失踪と帰還と⑦
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そこからは順調だった。
空がどんどん明るくなっていくのを見上げ狼煙がないのを確認し、最初に巨人族のソナとスイを助けた吊り橋を渡る。
眼下に流れる川は茶色い濁流で、なにかの破片や折れた木々が轟々と響く音のなかを行き過ぎていく。
――考えないようにしていたけど、その勢いを目にして不安が膨らんで。
俺は息を詰め、僅かな時間だけ目を閉じた。
大丈夫、すぐに会えるよな――。
ちらと窺えばグランもボーザックも眉を寄せていて、同じことを考えているのだろうと思った。
焦っても仕方ないから口にはしない。
だけど……ほんの少しでもいい。早く辿り着きたい。
――そうして俺たちはアルミラさんの先導で対岸の巨人族の町を目指し、空が完全に明るく頃には町の入口に到着した。
「……酷ぇな」
最初に口を開いたのはグランだ。
俺たちがいた対岸よりも被害が大きく見える町は下層が完全に崩れ去り、なんとか岸にしがみついている建物も既に傾いていた。
対岸は濁流こそ渦巻いているけれど、ここまで大きく抉られてはいない。
こっち側のほうが水の勢いが強かったんだ……。
「…………」
俺は対岸の町とを結ぶ橋が崩壊しているのを確認して……知らず拳を握り締めた。
あの近くがソナの家だった……そうだよな?
……そのときだ。
「そこでなにッしてるンナ!」
川側を向いていた俺たちの後方から雷のような怒鳴り声が聞こえた。
「……あぁ? 見てわからないの? 商売よ!」
紅い眉尻を跳ね上げ、振り向きざま答えたのはアルミラさんだけど……いやいや、商売ってなんだよ。わからないに決まってるだろ……。
俺はどっと脱力してから、ふ、と苦笑してしまった。
――弱気になっていてもなにも変わらないって……そんなのわかっているのに……駄目だな、俺。
だから腹に力を入れて、しっかり顔を上げる。
ここで立ち止まっているのは許されないんだ。
「なあ! 俺たち、対岸から来たんだ! この町の人たちはどこに避難してる? 仲間が……いるんだ、そこに!」
そのまま勢いよく言うと、上層側から来た巨人族たちが顔を見合わせる。
すぐにそのうちのひとり、一番大きな巨人族がバンバンと手を叩いた。
「仲間がいるンナ? よくッ見りゃ商人、あんたいつもの行商かンナ!」
「そうよ。こんな状況だもの、薬がいるでしょう?」
「ああ、怪我ッ人がいる。――よし、お前たちは救助を続けるンナ! ひとりになるんじゃないンナ!」
一番大きな巨人族はどうやら女性のようだ。
頭の上で髪を団子状に纏めていて、その色はグランやアルミラさんよりも鮮やかな赤。ともすれば壷が乗っているようにも見える。
服装は生地の厚い黒い上着に膝まである黒い長靴。上着の丈が長すぎるのか腹のあたりを赤い紐でぐるりと巻いていた。
……そういえばラキさんもそうしていたし、伝統なのかもな。
「さあ、行くンナ」
女性はひと通り指示を終えると大きな顎で後方……つまり上層を指す。
俺たちは一も二もなくあとに続いて歩き出した。
「酷いッ被害が出ているンナ……仲間ッてのはどんな奴ンナ?」
「壮年の男性と、金髪の女性、それと濃い茶の髪をした女性の三人だ」
グランが言うと巨人族の女性は「ンナンナ……」と語尾だけ繰り返して首を振る。
「悪いッね。アタシにはわからないンナ……避難所で聞いてみるンナ」
「いや、こっちこそ気を遣わせてすまねぇな。礼を言う。――それともうひとつ、ここの族長はそこにいるか?」
「族長? なんの用があるンナ」
「……」
グランは一瞬だけ間を置いて俺とボーザックに目配せすると、慎重に続けた。
「――族長宛の手紙を預かっていてな」
ここで拗れさせてしまったら目も当てられない。
……俺もそう思ったんだけど……。
「岩龍ロッシュロークが起きていたわ、その件の手紙ね。単刀直入に言う。討伐しないと壊滅するわよ?」
アルミラさんがしれっと言い切ったのである。
「ンナッ……⁉」
「…………おい姉貴」
驚愕に茶色い双眸を見開いて振り返る巨人族に、グランは顎髭を撫でて唸る。
さすが商人と言うべきなのか、さすがグランの姉と言うべきなのか、なんなのか。
彼女は鼻を鳴らして豪快な笑顔を咲かせた。
「私たち岩龍と一戦交えてきたの。あれは数人じゃ無理ね。だから対岸の巨人族の協力は取り付けたわ。そっちも彼らの技術が必要になるはずでしょう?」
「そ、それは……ンナ……」
(必要になるって……どういうこと?)
ボーザックが小声で聞いてくるけど……いや、俺に言われても。
俺が小さく首を振ると、グランが深いため息をこぼした。
「堰堤をなんとかしねぇと岸がどんどん抉られちまうぞ」
……ああ、なるほど。
こっちの巨人族は狩猟を生業とする者が多いって話だったよな。
つまり、堰堤を修復するには対岸の巨人族の協力が必須なんだ。
(……意外と持ちつ持たれつの関係だったんだね……)
ボーザックの囁きに今度は小さく頷くと、巨人族の女性はでかい手をグランに向けて差し出した。
「手紙を寄越すンナ」
「は?」
「時間がないのは間違いないンナ。いま決めるンナ!」
「……き、決めるって……うお、おい姉貴!」
「黙りなさい」
アルミラさんは問答無用でグランの荷物から羊皮紙を引っ張り出すと巨人族の女性に渡してしまった。
……巨人族の女性はバッと羊皮紙を広げて内容に目を通すと「ンナンナ……」と呟いてから頷く。
「合意するンナ。行商、合図を送ンナ」
「ええ。……爆ぜろ!」
なにがなんだかわからないうちに、アルミラさんが短い杖をくるくるっと回してビッと空を指す。
するとボバババッと派手とは言い難い音を立て、空に炎が爆ぜた。
「……合意って……あんたまさか、族長か?」
呆然としたまま呟いたグランに、女性はでかい鼻を指先で掻いてから頷いた。
「ンナ。族長のトランナ。対岸の奴らが世話になったンナ……巨人族は恩を返す、さあ、とりあえず避難所に行くンナ」
――その瞬間。
空を裂くような悲鳴が……上層から響いた。
本日分です。
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