第二十話 海蛇
「んなっ!?」
海が爆発した。
そうとしか表現できない勢いで、ザッカークの足元から水柱が吹き上がる。
――そして。
「マジかよ……」
空高く伸びた水柱が細く収束してゆき、ぐねぐねと動きながら形を変えた。
変形した水柱の太さは四メートル、長さは三十メートル以上ありそうだ。
その威容はまるで、海から生えた巨大な蛇のごとし。
これを生み出したのは当然、ザッカークだろう。それを証明するように、海蛇内部の根元のあたりに立っている。
……なるほど、だから二つ名が〝海蛇〟なのか。
父さん、相打ちとはいえこんなの作れる奴をよく倒せたな。
って、そんな事を考えてる場合じゃない。
リーンはどうなった。水柱に巻き込まれたのか?
――いた!
海蛇を挟んだ向こう側で動いている人影が見える。間違いない、リーンだ。
彼女が無事な事にひとまずほっとする。
しかし、安心はできない。
おそらく、あの海蛇はザッカークの本気の表れだろう。
逆に言えば、これまでの戦いは手加減していたという事だ。
あの海蛇がどれほどの戦闘力を有しているかは未知数だが、もはやリーンがどうこうできる相手だとは思えない。
ゆえに致命的な被害を受ける前に撤退して欲しいのだが……
バーサク状態ではそれも難しそうだ。
とはいえ一応、ダメ元で声をかけてみるか。
僅かでも理性が残っていれば応じてくれるかもしれない。
俺は胸いっぱいに息を吸い、全力の大声で叫ぶ。
「リーン!! こっちに戻ってきて!!」
果たして、効果はあった。
海蛇を警戒してか、やや距離を取っていたリーンの動きが変わったのだ。
海蛇を大きく迂回するような形で移動を始める。
その行動には、こちらに合流しようという明確な意図が感じられた。
リーンの逃走をザッカークは看過しなかった。
海蛇の胴体から水のビームのようなものが発射され、リーンへと殺到する。
電撃ほどではないが、とても見て躱せるような速度ではない。にも関わらず、紙一重ながらリーンは跳躍してそれを躱した。
ザッカークの妨害を警戒していたからだとしても、凄まじい反応速度である。
初撃を回避できたとはいえ、あの攻撃はやばい。
海蛇生成前に使っていた水の槍強化版といった感じだが、速度と威力が段違いだ。
移動中に連発されたら避け続けるのは至難だろう。
というわけで援護する。
雷精に命じ、再びザッカークへと雷撃を放つ。
「……まあ、さすがに対策するよな」
ザッカークは自分から離れた場所に水壁を作って雷撃を防御した。
感電対策だろう。
どこまで電気の性質を知っての事かは分からないが、学習能力はあるようだ。
脳筋(見た目)のくせに生意気である。
まあいい。
今の攻防のうちにリーンはだいぶこちらに近づき、ザッカークからは離れた。
安全圏に達したとまでは言わないが、水流ビームを避けやすくはなったはず。
俺の予想どおり、ザッカークはその後も何発か水流ビームを撃ったが、リーンはその全てを危なげなく避けた。
そして、ついにリーンが海上から脱し、埠頭を駆けて俺の側までやってくる。
また、背後からレナも近づいてくるのが足音でわかった。
ザッカークは追ってこない。おそらく、こちらの出方を窺うつもりだろう。
リーンと合流した俺たちが立ち去ればそれでよし。船に乗って港から悠々と脱出できるというわけだ。
近くで見たリーンの顔に狂相はなく、瞳には理性の輝きがあった。
これ、バーサク状態解けてない?
リーンは肩で息をしながら俺に敬礼をし、頭を下げた。そして数秒ほどかけて呼吸を整えてから、口を開く。
「イオ様……ご助力、感謝いたします。理由は不明ですが、イオ様のお声を耳にしたら正気に戻る事ができました。それと、主命を果たせず申し訳ありません。私の力及ばず、あの男に後れを取りました……」
そう言って、悔しさと申し訳なさが混ざったような表情を浮かべるリーン。
俺の声で正気に戻ったという部分は謎だが、加護の効果が切れたのは僥倖と言える。
「リーンに落ち度はないよ。僕の見立てと判断が甘かったんだ。あんな危ない奴がいるなんてね。リーンが無事でよかった」
実際、ぼろぼろのリーンの姿を見ればどれだけ危険な戦いだったかがよく解る。
体の各所に傷があり、服は満遍なく血に染まっている。これほど満身創痍でよくあれほど動けたなと思うくらいだ。
「ありがとうございます。イオ様の援護と声がなければ危ないところでした。いえ、まず間違いなく敗北して死んでいたでしょう」
「加護は使っていたの?」
「はい。口惜しいですが、それでも届きませんでした。……レナ、おまえが教えたのか?」
「……そうよ」
途中で水を向けられたレナが、ややバツの悪そうな態度で答えた。
「……まあ、それは仕方あるまい」
リーンはちょっと渋い顔をしたが、レナを責めはしなかった。
護衛対象まで戦場に出てきた以上、伝えておくべき事だと納得したのだろう。
リーンは再び俺の方へ視線を向けた。
「イオ様。私の加護は味方にとっても危険なものです。イオ様の側で使うつもりはありませんが、心には留めておいて下さい」
「わかった」
「ところで、私からも一つ質問よろしいでしょうか?」
リーンが鋭い眼差しでヒタッと見つめてくる。
「いいよ、何?」
「先ほど、イオ様が使われた光の矢はいったい何なのですか?」
やっぱりそれを聞くよな。
今さら隠すつもりはないが。
「雷だよ。嵐の日とかにピカッと光って大きな音を出すやつ。僕はそれを使えるんだ。……雷の精霊使いだからね」
子供らしいふわっとした言葉で説明し、その証拠として指先にパチッと小さく電気を弾けさせる。
リーンは軽く目を瞠った。
「……そうなった経緯を詳しく教えていただきたいのはやまやまですが、のんびり話をしている場合ではありませんね」
表情を険しくして、リーンは海の方へ視線を向けた。
ザッカークと海蛇がこちらに向かって移動を始めたからだ。
いつまでも俺たちが動こうとしないので、痺れを切らしたか。
歩行程度の速度だが、海面上を滑るように進んでくる。
移動がゆっくりなのは、こちらにプレッシャーを与える意図がありそうだ。
レナとリーンが「どうするの?」と視線で訊ねてくる。
さて、どうしようか。
安全を取るなら、退却するのもありだ。むしろ、そちらの方が賢い選択だろう。
ザッカークも海上の地の利を捨ててまで追っては来まい。
父の仇と犯罪者共を取り逃がすのは業腹だが、命あっての物種だ。
戦う場合は、実質戦力が俺一人しかいない、というのが問題だ。
リーンや兵たちがいかに剣を振るおうとも、水でできた海蛇相手じゃ無力というか、分が悪すぎるからな。
まあ相性が悪い、という点では俺もそうなのだが。
感電対策を取られると、電撃だけでは如何ともしがたい。
というか、水精使い+地形:海の組み合わせが凶悪すぎる。精霊が十倍いたところで、正直勝てる気がしない。
いちおう、策がないわけじゃないんだが……
……よし、決めた。
「戦おう。僕に考えがある。レナ、リーン。協力してほしい」
レナとリーンに方針を伝え、順に二人と顔を見合わせる。
「イオが自ら戦うつもりなら、私は賛成できないわ。あれは危険すぎる」
「私も同意見です、イオ様。彼奴を倒したい気持ちは私も同じですが、勇気と無謀を履き違えてはいけません」
予想はしてたが、顔をしかめた二人に猛反対された。
まあ当然の反応だろう。七歳の幼児があんな怪物と戦うなんて正気の沙汰じゃないからな。
俺だって本音を言えば戦わず逃げたい。
だが、戦う力があるのに何もせず逃げるのは英雄のやる事ではない。匹夫の勇だとわかっていても、一矢報いておきたいのだ。
俺の自己満足で危険に付き合わされるレナやリーン、兵たちにはすまないと思うが。
「大丈夫、無茶はしないよ。遠くから一撃を加えるだけだから。それでダメなら諦めて撤退する」
俺は英雄志願者であって自殺希望者じゃない。リスク計算はきっちり行っている。
あんな怪物相手に近接戦闘などしたくないし、唯一勝算のありそうな作戦が通じなければとっとと逃げるさ。
「とにかく、今は議論している時間がないんだ。お願いだから、二人とも僕の言う事に従って欲しい」
「……はぁ。わかったわ、イオが危険じゃない限りは言うとおりにしてあげる」
「この場は仕方ありませんか……。イオ様、ご命令を」
半ば勢いで強引に押し切ると、レナはため息をつき、リーンは諦め顔でしぶしぶ了承した。
二人の同意を得られたので、作戦を伝える。
「それじゃ、手短に。まずレナには兵たちの統率を頼みたい。それと、彼らが装備している長剣と槍を徴発して、あの建物――の近くに置いて欲しい。あ、長剣は鞘から抜いた状態でね」
説明しながら、この付近で最も大きい倉庫らしき建物を指差す。
「ええ、わかったわ」
レナが頷くのを見てから、リーンの方へと顔を向ける。
「リーンには、危険な役どころで悪いけどザッカークの相手をお願い。けど、無理をする必要はないよ。適度にあしらいつつ、埠頭の近くで奴の注意を引き付けておいて欲しいんだ」
「私は前衛役というわけですね。了解しました」
リーンの承諾を待ってから、レナに説明したときと同じ建物を再び指差す。
「それと、あの建物とザッカークとの直線上にはできるだけ入らないように。僕の準備が整ったらリーンの名前を呼ぶから、そしたらザッカークからすぐに距離を取って。いい?」
「はい、問題ありません」
リーンは表情にやる気を漲らせて頷いた。
指示を出し終えた俺は、パンと手を打って行動を促す。
「説明は以上。それじゃ二人とも、頼んだよ!」
「ええ、任せて」
「はっ!」
力強く応えて、二人は行動に移った。
――と、思いきや。
「リーン、ちょっと待ちなさい!」
すぐにレナが足を止めて、リーンを呼び止めた。
何事かとリーンが振り返ると、レナはメイド服のポケットから取り出した何かをリーンへと放る。
リーンはそれを危なげなくキャッチし、手元に視線を向ける。
それは一見、アンプルのような小さなガラス瓶だった。
ああ、治癒薬か。
「怪我したままじゃ戦えないでしょう。それを飲んでからいきなさい」
「…………」
リーンが意外そうな表情を浮かべてレナを見やる。
「か、勘違いしないで。貴女の動きが悪いと作戦が失敗するでしょ。それは貸しよ、貸し!」
腰に手をあて、そっぽを向きながら恥ずかしそうにレナは言った。
なんというツンデレ。
不器用なレナの優しさに全俺が泣いた!
「ほら、さっさと飲んで早く行きなさい!」
俺とリーンの生暖かい視線に耐えられなくなったのか。
レナはシッシッと手で追い払う仕草をしてから背を向け、倉庫群の方へと走って行った。
そんなレナの背中を見つめたまま、リーンはフッと微笑った。
「……恩に着る」
海蛇に電気を流すと敵は死ぬ!
このネタにピンと来た人はオールドタイプ(謎)




