第三話 未知との遭遇・ファンタジー版
「ぅ……?」
寝苦しさを感じて、ふと目が覚めた。
視界いっぱいに映るのは、ただ、闇。
……夜中……?
眠気と気だるさで霞がかった頭の中で呟く。
まだ夢を見ているようなふわふわとした心持ちだが、妙な感慨が胸で疼いている。
夢の中で誰かに呼ばれていたような……。
所詮は夢の出来事だ、と決め付けるには、まだ耳に声の残滓が響いてるような生々しい感触。
徐々に目が暗闇に慣れてきて、部屋の様子が見えてくる。
クローゼットや本棚、机など、見覚えのある家具の配置。
外に意識を向ければ、未だ嵐の渦中にある強風のもたらす物音が結構な音量で聞こえてくる。
呼び声といった印象で夢の記憶が残ったのは、この騒音が安眠妨害してくれたせいかもしれない。
寝直そう、と思ったところで、ぴかっ、と強烈な光が部屋に射した。数秒ほど遅れて、どどん、という強烈な炸裂音がびりびりと部屋を震わせる。
だいぶ近い位置で雷が鳴ったようだ。
「雷か……」
前世で俺の死因になったものだ。
普通に考えたらトラウマになりそうなものだが、恐怖や忌避感のようなものはついぞ芽生えなかった。
「……?」
ふと、誰かの声が聞こえた気がした。
使用人か誰かの声だろうか。
訝しく思って耳を澄ませてると、今度はしっかりと聞こえた。
――いや、頭の中に、響いた。
意味は読み取れない、しかし確かに意志ある者の声だとわかる。
ただ、普通の聞こえ方ではないので、疑念や警戒心を喚起する。
これはいわゆる、念話とかテレパシーというヤツではなかろうか?
前世のファンタジー知識が頭をもたげる。そして、その仮説が結論に変わるまでそう時間はかからなかった。
なぜなら、音ならぬ声からは、感情のようなものがダイレクトに心に伝わってきたからだ。
――なんて、楽しそう。
相変わらず意味は読み取れないけど、声の主が何かを楽しんだり、喜んだりしている事だけは解る。
しかも響いてくる声は少しずつ増えていき、だんだん喧騒じみた状態になってきている。
敵意や害意のような感情は感じられない。
俺は歳相応の稚気もあり、声の主を探してみようか、という気になった。
声は窓側の壁の向こう、つまり屋敷の外から響いてくる。
俺は身を起こしてベッドから出ると、靴を履いて窓辺へと移動する。
すると声がより強く明瞭に聞こえるようになった。
間違いなく、声の主はこの窓の向こう側、荒れ狂う風雨の只中にいる。
そう確信してからの俺の行動は早かった。
素早く常衣に着替えて防寒用のマントを羽織る。それから誰も起こさぬよう足音に気をつけて裏の通用口まで移動し、雨具(皮製の合羽)を纏って準備完了。
唯一、七歳児の身長と体力では扉の閂を外すのに苦労したが、何とかなった。
ノブを引いて、両開き木製扉の片方を押し開ける。
少しの隙間が空いた途端、びゅう、と強い風が頬を叩いた。
外に出る。
屋敷の裏庭側には庭を囲うように庇のついた廊下があり、いきなり雨に曝される事はない。
ひとまず裏口から出た位置から、声の様子を探る。
多少は近くなっている気はするが、まだ距離がある感じだ。方向的には裏庭の向こう側か。
……よし。
雨に濡れる覚悟を決めて、俺は裏庭へと足を踏み出す。
庇の下から出た途端、大粒の雨が皮合羽を容赦なくばしばしと叩く。
合羽越しとはいえ、幼児の敏感肌には結構刺激が強い。
暑い季節と、普段屋内でぬくぬく過ごしてるせいか、雨の冷たさが妙に心地よく感じる。
頭上では間断的に稲光が炸裂しており、その度に夜の世界が一瞬の色彩を取り戻す。
俺の軽い体重では、強風に飛ばされぬまでも、体勢を崩さないよう歩くのはけっこう大変だ。
走るのは無理だと早々に諦め、転ばないよう気をつけて一歩一歩、夜闇の中を進む。
声は徐々に強くなっている。
もう少しで声の正体が判るかと思うと、年甲斐もなく……いや、歳相応にわくわくしてくる。
裏庭の敷地は学校のグラウンド並みに広い。だが乗馬などの稽古事や軽い運動をここでいつもやっているため、視界が通らなくてもどこに何があるのかは把握している。
だから、このまま先に進めば、いずれ一本の老木の元へと辿り着くと知っていた。
もしかしたら、目的地はその老木の所かもしれない。
ちなみに、その老木の名称はレラム(の木)という。
この木は年二回、春秋の時期に夏みかんとレモンを足して二で割ったような柑橘系の果物を実らせる。
この地方では広く栽培されており、安価で手に入るため大衆にも好まれている。
残念ながら裏庭にあるレラムの老木は、寿命が近いのか果実がほとんど実らなくなって久しい。
もはや立ち枯れるのを待つばかり……といった風情に栄枯盛衰の寂莫をかつて感じたものだ。
普段の数倍の時間をかけ、老木へとたどり着く。
樹齢が相当なせいか、何度見てもかなりの大樹である。
やはり声は、この木……の上方から響いてくる。
これ以上、声の方へと近づくのは難しい。
木登りが出来ないわけじゃないが、この天候でそれを試す気にはさすがになれない。
何者かが木の下で待っている、という展開を期待していたわけではないが、手詰まり感もあって少々落胆した。
あとはもう、声に出して呼びかけるくらいしかやれる事がない。
嵐の狂騒の中では、声を張り上げたところでさして遠くまでは届かないだろう。それにテレパシーを使う謎存在が肉声に反応するのかも疑問だ。
そう考えはしたが、このまま徒労感を抱えて戻るよりはマシ、と思い直して大きく息を吸った。
「おぉーーーい!! 誰か! そこにいるのかー!?」
声帯と心肺能力を限界まで振り絞った大声で、俺はレラムの木へと呼びかけた。
果たして、反応はあった。
頭の中に響く声の様子に変化が生まれ始めたのだ。
今まで雑踏の喧騒めいていた声が、一つのベクトルに収束してゆく。
ざっくり言い表すと、皆同じ単語を喋り始めた、といった感じか。
そして同時に、老木と、遥か頭上の空に沢山の小さな気配が生まれた。
きっとその気配こそが、声の主たちなのだろう。
――精霊。
そう、脳裏に閃くものがあった。
頭に浮かぶのは、以前レナが語ってくれた、エルフ族に伝わる精霊の挿話。
精霊は知恵ある者を好み、時に惑わす。
資格無き者はそれを識らず、力無き者は耳目を塞げ。
精霊を畏れよ。
されば精霊は汝の伴侶となるだろう。
なればこそ、災厄は己が裡より生まれると知れ。
確かそんな内容だった。
話を聞いたその時は、精霊はなんだか不吉というか、おどろおどろしい存在に思えたものだ。
とはいえ、レナが言うには精霊は忌避するようなものではなく、むしろ数多の恩恵を与えてくれる善き存在である、と。
そうこう考えているうちに、ついに精霊と思しき気配がすぐ傍まで寄ってきて、俺を取り囲む。
だが、声と気配がある限りで、それらしき姿は何も見えない。
恐らく目で捉えられないほど小さいか、あるいは透明な霊体のような存在なのだろう。
間近から響いてくる精霊の声は、もはや大合唱とも言うべき状態だ。
その全ての声のベクトルが、俺に向いていると感じる。
楽しげで、嬉しげで、親しげな、精霊たちの声に惹かれて俺は手を伸ばした。
――仲間に入れて欲しい。
ごく自然にそう願った瞬間、ぱちっ、と小さな紫電が指先で迸った。
嗚呼、これは――。
俺と精霊の間に、意思疎通の導線が生まれた瞬間だった。
意志の奔流が俺の頭に流れ込んでくる。
それは人間に理解できるよう翻訳された精霊の声と言うべきもの。
雑多なその声をひとつひとつ掬い上げて受け止めるには数が多すぎる。なので総体的な意思のニュアンスとして言葉に表すならば。
『教えて 知りたい 伝えたい 君の事 僕らの事』
だった。
――いいとも。
俺の頭の中から、何でも知りたい情報を持って行くといい。
その代わり、精霊の事を教えてくれ。
『嬉しい ありがとう 楽しい 一緒 踊ろう』
精霊から喜色に溢れた意志が伝わってきて、胸を暖かくする。
――って、あれ?
何か物理的に胸の中が熱くなってきているような……。
自分の身に起こっている異変に気付いたのと同時、精霊の気配が次々に俺の体へと吸い込まれるように接触しては消えてゆく。
しかしそれは消滅したからではない。
俺の中に居所を移しただけだ。
胸に宿るたくさんの同居人たちと俺の精神がリンクし、《精霊交感網》とでも言うべきネットワークを形成してゆく。
精霊一体一体は個我が薄いのか、俺を上位の統率者として認識しているようだ。
そのおかげか、俺の傘下に加わった精霊たちは打って変わって声も立てず、みな大人しくしている。
後になって知った事だが、精霊と契約した人間の胸には《精霊核》と呼ばれる器官が生成されるらしい。
イメージとしては精霊の集合住宅、あるいは蜂の巣みたいな感じだろうか。
また、どうやら俺の契約した精霊は雷属性――雷精と呼ばれる精霊だと判った。
つくづく、どうして――俺は雷と縁がある。
前世の俺は悪縁、先祖の立花道雪は良縁だったと言えるだろう。
果たして今回の生においては、そのどちらになるのか。
願わくば良き縁、良き友人であって欲しい……。
新たに生まれた住処に惹かれてか、物凄い勢いで俺の下に精霊が集まってきている。
精霊交感網のおかげで従属精霊数の把握は容易い。
最初は百を超える程度だったのが、一分ほどで二万を超えた。そしてまだまだ増加の勢いは止まらない。
精霊が集えば集うほど、加速度的に集合速度も上がってゆくようだ。
三万……四万……五万……六万……。
参集する雷精のあまりの数に、ここら一帯で猛威を振るう嵐の全領域から集まって来てるのでは、とすら思う。
いやまて、これは……。
心なしか、空のあちらこちらで間断的に鳴っていた雷の発生頻度が落ちてきているような……。
……いや、確実に減ってきている。特に俺の直上付近では完全に雷鳴が止まっている。
精霊の有無と自然現象発生の関連性は不明だが、今の状況を鑑みるに無関係ではないようだ。
そうして上空の様子を観察していた時。ふと、風雨の環境音に混ざって何かの声らしきものが聞こえた気がした。
気のせいかと思うも、微妙に胸騒ぎがして耳を澄ます。
すると今度は、「ヒィーーン」という動物の鳴き声のような甲高い音がはっきりと耳に届いた。
遥か上空の方角から。
……鳥か?
音源の方向や鳴き声の感じから、そう推測する。
こんな大嵐の中をわざわざ飛んでいるというのも変な話だが、異世界だしそういう鳥もいるのかもしれない。
そう判断して対象への興味を失いかけた瞬間。
ぴかっと空の彼方で光が瞬き、視界が白く染まる。
「っ!?」
雷に貫かれたのだ、と気付いたのは直撃した後だった。
僅かに遅れて轟音が追従し、びりびりと俺の体を揺らす。
前世の死んだ瞬間を焼き直ししたかのような体験に、俺の全身が恐怖で竦む。
「…………?」
あれ、何ともない。痛みもない。
落雷を受ければ、普通は悪くて即死、良くても重態を免れない。
にも関わらず、俺は全くの無傷でその場に立っていた。
まさかこれは……雷精の加護?
というか、それ以外の理由が考えられない。
うおおおお、雷精さん超ありがとう!
胸の中の雷精に心から感謝を捧げたところで、ある事に気付く。
……あれ、これマッチポンプかも?
(多分)雷を操れる雷精が雷から主の身を守る、という構図。
今の雷を雷精が引き寄せた、という可能性を疑うと限りなく黒に近い自作自演だ。
雷精契約のデメリットが落雷を自身に集める、とかだったらかなりきつい。天気悪い日に外歩けなくなるよ……。
推測に頭を抱えてると、またしても落雷が我が身を襲った。
――またか!
流石に連続して二回目となると、状況を把握する余裕が出てくる。
すると今の落雷現象におかしな点がある事に気付いた。
今の落雷、雲からじゃなかったぞ……?
一度目と違い、今回の雷は雲と海上の中間ほどの高さで発生していたように見えた。
それともう一点、雷の軌道もおかしかった。
普通ならほぼ真下に落ちるそれが、遠方から斜め下方向の俺へと伸びてきたのだ。
雷精がオイタしてる、と決め付けるには違和感が大きい。
訝しむ俺の耳に、再び甲高い鳴声が届く。
――まさか、こいつか!?
まるで犯人は自分だと自己主張するようなタイミングでの声。
違和感が疑惑へと変わった。
声が合図だったかのように、三度目の閃光が視界を覆う。
心の準備と、目を瞠っていたおかげで、稲光の奥に鳥らしき形の影絵がうっすら見えた。
……間違いない、鳥のような飛翔体が雷で俺を攻撃してきている。
そう確信した俺は、どう対処すべきかを検討する。
まず屋敷に戻る事を思いつく。が、即座に却下。
無難で安全に思えるが、最善とは言い難い。屋敷の中に身を隠しても相手が諦める保障はないし、落雷攻撃を続けられたら人的にも物的にも大きな被害が出る。
隠れるだけなら屋敷でなくてもいいが、この近辺にある遮蔽物は目の前の老木くらいしかない。
そこを狙い打たれたら、雷自体は無効にできても、木が燃えて逆に危ないだろうから却下。
ついでに今のうちに老木から離れておく。
次に考えついたのは、援軍を呼ぶ事だ。
屋敷に隣接する兵舎には常時二百人近い兵士が寝泊りしている。
だが、間の悪い事に今はその半分ほどの人数しかいない。
この街の領主にして現エトランジェ家当主である俺の母が、領内視察の護衛としてその半数の兵士を連れ出している為だ。
それ以外となると、あとはレナくらいしかいない。
まあ、実はレナこそが現有戦力では最強だったりするのだが。
しかし、この案にも問題がある。というか、問題だらけだ。
落雷級の攻撃を連発できる化け物が相手である。無策では兵士が何人いたところでどうにかなるとは思えない。
ましてこの悪天候下である。
ただ無駄に犠牲者が増えるだけだろう。
最後に思いついたのは、ずばり戦う事だ。
逃げられないなら立ち向かうしかない。他人を頼れないなら自分でやればいいじゃない。
実に単純明快な論理の帰結。
しかしこの場合の問題は、俺だけで勝てるかどうか、あるいは追い払えるかどうかだ。
確認できた鳥影の大きさと彼我の距離からして、相手はかなりの巨鳥であるように思える。
ファンタジーな世界だけに、プテラノドンみたいな鳥がいても俺は驚かない。
でも、ドラゴンの見間違えとかだったらどうしよう……実在するらしいし。
一方、こちらは幼児。当然、体格は小さい。
武器は護身用の短剣だけ。
護身術レベルの戦闘技術は修めているが、相手を考えればまさしく児戯に等しい。
要するに、単身で挑むのは蟷螂の斧だと言わざるを得ない。
だが、勝算なくして戦闘を検討したりはしない。
俺には雷精という味方がいる。
得たばかりの力でどこまで戦えるかはわからないが、試してみる価値はあるだろう。
この身に宿す雷精の数は約二十八万。
果たしてそれが多いのか少ないのかは解らない。
すでに雷精の増加は止まっている。
私見だが、嵐の全領域か、少なくとも視界の届く範囲全ての雷精が参集したと思われる。
つまり、これ以上の戦力増強は見込めない。
これでどれだけの事が為せるかは分からない。が、既に俺は巨鳥との対決を心定めていた。
常識的に考えれば、俺など巨鳥にとって吹けば飛ぶレベルの相手でしかない。
それなのに戦うなど、誰が見ても狂気の沙汰だ。
だけど――。
――成人もしないうちにくたばってたまるか!
俺は奥歯をぎりっ、と噛み締めた。
「待ってろ、今からお前を焼き鳥にしてやる」
覚悟を決めた俺は相手に届いてない事を承知で、強がり精一杯の悪態をついた。
景気付けにと、即興で考えた決め台詞を吐き、同時に心の中で命じる。
「展開せよ! 我が軍勢!!」
――この身を守護せし太刀となれ、雷精!
雷精たちの反応は正しく劇的だった。
おびただしい数の雷精が俺の胸より一斉に飛び出す。
その霊妙で独特な感触を例えるなら、温もりがぶわっと広がった、という感じだろうか。
俺を中心に十重二十重と雷精が立体的に方円陣を敷く。
半径六メートルほどの大きさで展開したそれは、魔法陣的な一種の結界と言えた。
精霊交感網を介して俺の攻撃衝動が伝播したのか、雷精の滞空する中空のあちこちで小さな放電がスパークする。
……どうやら雷精もやる気十分らしい。
俺はニヤリと口の端を吊り上げた。