杯をかわしたいのです③
……そうか。始祖たちに埋め込むこと……それが「血結晶を育てる」条件だったんだな。
シエリアはそれを知らないはずだ。
でも敢えてここを見せたのは文通相手がなにか吹き込んだんだろう。
つまり、そうすべき理由があったんだ。
俺は檻の中で伏せたままこちらを静かに見つめるフェンリルを真っ向から見つめ返す。
フェンよりはるかに大きく、尾を入れれば俺よりも体長がある。
こいつらは賢い。もしかしたら始祖と呼ばれる魔物はほかの魔物よりも高い知能があったりするのかもしれない。
檻には寝床らしき場所と排泄場所も用意されていて清掃は行き届いているようだ。
フェンリルの毛艶もよく、飼育状況は悪くはないのかも。
それは素直によかったと思った。
「ハルト君、ここからは僕たちドーン王国がどこまで手伝えるかのお話になると思います。どうぞ」
にこりともせず剣の切っ先のような鋭い眼でシエリアが手紙を差し出したのはそのときだ。
あまりの真剣さに俺は眉をひそめる。
「どういうことだ……?」
「……」
シエリアは無言で俺の手に手紙を載せる。予想通り、蜜蝋に押されているのはラナンクロスト王国騎士団の紋章だった。
俺は〈爆風〉と目配せをして、その場で封を開ける。
胸のなかがざわつくのは……わざわざ先回りして報せたいことがあるってことだから。
始祖たちが関わっているとなれば、血結晶も少なからず関係するのかもしれない。
◇◇◇
やあ〈逆鱗の〉。
単刀直入に伝えよう。
アイシャで不穏な動きが確認されている。特にラナンクロスト王国では顕著だ。
人間が突然自我を失う、または昏睡状態に陥る現象が多発していてね。
僕は王国騎士団で各国と協力し問題の調査に当たることになった。
さて、そこで気になる情報がある。自我を失った者の眼が紅くなったそうだよ。
けれど血結晶を接種した痕跡もなければゾンビ化するわけでもない。
そこで親愛なるユーグルのウルに見解を聞いたところ、始祖の話が上がってね。
始祖の研究を行っているドーン王国、その第七王子にも協力の依頼を出すついでに君への手紙も託したというわけだ。
おっと、先の内容は当然機密事項だ〈逆鱗の〉。
君なら読み進めるだろうから念のための記載だが、漏洩は重罪だよ。気をつけてくれたまえ。
既に君たち〔白薔薇〕は僕たち王国騎士団と協力関係にある。
おそらく君は僕の文通相手を見つけて僕に手紙を送ってくれているはずだしね。
なにか素敵な土産物でも同梱してくれているかもしれないが、それを受け取る頃には調査に出てしまっているだろうからルクア姫に確認を頼んだよ。
反応を楽しみにしてくれ〈逆鱗の〉。
そして約束どおり、とある夫婦はアルヴィア帝国に派遣済みだ。
君たちの活躍に期待する。
◇◇◇
「……あいつ、要所要所が嫌味なんだよ! くそ、毎回毎回……」
言いながら、手紙を握る指先が小さく震えているのに気付く。
こんな手紙はらしくない。
もっと余裕綽々な手紙を寄こせよ……ああ、くそ。
俺は手紙を乱暴に畳んで懐に突っ込み思い切り息を吐く。
直接助けを求めているわけじゃないけど――これは協力要請だ。
「……シュヴァリエが協力しろって言ってくるなんて本来はめちゃくちゃ気分がいいはずなのに――モヤモヤする! しかも紅くなる眼と始祖って……なんか手のひらの上みたいで腹が立つ!」
続けて俺が声を上げると〈爆風〉が頷く。
「アルミラだな。シエリア、この件にお前たち王族の持つ始祖の情報が必要になりそうだが、ここに連れてきたということは手筈は整っているのか?」
「……ふふ。それを聞いてくれますか。完全に、とは言えませんが根回しは済んでいます! ハルト君、今度は僕が君の力になる番ですよ!」
応えたシエリアは漸く頬を緩める。
変わらず恐い笑顔が頼もしくすらあって、俺はつられて口角を上げた。
「おう。頼りにしてるぞシエリア!」
俺や皆の故郷の大陸、アイシャ。
そこでなにかが起きていると聞いて黙っていられるわけがない。
きっとあいつも承知で手紙に書いてきたんだろう。
「よし。そうと決まれば……ここはどんな研究をしてるんだ? わかる範囲でいいから教えてくれシエリア」
「勿論です! では奥へ行きましょう。こちらへ」
「…………絶対に感謝させてやる」
どこか騎士を思わせるシエリアの背を眺めながら俺が呟くと、隣で〈爆風〉が笑った。
「うん。意気込みはいいが、ひとつ残念なことがあるだろう?」
「……は? 残念なこと?」
「ホグムワグムの酒漬けはルクア姫に渡っている。さてどんな反応をしてくるか見物だな」
「……え、あ…………ああぁッ⁉」
そ、そうか! そうなるのか!
俺は意味もなく眉間を揉む。
いや、落ち着け。シュヴァリエの代わりだってことはルクア姫もわかってるはず。
だけど――。
「ははは。不敬罪になるかもしれんな〈逆鱗〉」
「ちょっ、いやいやいや! それ不可抗力じゃないか⁉ そうだよな⁉」
こんなときだっていうのに楽しそうな〈爆風〉に、俺は頭を振って応える。
ゆっくり話せる時間はまたしばらく取れないかもしれない。
いまのうちに杯でも交わそうか――。
ふと、そう思った。
皆さまこんばんは!
いつもありがとうございます!
引き続き何卒よろしくお願いします……!