を引き込み、労力を省く方式である。
また、枝条架(海水濃縮のための枝状装置)を併用してるので、本来の方式より更に効率的になっている。
ちなみに中原沿岸地域での一般的な製塩方式は、海水を濃縮せず蒸発させるだけの天日塩田だ。これは生産効率が低く、作れる塩の質も悪い。
一方、採鹹塩田は前述の天日塩田に較べ、生産効率が高く塩の質も良い。
ただ問題もある。煎熬(煮詰める作業)のための燃料確保についてだ。これはコンロ的な魔導具の導入で解決した。
環境問題には気をつけないと。特に森林資源は浪費するとレナの反感を買いそうだ。
「それは良かった。あ、保安や防諜方面は? ちゃんと機能してた?」
塩田事業はどうしても敷地的な規模が大きくなる。人手も多く必要だ。そのぶん施設防衛や機密漏洩への対処が大変になる。
母さんがリーンにちらりと目配せした。リーンが頷いて口を開く。
「今のところ問題ないかと。魔物が少ない地域ですし、哨戒や防衛担当には信用のおける兵を充てています。機密が漏れる事はないでしょう。また、待遇が良いので村民たちに不満はなく、労働意欲も高いようです」
リーンが答えたのは、軍事面が彼女の管轄だからだろう。
それに領民や現地担当者と直接やりとりするのもリーンだ。より詳細な報告を求めるなら彼女に聞いた方がいい。
領主主導の製塩事業は漁村をひとつ丸ごと事業拠点にしている。当然、従業員の大半もそこの村民だ。
そしてその村と周辺の人の出入りを管理・制限する事で、防諜体制を構築している。
「そっか。それじゃ、しばらくは心配なさそうだね」
「はい」
リーンが満足そうな顔で頷く。
「でもいつかは余所に気付かれる。というか、中央にはすぐバレるよね。納税塩の質が変わり、量もいきなり増えるんだから」
「それは……」
上げて落とすような俺の指摘を受けてリーンの表情が曇る。だが母さんは動じてない。それくらいは想定済みだからだろう。
人が生きていく上で塩は非常に重要な物資だ。それだけにその扱いは権力の統制下に置かれるケースが多い。
それはこの国、イシュタリアでも例外ではない。
塩の価格決定権と専売権は王家にあり、製造も無許可で行ってはならないのだ。
諸侯貴族には自由製造権が認められているが、製造量の四割を税として王家に納めねばならない。
その上、手元に残った塩を処分するためには、公定価格より安い卸値で王家の御用商人に売る必要がある。
そうした諸々の制約ゆえに、諸侯貴族にとって製塩はそれほど美味しい事業ではなかった。
――これまでは。
母さんは今回の視察で、新方式の製塩事業が軌道に乗ったと判断しただろう。
おそらく近いうちに王家に新製塩を納税するはずだ。
同時に高級塩として適正な公定価格の決定を求めるに違いない。
採鹹塩田の生産塩は一般流通している物よりも品質が良い。
富裕層を中心に需要はすぐに高まるはずだ。
王家は自らの利益確保のため、相応の高値を付けるだろう。
そうなればこちらも独占生産で大儲けウハウハだ。
とはいえ、不安材料がないわけじゃない。
新式製塩法について、王家に情報開示を求められる事だ。
製塩事業の主権は王家にあるのだし、この要求は断れない。ゴネたところで王家や他貴族の不興を買うだけだ。
だが、こちらも商売。タダで譲るつもりはない。
採鹹塩田は莫大な富をイシュタリアにもたらすはず。
それだけのものを渡すのだ。対価として相応のものを戴く。
具体的には陞爵か領地か。塩の直接販売権でもいいな。
特に伯爵になれば、軍事権をはじめ権限が大きく拡大される。
城も建てられるし、エトラニアにとって長年の懸念である海賊討伐も容易になるだろう。
「まあ避けられない事態を気に病んでもしょうがない。その時は王家に然るべき値段で買い取っていただくさ。母さんもそのつもりでしょ?」
俺は軽く肩を竦めてから、母さんに視線を向ける。
「もちろん、それは商売人として当然の考えよぉ。できれば伯爵の地位を引き出したいところね~」
やはり母さんも俺と同じような展望を抱いている。
エトランジェ家は歴史の浅い成り上がり貴族とはいえ、子爵の位を得てそれなりの年数が経っている。国の英雄だった俺の父、ライオネル将軍の婿入り先として知名度も高い。
あとは大きな功績さえあれば陞爵の要件を満たせるだろう。
ただ、他貴族からの風当たりが一段と強くなりそうだが。
「そ、そうですか……。イオ様もシャルロット様も先々の事までお考えになっているのですね。流石です」
追従めいたリーンの言葉だが、敬意は本物だろう。実直な性格の彼女は言動に世辞や虚飾を好まない。
俺と母さんは苦笑でリーンの尊敬を受け止めた。功利主義な先見性など別に褒められた事ではない、という意識があるからだ。
だが貴族として商人として、備えてなければ困る能力でもある。
「まあ、とりあえず製塩事業のお話はこれくらいで。母さん、真珠養殖の方はどうだったかな? 上手くいってた?」
製塩事業に関して知りたい事は聞けた。
次なる話題は内政チート第二段、〝真珠養殖で大儲け作戦〟だ。
……製塩事業の件といい、我ながらネーミングセンスがないな。
「うーん、そうねぇ。そちらは順調とは言えない感じかしら~。挿核が下手なのか、施術後に母貝がかなり死んでしまっていると、報告を受けたわ~。初めての試みだから、技術力に問題があるのは仕方のない事だけどねぇ」
ふむ。挿核後に母貝が死ぬという事は、卵止めや卵抜き、貝立て栓さしが上手くいってないのかな? これは後で詳細を確認しないと。
なお挿核とは、真珠核とピースを母貝に挿入する作業の事だ。
卵止めや卵抜き、貝立て栓さしは、挿核を成功させる為の事前準備作業。詳細は語ると長いので割愛する。
真珠核は貝殻を原料とした真球型の小片で、ピースはゴーヤ貝の外套膜と呼ばれる部位の小片。これらは真珠の基となるものだ。
残念そうな表情で言う母さんに、俺は頷いて同意する。
「そうだね。そこは試行錯誤しつつ、少しずつ技術を蓄積していくしかないと思う。ただそれがある程度形になるまでは、母貝の損失を別の方法で補うしかないかな」
「というと、イオには良い考えがあるのかしら~?」
「うん。母貝であるゴーヤ貝を養殖すればいいんだよ、母さん」
いずれ事業規模を拡大する為にも、母貝の養殖は必要になるし。
「なるほどぉ、そういう方法があるのね~」
母さんは感心したようにうんうんと頷いた。
ちなみにゴーヤ貝は地球産のアコヤ貝によく似た二枚貝である。近海に多数生息し、真珠生成能力を有している。
食用にも適しているらしい。味はちょっと苦いらしいが。
そうだ、挿核作業で死んだゴーヤ貝は作業員の食用に使おう。
そうすれば苦い食事は嫌だと、真剣に作業に取り組むようになるだろう。
食費も節約できて一石二鳥だ。
ふと思いついた改善案もついでに話したら、
「……いろいろ考えていて素晴らしいわぁ、イオ」
と、母さんが少し困ったような笑顔で褒めてくれた。
……褒められた、のか?
よく考えたら、母さんは俺のアイディアを褒めたわけじゃない。採用するとも言ってない。物事を考える姿勢を評価されただけだ。
「頭が良すぎるのも考えものね」
ポツリ、とレナが小さく呟いた。
隣を見れば、レナも母さんと似たような顔をしていた。
そんな二人の態度がわからない。
俺の言動の何が悪かった? 困らせた? 憐れまれてる?
理由がわからない。心当たりがない。
「……それって、どういう意味?」
恐る恐る訊ねると、レナは神妙な表情で俺を見つめた。
「……えっとね、イオ。あなたは幼くして聡明で理知的だわ。それは素直に凄いと思うし、貴族や領主には必要な資質かもしれない。けど、効率や合理性だけ示しても人はついてこないわ。……私はね、イオには人の気持ちを蔑ろにする大人にはなって欲しくないの」
レナは穏やかな声でそう語った。幼子を諭すようなしんみりとした口調だった。
……って俺、幼児だった。時々、自分の年齢忘れそうになるな。
さすがにそこまで言われれば、鈍い俺でも気付く事ができた。
「そっか……がんばって働いたのに、まずい食事を出されたら嫌になるよね。やる気も出なくなる。そういう働く人の気持ちをもっとよく考えろって事だね?」
「はい、正解♪」
レナはニッコリと破顔して、俺の頭を優しく撫でた。
しかし俺は素直に喜べなかった。それだけ内心でショックを受けていたのだ。
まさかもまさかだろう。
前世でサラリーマンの悲哀をたっぷり味わったはずの俺が。いつの間にかブラック会社の経営者みたいな思考に染まっていた。
労働者の待遇改善ではなく無情の合理化で業績上げようなんて……まさにブラック一直線じゃないか。
貴族に生まれ、最近は精霊使いになれたりして、知らずいい気になっていた。
傲慢は人を馬鹿にする。将来、部下や領民に見捨てられないよう気をつけないとな。
心得違いを気付かせてくれた母さんとレナに感謝である。
その後は、内陸部領地で行っている事業の話を聞いたり、レナが嵐の日の一件を報告して母さんに泣かれたりした。
そんな中身の濃い馬車内会議は屋敷に到着するまで続いた。
本日は夜にもう一話投稿予定です。