失踪と帰還と③
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なんとなく色彩の鮮やかさに欠けるセウォルとはまた違った意味で、無口な商人タトアルは目立たなかった。
まずローブが黒い。
色白な彼は光が嫌いだと言うが、アルミラは『少しくらい日光を浴びたらどう?』……と口にしたくてたまらない。
瞳は透きとおるような青色でアルミラとは対称的だが、伏し目がちなうえに黒く長めの前髪に隠されてよく見えないのが彼の暗い雰囲気を増幅させていた。
とにかく変な商人たちだ、おかしなことにならないといいけれど――というのがアルミラの見解である。
それでも山に入って一日目はなにごともなく終わり、アルミラたちは川の横の開けた場所で河原の石を使って竈を作り、焚火を起こしてテントを張った。
「セウォル。タトアルにもう少し日光浴させたらどう?」
黙って魚を釣っているタトアルを横目に、アルミラは薪を焼べているセウォルに言ってみる。
セウォルは顔を上げると、ひひ、と悪戯っぽく笑ってみせた。
「それは無理ですよ。彼、吸血鬼だから灰になってしまいます」
「は? なにそれ。さすがにそんなこと信じるような年頃じゃないわね」
「アルミラちゃんは手厳しいですね。ま、彼は夜が好きとだけ信じてもらえたらいいです。散歩に出ても見逃してあげてください、追いかけると噛まれてしまいますよ」
「散歩って……夜に? この山で? 追いかけない選択も含めてありえない。私は護衛よ? ふざけないでほしいわ」
「……夜に出られて怪我をされてもこちらとしては困るからな」
そこに獲物を引き摺って戻ってきたのはエインである。
「グレミラ、皮を剥ぐ。手伝ってくれ」
「あら、初日からごちそうだこと」
エインが狩ってきたのはこの山脈に広く分布している猪型の魔物――その幼体だった。
多少臭みはあるが香草と合わせればそれなりに食べられるので、アルミラも何度も世話になっているありがたい食材だ。
さっそく準備に取りかかった彼らの紅い髪は焚火に照らされてなお紅く、エインとグレミラのふたりは夜闇でも目立つ。
――それに比べてやはりセウォルとタトアルはいまいちパッとしないわね。
アルミラが失礼なことを考えていると、セウォルは冗談なのか本気なのかわからないことを言った。
「それじゃ、タトアルが怪我をしてもなかったことにします」
――そういうわけにもいかないって話よ。暗い場所で目を離したら見失いそうだし気をつけておかないと。
アルミラはそう思って調理器具の準備に取りかかる。
焚火が爆ぜて……ちらりと火の粉が舞った。
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それからさらに三日はなにごともなく過ぎたが……山は深くなるほどに入り組み、川幅も狭くなって鋭い岩場が目立つようになっていく。
現れる魔物や獣も多くなり、注意深く護衛の任についていたアルミラはタトアルがなにかを『埋めている』のを数回目撃した。
基本的にセウォルは『この石はなんの石だ』とか『あの木はなんの木だ』とか『あの魔物の皮に需要はあるか』とか……とにかく商材探しに夢中である。
タトアルはそんなセウォルのそばでボーッとしていることが多いため、その行動があまりに奇妙に見えてアルミラはとうとう聞いてみた。
「タトアル。あんたなにを埋めているの?」
「…………石」
「石?」
タトアルは黒いローブのフードを目深に被ったまま、薄青い瞳をちらりと瞬く。
ちなみに、ただでさえ日の差し込む時間が短いというのに山での日光浴はいまだ実施されていない。
「ああ、あれはタトアルの呪いみたいなものです」
そこにセウォルがしれっと口を挟む。
「呪い? なによそれ。石ころ埋めただけで運が上がるとか?」
適当に返したアルミラにセウォルは、ひひ、と笑う。
「僕は君が気に入っているから教えてあげますね。言うなれば縄張り、ですよ。アルミラちゃん」
「……縄張り?」
「僕らにとっていろいろと都合のよい場所にしたいというわけです」
セウォルは意味深なことを言うと悪戯っぽく笑みを浮かべて踵を返す。
アルミラはそのとき初めて……彼らの素性を訝しんだ。
「縄張り、都合のよい場所? なにを言っているの? ……おい、セウォル!」
追いかけるアルミラに、セウォルは終ぞ語らなかったのだけれど。
――ことが起きたのはその夜で。
夜闇に紛れてふらりと動いたタトアルの気配に、見張りを任されていたアルミラがついと視線を上げた。
まさか本当に散歩に出るなんて……と思う反面、アルミラは彼がなにをするのか気になってソロソロとあとを追う。
気付いていないわけがない……それなのにタトアルは振り返りもせずに川辺の岩場に登り、木々のあいだに浮かぶ月へと両腕を伸ばした。
ひっそりと息づく命たちの微かな気配。
ざあざあと流れる川は時折ごぼりと渦を巻き、白い飛沫を上げている。
「……アルミラちゃん」
「!」
瞬間、弾かれたように振り向いたアルミラの口をセウォルの手が塞ぐ。
その力が思いのほか強く、アルミラは身を硬くした。
細い体のどこにこんな力が宿るのだろう。
「しぃー。追いかけると噛まれるって教えたよね。……うーん。アルミラちゃんを俺たちに関わらせてしまったのは申し訳なかったかな。さあ、ゆっくり手を放すから、逃げずにいてくれよ?」
意味不明なことを言いながら、セウォルはゆっくりと手を放す。
アルミラは一歩だけ下がると、迷わずセウォルを睨む。
彼の眼は……紅かった。新緑色だったはずなのに。
口調すらアルミラの知るセウォルではなく――謀られていたのだとわかった。
「ひひ、さすがアルミラちゃん。逃げるどころか俺を見るとは。ますます気に入った」
「……あんた、なんなの?」
「――次に目覚めたとき、君は俺たちを追うなよ、アルミラちゃん」
「あ? ふざけんじゃないわ。喧嘩売ってんの――ッ!」
思わず食ってかかろうとしたアルミラは……白い顔を月明かりに晒し、ふわりと視界に入ってきた彼にびくりと固まった。
いつのまに動いたのか。
こちらを見詰めるタトアルの『紅い双眸』に絡め捕られた彼女は、文字通り指先ひとつ動かせず……まるで全身が石になったかのようだ。
……アルミラは戦慄を覚え、呻く。
こんな魔法は知らない。
人の眼の色が変わるなんて話も知らない。
「おやすみ。長く深い夢を……ひひ」
セウォルの言葉を最後に……アルミラの意識は闇の底へと沈んだのだった。
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「そんなわけで目が覚めたらトールシャだった、そういうことよ」
アルミラさんはしれっと言うと……呆然としているグランを見てふん、と鼻を鳴らした。
――いやいや。説明になってないって。
どういうことだよ、それ……?
皆様こんばんは、ちょっと体調不良でしたすみません。
話が複雑になってきましたがひとつひとつ回収するのでよろしくお願いします!