ただ追うだけでは駄目だから①
『アオォウ』
そのとき、俺の視界にフェンが飛び込んでくる。
彼女はどこか悲痛な鳴き声を響かせ、口からなにか吐き出した。
薄い桃色の布地。縁に小さな赤い花が刺繍されていて、幼い子供が好むものだろうと想像がつく。
「……始祖人の服の切れ端」
俺が呟くとフェンは「はっはっ」と息を弾ませながら首を上下に動かす。
「そうか。ディティアを噛んだ始祖人を追ったんだな。それで噛み付いてこの布を――」
『ガウ……』
応えるその声に勢いはなく、尻尾が力なく垂れている。フェンはフェンなりに気落ちしているのだろう。
俺は膝を突いてそっと両腕を伸ばし、その首筋を包んだ。
顔を埋めれば太陽と煙と僅かな獣の匂い。
胸のなかがジワリと熱くなって、また涙がこぼれそうになった。
フェンは追って、追い付いて、喰らい付いたんだな。
「……いいんだ、お前はよくやった。ディティアは大丈夫だからさ。こんなに饐えた臭いのなかで追うのは大変だったろ?」
『クウン……』
ディティアは「小さな女の子を助けようとした」って話していた。
このバルコニーなのか、ほかの場所なのか、それはわからないけど――フェンが気付くよりも先に「小さな女の子」に手を差し伸べたんだろう。
そうだよな、始祖人が子供の姿をしているなんて誰も思わない。
俺だって手を伸ばす。
「始祖人は小さな女の子の姿をしていた、そうだな?」
『ガウ』
体を離して問うと、フェンは応えてぶるりと四肢を震わせる。
俺は頷いて立ち上がり、布を握り締めて続けた。
「ひとりだったか?」
『ガウッ』
「空に逃げたんだな?」
『ガウゥ』
始祖人は黒い魔物と一緒に立ち上る煙に紛れたのだろう。
空を仰ぐフェンの視線を追って、俺は唇を引き結ぶ。
「……。よしフェン、まずは皆と合流しよう。ロディウルなら始祖人の潜伏先を知ってるはずだ」
始祖人が逃げたのなら、丘陵の町フルシュネはひとまず安全だと思う。
ほかに始祖人がいないとは言い切れないけど、最大の懸念だった〈爆〉ふたりは確保できたからな。
操られた冒険者たちも制圧したし、敵のもとにいるのはディティアひとりだろうか。
セウォルのときと同じならディティアはまず潜伏先へと向かい、そこで始祖人と合流するはずだ。
潜伏先に到着するまでに彼女を捕まえることができれば一番いい。
「ここからなら町長邸が近いな。ロディウルにグランたちを送るよう伝えてあるんだ。向かっているあいだに会えるかもしれないし、フェンはアロウルに気付いたら呼んでくれるか」
『ガウゥ』
俺はバフをかけ直し『五感アップ』を『脚力アップ』に変えて駆け出す。
風将軍ならディティアの速さにだって追い付ける。
「あとは〈爆風〉か……」
ディティアを無力化するのに〈爆風〉の力は必須だろう。
ロディウルには先導してもらわないとだし、迎えをどうするか。
…………
……
そんなことを考えているうちに町長邸に到着してしまった。
くそ、冒険者たちを運ぶのに時間が掛かってるのか? ならそっちに行くべきだったか……!
ディティアが走っていることを思うと胸がぎゅうっと苦しくなる。
それこそ息をするのさえ痛いほどに。
本当なら追いかけたい。いますぐにでも。
だけど焦るな、焦るな……!
俺はパンと頬を叩き、息を吸った。
「フェン、グランたちが来たら呼んでくれ。……すみません、俺は〔白薔薇〕のハルトです。昏睡状態のひとがいれば治療したい。バッファーとヒーラーはいませんか」
建物の外に集まって見張りをしていた冒険者たちに言うと、すぐに数人の男女が出てきた。
「グランさんたち言われて集めておいたんです」
微笑む冒険者に俺は思わずポカンと口を開け、首を振って頷く。
「そっか、グランが……ありがとうございます。バフが使えるひとは?」
冒険者たちは顔を見合わせて首を振った。
ここにはヒーラーしかいないのか――仕方ない。
「わかりました。俺がバフをかけます。昏睡状態のひとはどこに?」
そうして。案内してもらい屋敷の一画に寝かされているひとたちを治療したところでグランたちが到着した。
最初に俺のところに来たのはボーザックだったけど、その姿を見たら――俺。
「おーいハルトー! ハルトが先にいるってことはティアも――」
ひらひらっと手を振ったボーザックがびくりと立ち止まる。
あれ、やばい。あれ?
冷静でいたつもりが、どうやらただ気を張っていただけだったらしい。
堰を切ったかのように――いや、これはもう決壊だ。
急に込み上げた涙が次から次へと溢れ、流れ、止まらない。
情けなくて苦しくてたまらなかった。
「ちょ、ハルト⁉」
「わ、悪い……あ、あれ? と、とにか、い、行かないと……う」
「――わかった。ロディウルはこっち! ほら、行こう!」
ボーザックは俺の様子からなにかを汲み取ったらしい。
俺に駆け寄ると背中をバシンと叩き、押し出してくれる。
その力強さで蹌踉けるように一歩。また一歩。
俺は懸命に腕で顔を擦り鼻を啜ってボーザックとふたりで進む。
「ごめん。情けない。泣くつもりなんてなかったのに、なんか……」
ディティアのことを話さないといけないのに何故かそんなことを言ってしまった俺に、ボーザックは口角を引き上げた。
「それ気にすること? 俺のほうが泣いてる気がするし。ハルトもたくさん泣いたらいいのに」
「……そっか。それで、その……」
ディティアが噛まれたんだ。でも止められなかった。
口にするのが、どうしようもなくつらい。
守りたかった。守れなかった。
どうしてフェンとふたりで行かせてしまったのだろう。
後悔しても遅いのに。
するとボーザックは前を向いたまま首を振った。
「いまのハルト見れば大体わかるよ。何年一緒にいると思ってんのさ? ……始祖人のいる場所に向かえばいいんだよね? 大丈夫。説明は空で聞くから」
いつもありがとうございます!
引き続きよろしくお願いしますー!