花をつみたいのです⑧
……勿論、シエリアとラウジャのことは胸が絞られるように苦しい。それぐらい心配だ。
だけど息をしている。鼓動を感じる。
それだけで、いまは心を奮い立たせることができたんだ。
「バフはそのままでいくぞボーザック! 斬れなかったら書き換える!」
「了解! ……ハルト、王子様たちは?」
「生きてる、大丈夫だ」
「――なら早く片付けて温めてあげないとねー」
俺が双剣を構えると、ボーザックはそう応えて大剣をぶんと振り上げる。
白い魔物はキチキチと顎を鳴らしながら俺たちに向き直ると、四本の後ろ脚で立ち上がった。
「くるぞッ!」
この形はほかのイータ系の魔物も同じ。
前四本の脚を何度も振り下ろす攻撃に、俺はその場から飛び退く。
ガガッ!
地面を脚の先にある鋭い爪が削り取る。
「地面を削るか。当たれば深手を負うぞ、気をつけろ」
〈爆風〉はそう言うと振り下ろされた脚に双剣を閃かせた。
「――はあッ!」
ガキィンッ……
剣は呆気なく弾かれたように見えたけれど彼は止まらない。
斬る、斬る、斬り刻む。
同じ箇所を寸分違わぬ剣筋がなぞり、なぞり、なぞっていく。
右足、左足――重心は流れるように移動して彼の体が嵐のように舞う。
『ブシャアアァッ!』
蜘蛛は何度も〈爆風〉を狙い、その度に斬りつけられてとうとう飛び退いた。
そこに追随したボーザックが左脇から右前へと大剣を滑らせる。
「いけえぇッ!」
『ギャッ……!』
ガツン、と音がして……蜘蛛の脚先が天井にぶち当たって落ちた。
執拗に攻められた部分を斬り放されたのだ。
けれど先の方だけ。体を支えるのに支障すらないほどの傷。
蜘蛛がぐぐっと腹を丸めたのを確認して俺はバフを広げた。
「『速度アップ』! ボーザック戻れ!」
書き換えたのは『肉体強化』をひとつ。
あれは物理的な攻撃じゃない、そう思った。
瞬間、八本の脚で地面を掴んだ蜘蛛の口から青白い液体が吐き出され、ボーザックが飛び退いた場所に白い靄が立つ。
「なにあれ……氷?」
ボーザックは危なげなく着地すると目を凝らすが、隣にいる〈爆風〉は双剣をくるりと回して言った。
「なるほどな、あれを喰らうと凍り付くようだ。くるぞ」
「! 『速度アップ』ッ!」
「いい反応だ〈逆鱗〉」
咄嗟に自分と〈爆風〉のバフも書き換えて地面を蹴る。
連続で吐き出される液体が地面を次々と凍らせて水晶に似た花が咲く。
蜘蛛は音もなく滑るように移動しながら尚も液体を吐き、俺が着地した瞬間に飛び掛かってきた。
「……くっ!」
俺の頭なんか軽々呑み込めるだろう顎を右の剣で打ち、左の剣で跳ね上げる。
蜘蛛は半円を描きながら滑るように俺の背側に回り込み、再度顎が襲い掛かってくる。
でも大丈夫、俺にはちゃんと彼の動きが感じられていた。
「おおぉぉっらああぁッ!」
ガギイィッン!
身を低くした俺の頭上、入れ違いに体を捻じ込んだグランの大盾が真正面から蜘蛛の頭を叩く。
『ギチギチッ……!』
踏鞴を踏んだ蜘蛛の脚をすり抜け、〈爆風〉が双剣を収めて手を組む。
「飛べ〈不屈〉!」
「任せてよ! ハルトお願いッ!」
「『腕力アップ』『脚力アップ』!」
〈爆風〉とボーザックの『速度アップ』をそれぞれひとつ書き換え、俺は体勢を立て直して蜘蛛の真正面から斬りかかる。
「お前はこっち向いてろッ!」
ボーザックが〈爆風〉に跳ね上げられ、天井に足を突いた……そのとき。
「気張りなさいボーザック! 突きなさいッ!」
「って、うわああぁッ⁉」
ファルーアの魔法が天井を柱へと変えて砲台よろしくボーザックを撃ち出した。
ズダアアァァンッ!
蜘蛛の腹と頭脚が二分割され、ボーザックがゴロゴロと地面を転がり上半身を起こす。
あの瞬間にちゃんと大剣を振り抜けるのはさすがだろう。
「はーっ、はー、はぁ……びっくりした――」
「〈不屈〉! そこから離れろ!」
「え」
しかし〈爆風〉の声と同時――斬り放されて転がった腹が震えた。
ぎゅう、と収縮したかと思うと……それは急激に膨らんで――。
ど ぱ ぁ ッ!
体液を弾けさせる。
飛び散った液体が地面を一気に凍り付かせて白く煙り、頬に触れる空気がキンと張り詰めた。
そのときボーザックの体を突き飛ばすようにして離脱していたのは――。
「だ、だ、大丈夫? ボーザック……」
「わあぉティア! ありがとうー! やばかったーッ!」
〈疾風〉だ。
「ううう、恐くない、恐くない、恐かったあぁ……! 怪我はない?」
「あはは。……ちょっと頬に掠ったかな」
「大丈夫かボーザック!」
駆け寄った俺にニッと笑ってみせ、ボーザックは立ち上がるとディティアに手を差し出して引き起こす。
「今回体液被ってたらやばかったー助かったよティア」
「うう、考えたら震えが……」
俺は『治癒活性』を使おうと手を上げ、眼を見開いた。
ボーザックとディティアの後ろ、音もなくゆらりと頭をもたげるそいつが見えたからだ。
「――ッ!」
「油断するんじゃねぇぞ!」
「まったく……詰めが甘い」
グランと〈爆風〉が一撃ずつつ叩き込むと、最後になにかが弾けて頭が跳ね上がった。
見ればシエリアとラウジャのそば、ファルーアが杖を突き出して妖艶な笑みを浮かべている。
ティアを守りなさい? とその唇が動くので思わず眉を寄せたけど……たしかにそうだ。
気を抜いて……あやうく目の前でふたりをやられるところだった。
今度こそ沈黙した蜘蛛に――俺たちは誰からともなく息を吐く。
「……蜘蛛は片付いたな。ファルーア、シエリアとラウジャは?」
「体は冷たいけれど……彼らも懐炉を持っていたわ。このお陰で酷い状況にはなっていないようね。ただ、どうも深く眠っている様子だわ」
「あー、そりゃ毒かなにかか? 気付け薬でもありゃよかったが……」
「ダダンッムルシ!」
呼応したグランにボーザックがポンと手を打つ。
まあいまはそんなものないんだけどな。
俺は皆のバフを『肉体強化』『脚力アップ』『五感アップ』に変えて『治癒活性』をボーザックに追加。
すぐに移動して横たわるシエリアの隣に膝を突き、その頬を叩いた。
とにかく起こしてみようと思ったんだ。
「シエリア、おい。聞こえるか? シエリア!」
その眉がぴくりと動き、瞼が震えて……乾いた唇が薄く開く。
「は…………す」
「は? なんだって? シエリア、シエリア!」
「花を……摘みたいのです……僕は……」
「ああ、摘んで帰ろうな。ほら、だから起きろ!」
弱っているとか、そういうのとは違う。
朦朧としているっていうのが近いだろうか。
シエリアはそれきりまた静かになってしまい、瞼にいたっては開くことはなく震えすらしなくなっていた。
……わかってるよシエリア。
うわごとですら花を摘みたいと口にした彼に……俺は小さく頷く。
大切なひとのために、そうしたいのだと――本当はその思いがよくわかる気がした。
俺もきっと……そう思うはずだから。
コロナあけてバリウムさんをのみました。
味覚嗅覚は消失したままですが、
おなかが……おなかが……
皆様ご自愛くださいね。
いつもありがとうございます!