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第八話 母の帰還


 俺が雷皇鳥の千鳥と出会った日の翌々日、正午すぎ。

 俺とレナは二十人の護衛兵を伴い、街の北東側にある正門前にやってきていた。

 ここへ来た目的は、領内の視察に出ていた母さんを出迎える為だ。

 先触れの使者から聞いた予定に合わせたので、それほど待たないうちに到着するだろう。


 視察の一行が姿を見せるまでは暇なので、俺を含め随行してきた皆はだらけない程度に各々寛いでいる。


 俺は手持ち無沙汰を持て余し、胸に抱いた千鳥を撫でて手慰みにしながら、外の風景をのんびり眺めていた。


 ちなみにレナから千鳥の飼育許可は割とあっさり下りた。

 情操教育にはちょうど良いとか思われたのかもしれない。

 どこで拾った、何の鳥だと多少の詮索はされたが、灰山の近くでチーチー鳴いてた可哀想な海鳥の雛だという説明で押し通した。


 飼い始めて二日しか経ってないが、雷皇鳥の生態についてはそれなりに解ってきた。


 まずは餌問題。

 言い伝えでは雷皇鳥の餌は雷精らしい。

 しかしそう都合良く雷雲が近くにあったりはしないし、それ以前にまだ飛べない千鳥が自力で雷精を捕食できるとは思えない。

 となると、残る選択肢としては俺の雷精を与えるしかないのだが。

 それはできるだけ避けたい。

 俺にとって雷精は大事な存在。ペットに餌として与えるなど、そう簡単に許容できるはずもない。

 それに異世界の過酷さを知った以上、雷精の力を減らしたくないという保身的理由もある。


 そんなわけで、餌は別な物で代用できないか調査した。

 試しに与えたのは、その辺に生えてる草、木の実、野菜、果物、穀物、虫、魚、動物肉など。

 結果として、千鳥は果物と魚と動物肉を食べた。草や虫などには見向きもしなかった。なかなかグルメな鳥である。

 まあ、生態系の頂点にいるような生き物だから、当然と言えば当然かもしれないが。

 ともあれ餌の問題は無事解決できてほっとした。


 ついでにもう一つ、電気の好みを調べてみた。

 電圧とか電流量をいろいろ変えて与えてみたのだ。

 結果から言うと、重要なのは電圧より電流のようだ。

 これは想像だが、千鳥にとって電圧は味で電流が量、という感じではないかと見ている。


 通常の食事とは別腹なのか、それとも生存するだけなら摂取の必要性が薄いのか、千鳥が電気をねだる様子は今の所見られない。

 与えれば喜ぶ、その程度だ。


 次に飼育環境。

 基本、放し飼いで大丈夫そうだ。まだ飛べないし、そもそも飼い主の俺から離れようとしない。俺の後をカルガモの如くついて来る。

 これが結構危なっかしいので、移動する際は抱き上げるようにしている。

 そのせいか猫可愛がりしているように周囲には映るようだ。

 昨日今日で周囲からの視線がずいぶん生温くなった気がする。


 また、排泄は特定の場所(室内犬的トイレ)で済ませている。

 千鳥はだいぶ賢いようで、一度教えたらすぐに覚えた。というか、俺の言葉を理解している節がある。さすが神鳥と言うべきか。

 そのうち芸を仕込んだりするのも面白そうだ。


 いつか時が来たら、千鳥の生態観察日記を書物に纏めて世間に発表するのも有りかもしれない。

 風聞レベルでしか知られてない稀少動物の実態資料として、後世の研究者に良い影響を与えられるだろう。




 右手に見える大海原の方から、ざあっと潮風が吹き付けてくる。

 陽射しに灼かれた肌の火照りが和らぐようで心地良かった。


 盛夏であるこの時期、湿度は高いし気温も三十度を超えているだろう。前世の言葉で表すと温暖湿潤気候か。

 もっとも日本の夏よりは幾らか過ごしやすい。ヒートアイランド現象とかもないしね。


 ここは、異世界に転生した俺が生まれ育った土地だ。

 遠くの白雲を眺めながら、背後に広がっている街の事を思う。


 アルザナ中央大陸において中原と呼ばれる地域の南方。海に面した国土を有する小国、イシュタリア王国。

 その沿岸部に存在するのがここ、《エトラニアの街》だ。


 城壁を跨いだ向こうからは、日々を生きる沢山の人々の喧騒と活気が伝わってくる。

 我がエトランジェ家が治めるこのエトラニアの街は、細い水路が都市内部を縦横に走っており、風光明媚な景観を作り出している。

 画像でしか見た事はないが、イタリアの都市ヴェネツィアのような水の都といった感じだ。

 水利を活かし、古くから商業と漁業の両輪によって発展してきた、国内屈指の貿易拠点なのである。


 ちなみに約百五十年ほど前までは、この街と近隣一帯は王家直轄領だった。

 それが、商売で多大な財を成した初代エトランジェ家当主が叙爵された際に領地として委譲されたのだ。


 なお初代は男爵だったが、俺の祖父の代で子爵に陞爵している。

 陞爵理由は〝領地経営および王国発展に多大な功績ありと認む〟。

 具体的には、エトラニアの街を発展させた事で王国経済に大きく貢献しましたよ、って事だ。

 ならば地球の現代知識チートでさらに大きく発展させられれば、俺の代で伯爵や侯爵も夢じゃないな。


 皮算用に忙しい俺の肩を誰かが叩いた。

 背後を振り返れば日傘を差したレナが立っている。


「シャルたちの一行が見えたわよ、イオ」


 胡床に腰掛けていた俺はハッと我に返り、立ち上がった。

 街道の先へ目を凝らしてみるが、それらしき姿は見えない。


「僕はまだ見えないよ、レナ」

「私でもかろうじてそれらしきものが見えてるだけだからね。いったん丘の盆地に入って遮られそうだけど、そこを過ぎれば見えてくるわ」

「そっか」


 街の外は概ね平地が広がってるとはいえ、それなりに起伏もあれば海岸側から続く崖のような地形もある。

 別に確認を焦る必要はないのだから、のんびり待てばいい。


 それにしてもレナの視力には恐れ入る。

 エルフとは皆こうなのだろうか?

 俺の視力も前世に較べればかなり良いはずだ。多分、2.0以上はあると思う。

 それを軽く上回るのだから、もしかするとマサイ族のように昼間に星が見えるレベルかもしれない。


 それからしばらくして、レナの予測した通りに、丘の上に動く人影のようなものが複数見えてくる。

 俺は千鳥をレナに預け、近づいてくる一行に手を振った。




「イオ!」


 箱型の馬車から降りて姿を現した母さんは、開口一番で俺の名前を呼んだ。

 俺が傍まで駆け寄ると、母さんは大輪の花が咲いたような満面の笑顔を浮かべて迎え入れてくれた。


「おかえりなさい、母さん」

「は~い、お母さん、ただいま戻りましたよぉ」

「うぷっ」


 おっとり間延びした口調で応じた母さんは、ぎゅうっと俺を胸の中に抱き締めた。

 むにゅっ、と顔面が胸の谷間に沈みこむ。

 心地よい柔らかさと柑橘系香水の爽やかな芳香に包まれ、忘我の境地に陥りそうになる。

 多少の羞恥はあれど、それ以上に心が満たされていくのを感じた。


 男は幾つであってもおっぱいが好き、は真理だよなあ。

 しょーもない事を考えながら至福のひとときを堪能する。


 しかしヘヴン状態は長く続かず、徐々に息苦しくなってくる。

 母さんが抱擁を解こうとしないのだ。数日ぶりの息子との触れ合いで感極まってでもいるのだろうか。


 まあでも、このおっぱいの中でなら窒息死してもいいかな……などと思いかけたところで、レナの声が母さんを掣肘する。


「はいはい、親子感動の再会はそこまで。イオが落ちかけているわよ」

「あら~、イオ、ごめんなさいねぇ」


 母さんの腕が緩み、ようやく俺は解放された。

 少し……いやかなり名残惜しかったが、窒息を免れてとりあえずホッとする。


「しっかし、息子ですら虜にし抵抗もさせないとは……相変わらず凶悪なシロモノね」


 呆れた口調で言って、畳んだ日傘を片手に近づいてくるレナ。

 彼女の視線は母さんの胸部に向けられており、目付きがいささかきつい。


 なお使用人でありながら雇い主の母さんに対して気安いのは、二人が親友だからである。

 それでも公私混同だとか言われそうだが、この場にいるのは全員が身内のようなもの。目くじらを立てる者はいない。


 それにレナはエルフだ。本来は貴族であろうと、いや王族であっても簡単に雇える者ではない。

 やや卑屈な言い方になるが、〝雇っている〟のではなく〝仕えてもらっている〟のだ。世間一般の人々もそう見るだろう。


 要するに当人たちの友誼あっての雇用関係であり、態度や立場もそれに即したものになるのは妥当と言える。


「え~何の事かしら~?」


 頬に右手の人差し指を当て、コテンと顔を傾げる母さん。

 十代と見紛う若々しさと、深窓の令嬢めいた清楚な美貌を備えた母さんがその仕草をすると破壊力が半端なかった。

 さすが母さんあざとい、実にあざとい。

 この人は天然ボケボケに見えて、結構計算高いところもあるのだ。

 少なくとも今回はわざとだ。息子の俺にはそれがわかる。


 母さんは白と青を基調とした、レースふりふりの豪奢なドレスを身に纏っていて、その胸元は下品にならない程度に露出している。

 緩やかなウェーブのかかった長い金髪と温和な印象の顔立ちが服装と融和し、いかにも貴族の佳人といった外見だ。

 しかも、小柄でありながら柳腰巨乳という万能型スタイル。

 突き抜けた美貌という点ではレナに譲るが、総合的な魅力では決して劣ってはいない。


 才色兼備で貴族である母さん。

 何も知らない他人には恵まれた人生を送ってそうに見えるだろう。

 しかし、実は若くしてそれなりの苦労や悲哀を経験してきた薄幸の未亡人なのだ。


 母さんは成人前に両親と死別し、家督を継いでいる。

 親類の後見があったらしいが、それでも若い女性の身の上で貴族の当主と領主を務めるのは大変だった事だろう。

 そして十代半ばで結婚し、すぐに息子である俺を産んだ。

 貴族にしては珍しく恋愛結婚だったと聞いている。おそらく最も幸福だった時期だろう。

 しかし数年もしないうちに、夫(俺の父)を失い若くして寡婦になってしまう。


 幾度も家族を亡くす不幸に見舞われながらも、常に明るく前向きに生きている母さん。そんな彼女を俺は心底尊敬してるし、家族として愛している。


「主に嫉妬とは、小人の器が知れるぞレナ」


 俺を挟んで母さんとレナが向かい合ってる状況に、凛とした声が割り込んだ。


「あら、貴方もいたのねリーン。相変わらず、他人をあげつらう事だけは達者なようで何よりだわ」


 不機嫌そうな眼差しを声の主へと向け、さらりと毒を吐くレナ。


 気位が高いとはいえ、気立ても良いはずの彼女がここまで攻撃的になる相手は多くない。

 付き合うに値しない人格的論外を除けば、このリーンという女性くらいである。

 とはいえ根深い確執があるようには見えず、単にウマが合わないだけ、という感じだが。


 隙のない佇まいで侍衛の如く母さんの背後に控えてるリーン。

 彼女は母さん直属の武官であり、護衛役と秘書も兼任していた。

 さらに言えば俺の武芸指南役でもある。


 レナとの関係はともかく、リーンという人物を語る上で絶対に外せない点がある。

 それは……


 モフモフな犬耳と犬尻尾が生えている事だッ!


 いやーいるんですよねこの世界には獣人が。

 前世の記憶復活後、初めて見た時はレナとの出会い以上の衝撃を受けた。


 耳や尻尾は何度か無邪気を装って触らせてもらった事があるが、けっこう癖になる感触だった。

 俺にケモナー属性を植え付けた元凶である。


 しかも人間部分の外見はかなりの美人さんだ。

 具体的には、すっきり整った目鼻立ち、肩にかかる長さのやや癖っ毛な藍髪、琥珀色の瞳といった容貌。

 身長は一六○センチ半ばくらいだろうか。

 母さんほどではないがメリハリのある体型で、女性的魅力に富む。


 服装は、藍色を基調とした軍衣のジャケット・ミニスカートに旅装用のマントを纏い、防具として胸当てと篭手を装備しただけの軽装姿だ。


 そんな彼女のフルネームは《リーン・グッドヘル》という。

 年齢は不詳。彼女自身、己の正確な年齢を知らないそうだ。多分二十代半ばくらいだと言っていた。

 獣人族は青年期の外見と能力を長く維持するので、年齢をあまり重要視しないらしい。まるで某野菜の戦闘民族だ。


 リーンはレナの皮肉に動じる事なく、やれやれとばかりに肩を竦める。


「その言葉、そっくりそのままお前に返すぞ。エルフのくせに少しはシャルロット様のように慎ましく振舞えないのか? ああ、胸だけは慎ましいようだ、失礼」

「……お外を駆け回って気が大きくなってるようね、この駄犬。少し調教が必要かしら?」


 心暖まる言葉を応酬しあった二人は、剣呑な雰囲気を醸しだして対峙する。犬猿というよりは犬猫の争いって感じだ。

 喧嘩するなとは言わないが、二人とも良い大人なんだからTPOを弁えて欲しい。切実に。

 

「まあまあ、こんな場所で言い争いもないでしょ。街の人や衛兵の目もあるし、続きは屋敷に帰ってからにして欲しいな」


 仕方なく俺が間に入ると、二人はハッとして敵意を霧散させた。

 そしてばつが悪そうな表情で謝罪を口にする。


「も、申し訳ありません。私とした事がとんだ醜態を……」

「そうね、ごめんなさい。少し熱くなったわ」

「ううん、気にしないで。ほんとは二人とも仲が良いって僕知ってるから」


 別にからかいたいとかじゃなく、本心でそう思ってる。

 俺が指摘すると、二人は顔を見合わせてから反駁する。


「――そんな事はありませんッ!」

「――そんな事はありえないわ!」


「……ほらね」


 全く同時に反論した二人に、俺は生温い視線を向ける。

 ぐうの音も出ないのか、二人は絶句して黙り込んだ。


「はいはい、そろそろみなさん、出発しますよぉ」


 話に区切りがついたと判断したのか、母さんはぱんぱんと手を叩いて皆の注意を集め、指示を下した。


 母さんは普段のほほんとしていながらも、要所ではしっかりとリーダーシップを発揮するのだ。

 人は見かけによらないというか、領主の肩書は伊達じゃない。


「ん~? イオぉ、お母さんの顔に何か付いてるかしらぁ?」


 言われて気が付けば、母さんの顔を凝視してしまっていた。

 いかん、数日ぶりなせいか、無意識に母さんの姿を求めてしまっている。

 これじゃまるで恋してるみたいだ。いや単なるマザコンか?


「美人な母さんの顔に見惚れてただけだよ。ほら、馬車に乗って」


 俺は照れ隠しに苦笑し、先に馬車に乗って母さんへと右手を差し出す。


「お母さんを口説くなんていけないことよぉ」


 楽しそうにくすくすと笑って、母さんは俺の手を取った。

 繋がった手から母さんの温もりが伝わり、胸の動悸が早まる。


 ……やっぱり俺、マザコンかもしれない。


 まあ男児が母親に恋心を抱くのは成長過程で普通にある事だとフロイトさんも言っていた。

 母さんは気にしないだろうし俺も気にしない。

 むしろ幼い今のうちに、出来る限り母さんには甘えておこう。


 そんな風に自分に言い訳しつつ、母さんを馬車へと迎え入れた。


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