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第1章 黒い瞳の青年 *5*


 鍛冶工房かじこうぼうのある洞窟を出て緩やかな山道を少しくだると、夕陽を浴びて黄金(きん)色に輝く茅葺(かやぶ)きの家々が十五ほど密集しているのが見えてくる。

 それが、フウリたちの暮らしているセンリュ村だ。

 急流エシク川も下流のここまでくれば緩やかな流れになっており、また、近くには数刻すうこくおきに温かい水を噴き出す間欠泉かんけつせんもあるので、生活用水にはまったく困らない。

 朝晩は寒暖の差から深い霧が発生することが多く、多少の不便はあるが、それもこの村を守る立派なたてになってくれていると考えればありがたく、あとは火山さえ落ち着いていれば文句のつけようのないくらい豊かな場所である。

 夕暮れ時の今は、どの家からも煮炊きの煙が立ちのぼり、おいしそうな香りが漂ってきていた。


 フウリは馬小屋に愛馬あいばつなぐと、元気に駆け回っている村の子どもたちと挨拶を交わしながら村の中央広場近くに建っている大きな茅葺きの建物へと向かった。

 そこは、半月(はんげつ)の夜に行われる村会議に使われている場所で、普段は村の女たちが野菜を干したり、情報交換という名の賑やかな会話を交わす憩いの場となっている。

 しかし今、その室では、中央の囲炉裏(いろり)を囲むようにして各家長(かくかちょう)の男たちが固い表情を浮かべ、胡坐(あぐら)をかいて座っていた。

 夏なので囲炉裏に火は入っていないが、十人以上の者が一堂に会していることもあり、室内の空気はムッとしている。

 皆がひたいに汗をにじませている中、上座に座っている老婆だけは涼やかで――彼女こそ、(よわい)六十過ぎにしてこの村のおさを務める女長老エミナ……神謡姫しんようきシャラと薬師くすしユィノの祖母であった。盲目ではあるが、村の誰よりも多くの知識を持ち、頼りにされている人物だ。

 そしてエミナの正面、扉近くに正座しているハヤブサは、会議への出席が初めてということもあり、緊張した面持おももちで背筋をピンと伸ばしていた。

 そんな中、フウリが扉を叩いて入室するや、彼らの視線は一斉いっせいに彼女に注がれた。

「事情の説明に参りました。同席の許可を得たいのですが……」

 ハヤブサとは異なり、この村の筆頭ひっとうサムライとして日々多くの男たちを率いているためか、フウリは慣れた様子で大勢からの視線を受け止める。

「おぅおぅ、待っておったぞ、フウリや。ほれ、アタシの隣に座るがよいよ」

「はい、失礼いたします」

 女長老エミナの許しを得たフウリが腰を下ろすと、すでにハヤブサから話を聞いていた男たちが、一斉に口を開いた。

「フウリよ、その青年とやらが『黒い民』エランクルに通ずるものであった場合、斬る覚悟があるとのことだが、それはまことか?」

 前筆頭サムライの男で、長老に次ぐ権力と知識をもつイアクがうなるように問いかけたのを皮切りに、他の男たちも口々に疑問を投げかける。

「フウリ殿の文様が入った手巾しゅきんを持っていたというが、それは確かなのかい? しかもその男、黒い瞳なんだって?」

銃創(じゅうそう)があったのなら、エランクルが関わっていることに違いないだろう?」

「君にしては珍しく、いささか無用心ぶようじんな判断をしたように思うが……」

「もしそいつがエランクルだったら、この村は奴らに見つかってしまうではないか!」

 男たちの明らかな警戒を感じ取り、フウリは苦虫をつぶしたような表情を浮かべた。

 ハヤブサの提案で工房ではなく村へ運び入れていたら、この程度の反論や騒ぎでは済まなかったかもしれない。フウリはそれぞれの問いに頷き返しながら、心の中ではそっと、ため息を漏らした。

 とっさに、彼がエランクルと関係があると決まったわけではないのに……と考え、ふとその思考にフウリ自身、違和感を覚える。

 しかし、なぜだかわからないが、フウリには彼を信用してもいい気がしていた。

「まぁまぁ、ここでフウリを責めてもしょうがないじゃろうが。そやつが目覚めて事情を聞くまでは判断はできぬようじゃしのぅ。シャラの予知夢でもわからなんじゃったろ?」

 長老エミナの言葉にフウリは頷き、伸ばされた温かい手を握り返す。目尻の皺を深くして微笑んだエミナに、触れている手から動揺をさとられてしまうのではないかとハラハラしながら、躊躇(ためら)いがちにフウリは続ける。

「シャラも、今朝(けさ)見たという夢では、村に近づいている者がエランクルかどうかは判断しかねたようで……。ただ、不安がぬぐいきれぬ様子だったので、私の判断でいつもより遠くまで見回りに出た次第だったのですが……」

 が、この話を聞いた男たちは眉間の皺をさらに深くした。

「シャラ様がわからないというのなら、尚更、その男は危険なのではないか? やはり早々に追い出すべきだと思うがね」

 家長の一人がそう言い、そうだそうだ、と同調する声が上がりかけたその時、家長たちに冷茶れいちゃ給仕きゅうじしながら黙って聞いていた女性が、クスリと笑い声を漏らした。

「なんだい、ウチの村の男どもときたら、みんな臆病者おくびょうもんだねぇ! ケガ人一人連れ帰ってきたってだけで、ガタガタ騒いで。覚悟を決めて助けようとしたフウリちゃんや、治療しに飛んでいったユィノちゃんの方が、アンタたちよりよっぽどきもわってるじゃないかい! ほれ、茶でも飲んで、みんな頭を冷やしたらどうだい?」

 胡坐をかいている男たちの前に、ドンと乱暴に湯呑みを置きながら言い放ったのは、ハヤブサの母親、ノンノだった。

 ふくよかな体つきに似合った大らかな性格で、ふところが深く、いつも笑顔を絶やさない村の皆のお母さん的存在だ。夫であるシュンライが工房を離れられない今、家長代理として会議に出てきたらしかった。

「大体ねぇ、ちょっと考えてもごらんよ。フウリちゃんの文様入りの手巾しゅきんを持っていたってことは、その彼がフウリちゃんの大事な想い人だったかもしれないんだよ?」

「えっ?」

 ノンノの思わぬ発言に、一同はハッと息を呑む。

 が、中でも一番驚いていたのはフウリだった。

 文様入りの手巾を好意を持った相手に渡す風習は確かにあるが、それは相手の文様を刺繍して渡すものであって、自分の文様入りの手巾は渡さないのではないだろうか。

 それどころか、ユゥカラ村が滅んだのは、フウリがわずか六歳の時だ。そもそも、想い人がいるような年齢ではない気がする。

 しかし、あっさりとノンノの意見に流された幾人かが、納得げに頷きだした。

「なるほど……フウリ殿が彼を助けた理由は、そういうことだったのかね?」

「いえ、ですからその……私には前の村にいた頃の記憶がないのでなんとも……」

「あらやだ、フウリちゃんったら照れちゃって。想い人のことだけは、きっと心のどこかで覚えているものなのよぅ! ほら、そういう『星神謡せいしんよう』があったじゃない?」

 星神謡というのは神々たちを主人公にした伝説をもとに紡がれ、語り継がれてきた物語で、中には運命的な出会いや別れを描いた恋愛物語もあるにはある。

「し、しかし……それは、物語の中だけの話で……」

 とフウリは言いかけ、目を輝かせて語るノンノに反論するのを諦めて頬を引きつらせた。

 なるほど。記憶がないというのは、こういう時に肯定も否定もできないらしい……と、フウリが困惑し、窓の外に視線を泳がせていると、馬の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 扉の一番そばに座っていたハヤブサが()さきに気付き、機転を利かせて扉を開けると、馬のいななきと同時にリュートが駆け込んできた。

「失礼いたします! 例の者が目を覚ましたので、急ぎ知らせに参ったのですが……」

「……が?」

「それが、その……なんと説明したらいいか……」

 彼について何かわかったのだろうと、室内に緊迫した空気が流れる。しかし、リュートは何やら言いづらそうに口ごもってしまった。

 そんな彼の煮え切らない様子に対し、家長たちが苛立いらだちをつのらせていくのを感じたフウリは、小さく息を吐いてから、話の先を促す。

「知らせてくれてありがとう、リュート殿。続けてください」

「リュートや、落ち着いて話すが良いよ。彼がどうかしたのかね? やはり、エランクルに関係でもあったか?」

 フウリに続いて静かに問うてきた長老に、リュートは深いため息をつきながら、首を横に振る。

 そこで、相変わらず落ちついた笑みを浮かべているノンノから、さりげなく差し出された冷茶を受け取ると、ようやく口を開いた。

「それが……記憶が混乱しているようで、なんとも事情がはっきりしないのです。傷はエランクルから逃げようとして負った、とのことなのですけど……」

 この報告に、一同は揃って眉を寄せ、家長イアクが確認するように尋ねる。

「エランクルから逃げていただと? 一人でか?」

「ええ、一人で。途中、落馬して馬には逃げられてしまい、動けなくなっていたのだとか。しかし、なぜ追われていたのかは覚えていないそうで……。おまけに、何かを探していたけれどそれが何だったのか、どこへ向かっていたのも、まったく思い出せないと言うのです。自分の名前ですら、おそらく『カケル』であろうという曖昧(あいまい)さでして……」

「黒い瞳の色についての弁解は?」

 別の家長が問い、実際にその瞳を見たことのあるハヤブサが興味深そうに顔を上げた。

「いえ、それも記憶にないらしく、エランクルとの関連性についてはなんとも……」

「ならば、例の手巾については?」

 フウリはそれこそが一番知りたかったので思わず腰を浮かせたが、リュートはそこで「あっ」と声を上げて固まった。

「も、申し訳ない、それは訊き損ねていました。もしかしたら今頃、ユィノと親父が聞き出しているかもしれませんが……」

 いつも肝心なところで抜けているのがリュートらしいと、ノンノは呆れたように笑う。

 しかし、直前の会話から興味を抱いていた面々が揃って肩透かしを食らい、渋い笑みを浮かべたため、リュートは気まずそうに頬をかいた。

 とその時、フウリが来てからはずっと黙っていたハヤブサが突然立ち上がった。

「どうしたんじゃ、ハヤブサよ?」

「やっぱさぁ、絶対にそいつ怪しいって! 記憶が混乱してるとかって、嘘ついてんじゃねぇの? オレが行って本当のこと全部吐かせてくるよ!」

 鼻息を荒くして言うハヤブサに、一同の反応は同意する者と、落ち着かせようとする者とに二分(にぶん)した。

「そういえば、少し前にニタイ村へ行った時、エランクルに侵略された村の者で、奴らに連れて行かれたはずの者が、別の村に戻ってきたという噂を小耳に挟んだんだが……」

「では此度(こたび)の者も、捕まっていた場所から逃げてきたと?」

「いや、すでにエランクルどもの手下、密偵になっているやもしれぬぞ?」

 あれやこれやと意見が飛び交う中、ハヤブサに続いてフウリも腰を上げた。

 実際に会って話してもいないのに、何も確かめもせずに、想像だけで言い合っていても、(らち)が明かないと思ったのだ。

「とりあえず、私も彼に話を聞いてこようと思う。席を外しても構わないだろうか?」

 しかし、長老エミナが「(だく)」と頷くのをさえぎるように、ハヤブサが扉の前に立ち、フウリを行かせまいと両手を広げた。

「フウリはここで待っててよ。オレが行ってくるから!」

「いや、彼の件は、ここへ運ぶと言い出した私に責任があるからな、自分で行くよ」

「いいってば! オレが殴ってでも口を割らせてみせるって!」

 なんとしてでもフウリを押しとどめようと必死な息子の様子に、何かを察したノンノが立ち上がり、ハヤブサの肩をポンと叩く。

「なんだいお前、一丁前に嫉妬(しっと)してるのかい? さてはその男、お前より背が高くて、フウリちゃんごのみの良い男だったね?」

 この指摘にはフウリも絶句した。後半の方はともかく、ハヤブサより背が高かったのは確かだ。同年代の男よりも頭ひとつ分は背が低く、フウリと変わらない目線であることを気にしている彼へのツッコミとしては、効果覿面(こうかてきめん)だったようだ。

「ちっ……ちげぇよ! オレはただ、なんか……アイツがかんに触るっていうか……」

「それが嫉妬だってんだよ、バカ息子」

 そのやり取りに、どんよりと重たい空気だった室内に、明るい笑い声が巻き起こった。

「……あぁ、もー!」

 ノンノに続いて他の家長たちにもからかわれたハヤブサは、言い返せないまま顔を耳まで赤く染めて飛び出していく。

「あ、待てよハヤブサ、私が行くと言っているだろう!」

 外で待っていた月毛馬つきげうままたがろうとしていたハヤブサだったが、フウリがピュイッと口笛を鳴らすと、馬は彼よりも彼女の方に、おのれの背を差し出した。

「よし、いい子だね、ツキシロ。私を工房まで、ちょっと乗せておくれよ! ハヤブサ、すまない! リュート殿に馬を借りると伝えておいてくれ!」

「えっ、ちょっ……!」

 乗ろうとしていた馬をいとも簡単に横取られ、ハヤブサは呆然ぼうぜんと佇む。

 フウリはそんな彼の横を風のようにすり抜けると、颯爽さっそうと駆け出していったのだった。

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