杯をかわしたいのです②
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「次はこちらの塔です! 寒い季節にも対応できるよう水を循環させ懐炉を利用して農場を営んでいます。王族お抱えの研究者で農作物に特化した者がいて――」
「はあー、これすごいな……」
シエリアの案内で入った塔は螺旋状に上へと向かって『畑』が並び、中央にはなにやら透明な筒のようなものが上から下まで突き抜けて立っている。
さらにその筒からは細い管のようなものが何本も伸びていて畑へと続いているようだ。
「ほう、つまりこの中身は水か」
〈爆風〉が筒をコンコンと叩きながら言うとシエリアは足を止めて唇の端を吊り上げて笑った。
「はい! けれどこの場所、上まで行けば逃げ場がありません。そして人目にも付きにくい――暗殺向きです、追い込まれたら覚悟しなければなりませんね!」
「また物騒なこと言ってるな……しばらく聞かなかった気がするけど、まだ心配してるのか?」
俺が顔を顰めると、彼は大きく頭を左右に振って両腕を広げる。
「いいえ? ふふ、ハルト君と〈爆風のガイルディア〉、それからラウジャと旅した時間を思い出したくなって。いまはもう暗殺者の目を恐れることもなくなっています」
「そうか。それは朗報だな。……さて、〈逆鱗〉と俺を呼んだのは思い出を辿るためか?」
〈爆風〉が目尻を下げて言うけど……そう。
俺と〈爆風〉はシエリアの希望で彼に同行していたりする。
幸い体調が悪くなる兆候もなかったしな。
ほかの皆は城でのんびり過ごすらしい。風呂にも入れるらしく羨ましくもあるんだよなあ。まああとで入ればいいんだけど。
……入らせてもらえるよな……?
「半分はそうですね。でも、もうひとつ目的がありまして。次の場所が目的地です」
応えたシエリアはゆっくりと歩みを再開し、塔を出る。
俺と〈爆風〉が続くと前を向いたままでシエリアが続けた。
「実は僕、砂漠での災厄討伐のあと文通を始めました」
「…………ん?」
文通、と聞いてなんとなく嫌な予感がした俺は無意識に右手で眉間を揉む。
この状況でその話題ってことは……。
「その文通相手からハルト君にちょっとした手紙を預かっていまして。いつ来るかわからないのにと思っていたのですが、まるでハルト君たちの来訪を予期していたみたいでした」
「…………。あのさ、その内容聞くの避けたいんだけどいいか?」
「ふふっ、そう言われたら『君に拒否権はないよ』と返すように書かれていましたね」
「…………」
俺は今度こそ唇を引き結び、どこからか爽やかな空気が流れてくる気がして身震いした。
いつだ?
どの手紙のあとだ?
俺が最後に託した手紙は『ホグムワグムの酒漬け』を入れたあれだ。
怪鳥ふたりの子供たちが暮らすアルジャマ、そこのトレジャーハンター協会から出した。
シエリアが花を摘みに出発するよりは前かもしれない。でも返信が届くには早過ぎる――よな?
するとシエリアは研究塔へと歩みを進めた。
「ふむ? ここはデミーグとアルミラの拠点だな」
「はい。王族お抱えの研究者が集う塔です。今回訪れる部屋はデミーグのところではありません」
シエリアは正しい手順で扉を開き、あの吊り篭を操作する。
ガラガラと鎖が回る派手な音に俺が唇を引き結んでいるとすぐに籠が降りてきた。
相も変わらず埃っぽいカサついた空気を取り込んで――俺は盛大に吐き出す。
「これ……嫌いなんだよなぁ……」
「黙っていないと舌を噛みますよハルト君。それ!」
途端に体がずしんと潰されるような感覚が駆け抜け、ややあってから胃が浮くような浮遊感に変わる。
籠が止まったのは最上階のようだけど――下の階とは随分離れていたような?
「さあ、こちらです」
シエリアの声音がいくぶんピリリとした緊張を孕み、その指先が籠の正面にある黒い扉に触れる。
金属……というよりは黒曜石のような艶があってかなり重そうだ。
考えると同時、扉に魔法陣が浮かび上がり横にズズズと動いて――。
「…………ッ」
俺はぶわあっと全身の毛が逆立つような戦慄を覚えた。
な、なんだ? 気配? まるで魔物みたいだ。でもこんなところに――?
「ハルト君。ここは始祖と呼ばれる魔物を研究する施設です。僕も知ったのは最近のことで――文通相手からの情報でした」
眉間に皺を寄せて三白眼を眇めたシエリアがこっちを振り返る。
恐いとか言っている場合でもないけど、その表情のせいかより深刻に思えてしまう。
「どうぞ」
シエリアはそう言うと俺たちを中に誘った。
〈爆風〉は躊躇いなくスタスタと踏み入ってから僅かに怪訝そうな顔をする。
「これは――ふむ……」
続いて入った俺の後ろで扉が閉まったものの、俺はそっちを見ることさえできずに固まった。
冷えた空気に混じる獣臭。
耳に触れるのはひとのそれではない息遣い。
幾重にも魔法陣が描かれた黒い石床に聳える巨大な檻は見るからに強靱。
魔物を扱うのに完璧なんてものはないだろうけど、それでも厳重な措置だと思う。
檻はいくつもあり、それだけでなく水槽まで用意されていた。
それぞれに『魔物』を収容して管理しているようだ。
……銀色の狼型フェンリル、緑色の怪鳥ヤールウインド……あっちは……アルヴィア帝国にいた魚の魔物か。
苦い気持ちが込み上げて下唇を噛む。
だけど――ふと気づいたんだ。
始祖の話を聞いたときに感じた違和感の正体に。
「あ…………」
血結晶は魔物に埋め込み育てることができる。
だけど育つ魔物は限られているって話だった。
「始祖狼、始祖鳥……」
フェンリルもヤールウインドも、そう。『育つ』のだ。
「気づいたか、〈逆鱗〉。なるほど、こいつらが始祖だったか」
〈爆風〉がギラギラと琥珀色の瞳を光らせた。
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