第五話 夢と現実
「全く、おにぃは肝心な所で詰めが甘いよね」
俺のベッドの上で胡坐をかいて座っている妹がしたり顔で言った。
フローリング上のクッションに座っている俺の視点からだと、うっかり股間の奥が見えてしまいそうな無防備な姿勢。
だがしかし、レギンスを穿いている妹にパンチラの隙はない。
まあ妹の下着なんぞ見たいとも思わないが。
妹の手には携帯型ゲーム機が握られている。そして俺の手にも。
二人して何をしているかと言えば、もちろん対戦ゲームだ。
プレイ中のゲームタイトルは《家康の大望》。
日本の戦国時代を舞台にした、歴史シミュレーションゲームである。
十代後半と前半の若者が遊ぶにはいささか渋いチョイス。
だが俺たち兄妹は格ゲーやパズルゲーのような刹那的なジャンルより、落ち着いて長くプレイできるゲームを好んだ。
「うっさい紹子。兵は拙速を尊ぶって言うだろ」
「それで足元すくわれたら元も子もないけどねー」
「ぐっ……」
まったく、ああ言えばこう言う。
思えば、妹に口で勝てた試しがない。
ゲーム内では、俺と妹それぞれが操作する勢力の軍勢同士が干戈を交えていた。
会話から察せられるように、戦の形勢はやや妹軍有利へと傾いている。
兵力的には俺の方が上で、途中までは旗色が良かったのだが……。
妹軍による離間の計によって配下武将の一人が寝返り、大量の兵糧が焼き払われてしまったのだ。これによって俺軍の士気が落ち、形勢が逆転。
CPU相手ならともかく、対人戦争では忠誠度が最大値になってない武将を出撃させるべきではなかった。
ちなみに俺は九州の大友家から始め、妹は北陸の上杉謙信を選んだ。
九州から近畿までの西日本を制圧した俺と、東北から中部までの東日本を支配する妹。
お互い東西の覇者となった俺たちは、満を持して最初で最後の大戦に及んだ。
その大舞台に選ばれたのは美濃国、関が原。《家康の大望》においてこれ以上に相応しい決戦の場はなかった。
徐々に不利へ傾いていく自軍の状況に、俺は焦りを覚えていた。
史実の通り、やはり西軍は東軍に勝てない運命なのか……。
自身の失策を棚に上げてそう諦めかけた矢先、階下から「夕食出来たわよー」と母さんの声が届く。
待たされるのを嫌う母さんの機嫌を損ねない為にも、俺と妹は顔を見合わせてゲームの続行を断念した。
「続きは来週までお預けだな」
「寿命が延びて良かったね、おにぃ」
きしし、と小悪魔的に笑う妹に、俺は憮然とした顔を向けて「ほら行くぞ」と急き立てる。
――そんな、平和で何気ない日常の一コマ。
かつて失い、そして二度と取り戻せない、大切な……。
こめかみを伝う熱い感触を知覚して、俺の意識が覚醒する。
ぱちりと目を開けた。
見えたのは知らない天井……ではなかった。
普通に見慣れた俺の部屋の天井である。
「涙……?」
目尻に溜まっている感触が、熱の正体を教えてくれる。
悲しい夢でも見ていたのだろうか。
かすかに胸に残る切なさは、郷愁のそれに似ていた。
感慨を振り払い、上半身を起こす。
すると、視界の端に金色の煌きが引っかかった。
斜め横を見下ろせば、そこにあったのは見慣れた、けれど見飽きない美しい少女の寝顔。
エルフでメイドな我がヒロイン、レナ様が俺のベッドで同衾しておられた。
まあそれはいい。
レナの添い寝イベントはたまに発生するし、今更この程度で驚く事はない。
問題は、レナの目元がやや腫れぼったく、泣いた痕のように見える事だ。
俺と同様、何か悲しい夢でも見たのだろうか……?
「レナ……?」
右手の指先でレナの頬を小さく撫でつつ、声をかけた。
眠りが浅かったのか、「んっ……」と、やや艶のある声を漏らしてレナが覚醒する。
目を覚ましたレナは寝起きで思考が回らないのか、上半身を起こしてぼーっとする。
「ふぁれ、イオ……?」
「うん。おはよう、レナ」
横にいる俺を見て、寝ぼけ気味な反応をするレナに微笑ましさを感じながら、俺は挨拶を返した。
低血圧なのか朝に弱いレナと、寝付き寝起きの良い俺が一緒に寝ると、たいてい俺が先に起床して、こういう状況になる。
俺を見つめながらしばし茫洋としていたレナが、ハッとした様子で目を見開いた。
「……イオ!」
「うぶっ!?」
いきなり抱きついてきたレナに押し倒される。
ベッドの上だから痛くはないが、予想外の出来事に動揺は避けられない。
「な、なに、何なの、レナ?」
「よかったぁ、良かったよぅ、イオ……」
理由を訊ねても、レナは涙声で「良かった」を繰り返すばかりで埒があかない。
これはレナが落ち着くまで待つしかないな。
そう決めた俺は、とりあえず彼女の甘やかな匂いを堪能する事にした。
たっぷり百を数えるほどの時間が過ぎて。
レナはようやく落ち着いたようで、俺を抱く腕の力を緩めた。
取り乱した事が恥ずかしいのか、身を起こして「えへへ……」と照れたように笑う。
そんなあざと可愛いレナの表情にドキッとしつつも、平静を装って訊ねる。
「ねえレナ、何かあったの?」
俺の問いに、レナは一瞬だけきょとん、としてから深刻そうな表情を浮かべる。
「イオ、覚えてないの……?」
「……何を?」
訳がわからなくて、俺はさらに問い返した。
レナとの一件以外は、これといって何の変哲もなさそうな日常の朝である。
レナの様子からして、俺の身を案じていた事はわかるが、自覚する身体の状態に異常はない。
病気で寝込んだ覚えもなければ、怪我をした事も――って、怪我?
「ッ!?」
脳裏で瀕死の体験がフラッシュバックする。
そうだ、何で忘れてたんだ。俺はあの時、死にかけて……。
だが、今の俺は五体満足であり、痛みを感じる部分もない。
――まさか、夢の中の出来事だったのか?
そう考えれば体の無事も納得できる。
しかし、そうなると今度はレナの態度に説明が付かなくなる。俺の身に良くない何かが起きたのはまず間違いないだろう。
ならば、致命傷を負う事になった一連の経緯もまた、現実の出来事なのではないか。
俺の顔色の変化を察したのだろう。レナが気遣わしげに声をかけてくる。
「思い出した?」
「あ、うん……」
答えつつ、俺は半ば無意識に右手で胸を押さえて、ハッと気付く。
――そうだ、精霊!
思い出した途端、胸の中が微かにざわめく。
雷精たちの確かな存在を感じて、俺はホッとした。
やはり夢なんかじゃなかった。
雷精との契約も、鳳との死闘も、確かにあった事なんだ。
……でも、だとしたらなぜ俺はこうして生きている?
とても助かるような状態ではなかったと思うんだが……。
ファンタジーだけに、治癒魔法やエリクサーとかだろうか?
まあ何にせよ、判断はレナから事情を聞いてからでも遅くはないだろう。
「まだちょっと混乱してるから、レナの知ってる事を先に聞いてもいい……?」
弱々しさを装って切り出すと、レナは労わるような眼差しで俺を見つめ、頷いた。そして神妙な表情で語り始める。
「ええ、構わないわ。えっとね、事の最初は――」
ちょっと短め。
イオが無事だった事にはもちろん理由があります。
それが明らかになるのは少し先になりますが。
拙作を読んでいただきありがとうございます。