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第1章 黒い瞳の青年 *6*


 フウリがこの日二度目となる鍛冶工房の扉をくぐる頃には、は山に沈み、空には明々あかあか三日月みかづきが輝いていた。

 腰に着けていたかばんから携帯用の蛍石ほたるいしを取り出し洞窟に入っていくと、入口から一番近い応接空間で、ユィノとシュンライは薬草の並べられたたくはさんで、お茶をすすっていた。

「あら、フウリ。会議はもう終わったの?」

「いや、リュート殿が、彼が目を覚ましたと伝えに来てくれたので、会議を抜けて様子を見に来たのだが……彼は?」

「向こうの室にいるわよ。まだ起きていると思うけど……」

 そこで言い淀んだユィノに、フウリは手招きされて首を傾げた。

 洞窟内は声が響くので、聞かれたくないことは小声で喋るつもりなのだろう。ユィノは珍しく不安そうな表情を浮かべ、フウリにこっそりと(ささや)きかける。

「彼……何者かしら? 肩の銃創(じゅうそう)だけじゃなくて、他にも刀傷や、鞭で打たれたような(きずあと)がたくさんあったのよ。新しい傷もあるけど、古い傷も……」

 そんなユィノの申告に、フウリはチラリと彼のいる室の方を見やる。

「……リュート殿から聞いたのだが、彼がエランクルに追われているというのは確かか?」

「ええ、おそらく。銃を持っているのはエランクルたちだけだもの。あと、逃げている途中で落馬して、その時に少し頭を打っているみたいね。記憶が混乱しているみたいだけど、落ち着けば色々思い出すかもしれないわ」

「ハヤブサは、彼が記憶喪失を偽っているのではと疑っていたが……?」

「断言はできないけれど、傷は本物だったし、目を覚ました瞬間の第一声が『もっと遠くへ逃げなければ』だったのよ。あたしには嘘をついているようには見えなかったわよ」

「そうか……」

 記憶を失っている者同士、話せば嘘なのかどうかはわかるかもしれないな、とフウリは頭の隅で考えつつ、頷いた。

 とそこで、茶を飲み干して卓に置いたシュンライが「あっ」と思い出したように口を開いた。

「そうそう、アイツ、相当な手練(てだれ)のようだからな、念のため、あの室に置いてあった武器類は全部こっちに隠しておいたぞ」

 シュンライは鍛冶師として、また、元サムライとして、彼の体つきや武器を握るその手を見ただけで、どれくらいの使い手なのかがわかったらしい。

 その言葉に、フウリが腰に差していた愛刀あいとう(つか)を確かめるように撫でると、シュンライは緊張を察したのか、すかさず付け加えた。

「まぁ、フウリちゃんほどの腕なら、問題ないとは思うがな」

 笑うシュンライの言うとおり、フウリはセンリュ村で刀を握らせたら右に出る者はいないと云われているほどの刀の使い手だ。 

「用心するに越したことはないからな、気をつけるよ。二人とも色々ありがとう」

 フウリは頼りになる二人に小さく頭を下げると、彼がいる室へ向かった。


 ***


「失礼するぞ」

 室の中から落ち着いた青年の声で「はい」と短く返ってきたのを確認すると、フウリはに足を踏み入れた。

 いつの間にか、ボロボロで血まみれだった服は、綺麗なものへ着替えさせられている。見覚えのある紺色のチゥレおり――ノチウの伝統衣装だ――はリュートのものなのだろう。 

 ベッドから身を起こそうとしている青年に気付き、慌てて駆け寄ったフウリは、そっと背中に手を添え、「大丈夫か?」と顔を覗き込み……そして固まった。

 青年と目が合った瞬間、フウリはその黒い瞳の奥に吸い込まれるような感覚におちいった。

「……っ!」

「あぁ、すみません。驚かせてしまって……」

「え?」

 驚く? 一体何に――?

 フウリが目をまたたかせた瞬間、視界が不意にぼやけた。

「だって、涙が……」

 困り顔でつぶやいた青年の手がスッと伸ばされ、フウリの頬をいつの間にか伝っていた涙を優しくぬぐっていく。

 フウリは自分の頬に触れていった彼の指の冷たさに、ハッと我に返った。

「す、すまない、見苦しいところを……」

 不覚にも人前で涙を流してしまったらしい。フウリは恥ずかしさのあまり顔が火照(ほて)るのを感じ、慌てて顔を背ける……が、意識すればするほど鼓動は速まっていった。

 それに加えて、胸の奥がキュッと締めつけられるように苦しくなったのは、気のせいだろうか――。

 フウリは脳裏のうりに浮かんだ疑問への答えを探しつつ、涙を拭って苦笑くしょうした。

「これはその、そなたの瞳の色に驚いたとかそういうわけではなく……つい見惚(みと)れてしまった、というか……」

 青年の澄んだ黒い瞳と目が合った瞬間、フウリは初めてその瞳を見たはずなのに、なぜだか「懐かしい」と思ってしまった。と同時に、連想させるものがあったのだ。

「見惚れた? こんな色の瞳に?」

 今度は青年の方が驚き、フウリの言葉に目をみはった。

 どうやら『黒』い瞳がノチウの者から『不吉なもの』として見られることは覚えていたらしい。今まで幾度となく同胞から浴びせられたのだろう冷たい言葉の刃が、そう簡単に記憶から抜けるものではなかったということか。

 ただ、フウリは黒い瞳を見て、別のことを思った。

「こんな色、なんて卑下(ひげ)することはないと思うぞ。私は本当に、綺麗だと思ったんだ。まるで……小さな星が輝いている夜空みたいだな、と……」

 青年の黒い瞳の奥には、室内に置かれた蛍石の浅緑色の光が映り込んでいて、それが一瞬フウリの好きな秋の星座、南のひとつ星に見えたのだ。

「……キミは優しい人なんだね。この瞳が綺麗だなんて、たぶん初めて言われたよ」

 ありがとう、と目を細めた青年の笑顔に、フウリまで思わずつられて微笑んでいた。

 と同時に、こんな優しい表情を浮かべる人がエランクルに関係ある悪い人だとは、思えなくなっていた。

 しかし、フウリにはどうしても確認しておきたいことがある。

「ところで、そなたが持っていたこの手巾しゅきんのことなんだが……これは、どこで手に入れたものか覚えているか?」

 フウリが預かっていた手巾を取り出すと、青年の表情は一変し、明らかに狼狽(ろうばい)した。

「こ、れはっ……!」

 まるで宝物を奪われた幼子(おさなご)のように、慌てた様子で自分の手に手巾を取り戻すと、確かめるようにそれを握り、小さく安堵あんどのため息を漏らした。

「そんなに大事なものだったのか?」

「……ええ。たぶん、なのだけど」 

「たぶん? それも覚えていないのか?」

 申し訳なさそうに小さく頷いた青年は、手にしている手巾をギュッと握りしめた。

「エランクルから逃げようって思った時に、俺は何かを探そうとしていた気がするんだ。でも、それが何だったのか、思い出せなくて……。もしかすると、この手巾の持ち主に会おうとしていたのかもしれない……」

「それは……」

 その文様は自分のものと同じだ、と言おうとして、しかしフウリは口を閉ざす。

 確かに、フウリの文様と手巾のそれは同じといって良いほど似ているけれど、だからといって彼の探している者がフウリとは限らないのだ。大事にされているものならばこそ、軽率なことは言えない。

 もし自分が彼の立場だったら「あなたが探していたのは、たぶん私のことです、でもあなたのことは覚えていません」なんて、言われても困るだけだと思った。

 ノンノが話していたような『星神謡(せいしんよう)』に出てくる恋人同士の運命的な再会なんて、所詮(しょせん)は物語の中だけの話で、現実では起きるはずがないのだから――。

「その……早く見つかると良いな、そなたの探している者が……」

 フウリはぎこちない笑みを浮かべながら、結局そうつぶやいた。

「ありがとう……。ところで、キミの名前を聞いてもいいかな?」

「ああ、申し遅れた。私の名はフウリ。そなたは……カケル殿といったか?」

「それが本当に自分の名前かどうかも、実は自信がないのだけど、ね……」

 そう言いながら寂しげに視線を落としたカケルは、やはり嘘をついているようには見えなかった。

「思い出せないのは不安だと思うが……って、カケル殿、大丈夫か?」

 傷が痛んだのか、左肩を抑えてわずかに顔を歪めたカケルに、フウリはハッとした。

「すまない、きちんと休ませるべきだったのに……」

「いや……こちらこそ、どこの誰だかわからない俺なんかを助けてくれて感謝してるよ。手当てをてくれた彼女たちにも、礼を伝えておいてくれるとありがたいな」

「わかった。では、今日はもうゆっくりと身体を休めてくれ」


 そうして彼が横になるのを手助けした後、フウリが室を出ると、そこへちょうどハヤブサが息を切らして駆け込んできた。

「おいっ、アイツは? オレが殴ってでも正体を明かしてやるぞ!」

「落ち着けハヤブサ。カケル殿とはきちんと話してみたが、私には嘘をついているようには見えなかったぞ」

「はぁっ? 何、簡単にだまされちゃってんの?」

「あら、あたしも同意見よ、ハヤブサ。シュンライおじさんも、そうよね?」

「お、おぅ……まぁな。今は傷がひどくて動けないだろうし、突然暴れ出すような激しい性格の奴には見えなかったからな、とりあえずは大丈夫だろ」

「ふん、そんなのわっかんねーじゃん! とにかく、一度オレも話してくる」

 カケルの寝ている室に突撃しようとしたハヤブサを、先ほどとは逆に、今度はフウリが止めに入った。

「傷が痛むようだったから、しばらくは安静にしていた方がいいと思うのだが」

「なんだよ、フウリ。なんで会ったばっかりのアイツをかばうんだよ? もしかして、おふくろがさっき言ってたこと、マジなのか?」

「は? ノンノ殿が言ってたこと?」

 フウリはハヤブサがどうやら自分に対して腹を立てているらしいことに気付き、首を傾げた。

 馬を横取りして一人でココへ来てしまったことはノンノとは関係ないから、そのことで怒っているわけではなさそうだ。

「だっ……だからよぉっ……その……『星神謡』みたいなこと、とか……」

 恥ずかしそうに顔を俯け、言いづらそうに小さな声でつぶやいたハヤブサに、フウリはしばし目をまたたかせた。

「……あ」

 ようやく、ノンノが先ほど言っていた『記憶を失ったフウリとカケルが運命的な再会』説を思い出し、そして噴き出した。

「いや、そんな、まさか!」

「……じゃあ、なんでそんな、初対面のヤツを信用しちゃってんだよ。根拠は?」

「根拠か……」

 フウリは答えに困って視線を泳がせる。

 ふと見ると、ユィノとシュンライは卓を囲んで静かに座ったまま、二人のやり取りを何やらニヤニヤとした表情を浮かべて見守っていた。

 その視線が妙に生温かく感じるのは気のせいだろうか。

「あえて言うなら、サムライとしての勘、だな。彼のまっすぐな瞳は、村に何かをしようとか企んでいるような悪意の含んだものではなかったよ」

 星が輝いている夜空のような瞳を思い出し、柔らかく微笑んだフウリの答えに、しかしハヤブサは納得がいかない様子で、眉間に皺を寄せる。

 それを見て、フウリはさらに続けた。

「とにかく、何度も言ったが、彼のことは私が責任を持つ。だから、せめて傷が癒えるまで、ここに居てもらっても構わないだろうか?」

 その言葉は、ユィノやシュンライにも向けられていた。

「まぁ、せっかく拾って助けたケガ人を放り出して死なれちゃあ気分悪いからな。いいんじゃないかねぇ?」

「それは、あたしも同感。村の皆が納得いかないって言うなら、あたしが薬師として一言添えてあげるわよ、フウリ」

 実のところ、シュンライもユィノは、やきもきしているハヤブサと、そんな彼の気持ちに気付いていないフウリ、そしてカケルの三人の関係がどうなっていくのか、楽しんでいるのだったが――そうとは知らず、フウリは二人の強力な味方に安堵し、ハヤブサは募る不満を室内に響かせた。

「オレは……オレは絶対に認めないからなーっ!」


 その後。

 ハヤブサの反対むなしく、薬師ユィノの意見と、実際に室を貸すことになったシュンライの意見が村会議で認められ、カケルをしばらくの間、受け入れることが決定したのだった。


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