夜闇と朝露と⑧
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「…………はー……」
俺が無言でバフを練っていると……ボーザックが深いため息を吐き出した。
まだまだ夜は長い。
緩く流れていく風はひんやりと心地よく、雨で湿った土の匂いがあたりに満ちている。
ボーザックは膝に埋めた顔を少しだけ上げると……間髪入れずに腕でゴシゴシと擦った。
「……ハルト」
「ん」
「ありがとう」
「……おう」
それだけ応えて口元を緩めた俺に、今度こそ顔を上げたボーザックは眉尻を下げ少しだけ照れたような顔ではにかんだ。
「俺も……ハルトに負けたくない。強くなりたい」
俺はそんなボーザックに笑って返し、右の拳を突き出す。
「……負けないからな」
ガツン、と。いつもよりほんの少しだけ強くぶつけ合った拳に心地よい熱が通う。
ボーザックは太陽みたいな笑顔を弾けさせると胡座を掻いて続けた。
「悔しいって思うの……俺だけじゃなかったんだね――あーなんかスッキリしたー」
――瞬間。
「はは。誰だってそんなものだろう」
「うわっ⁉ って……〈爆風〉……聞いてたのか?」
急に降ってきた声に慌てて振り返ると、こちらに向けて歩いてくる壮年のオジサマは悪戯っぽく笑ってみせる。
「人聞きの悪いことを言うな、聞こえただけだ。気配もそこまで隠していないぞ?」
……しまった。五感アップ切れてた……。
思わず俺が渋い顔をすると、彼は目尻に皺を寄せて笑ったままさらりと続けた。
「――さて、早速だが一戦やってもらうぞ〈逆鱗〉、〈不屈〉。いい気分なら問題ないだろう」
「……は? ……一戦?」
聞き返すと――彼は右手の親指で背後を指す。
座ったまま上体を反らして覗き込むと……夜闇に白く浮かんで見えたのは大きな盾。
「……グラン?」
ボーザックがこぼすと――〈爆風〉の後ろから歩いてきた燃えるような紅い髪のいかつい男が口角を吊り上げる。
「俺との一戦だ。ハルト、ボーザック――たまには思い切りやらねぇか?」
『…………』
俺とボーザックはどちらともなく目を合わせ……すぐににやりと笑みを浮かべて頷き合った。
実は……グランと軽く手合わせをすることはあったけれど、思い切りやり合ったことは殆どない。
それはグランが強いからで、冒険者養成学校時代からずっと……俺もボーザックもあの大盾の守りを崩すことができないでいるのだ。
しかも、もし崩せたところで勝てるかというと……そうでもない。
グランは素手でも凄まじく強いのである。
……その豪腕たるや、模擬戦用の大盾がいくつ犠牲になったことか。
――だけど、いまならどうだろう? 少しはグランの相手になれるんじゃないか?
そう思うと……やっぱり滾るよな。
「へへ、グランが相手かー」
ボーザックは楽しそうに言うと一転して黒い瞳を爛々と光らせ、土を払って立ち上がる。
「腕試しだな! どっちからいく?」
俺も追随すると――〈豪傑のグラン〉はその豪胆さをこれでもかと滲ませて――豪快に言い切った。
「はっ、出し惜しみはしねぇ。まとめてかかってこい」
『……⁉』
俺とボーザックは再度顔を見合わせ、同時に口にした。
「言ったなグラン?」
「言ったねグラン!」
そして踏み出しざまに互いの拳を叩き合わせ、武器を取る。
ふたり同時に相手だなんて言ってくれるよな! でも……それがグランだ。
俺はぞくぞくするほど滾る気持ちを抑え……ブーツ越しに土の感触を確かめた。
「ふ。楽しませてもらうとするか。見張りは任せておけ」
〈爆風〉はそう言うと……数歩下がって腕を組む。
俺は瞼を閉じゆっくりと息を吸い込んで――再び開いた。
「いくぞグラン! こっちも出し惜しみはしないからな! 肉体強化、肉体強化、速度アップ、速度アップッ!」
手を突き上げて広げたバフを俺とボーザックに。
グランは大盾を体の前に構えると――踏み切った。
「そっちこそ気ぃ抜くんじゃねぇぞ! おおぉっらあぁ――ッ!」
体ごと突っ込む文字通りの体当たりを俺とボーザックは左右に分かれて躱す。
無防備になる側面から一撃入れてやるつもりだったけど――んん⁉
「なっ、おぉっわ!」
グランは迷いなく突いた左足を軸に、上体ごと俺の方へと向きを変え……低い位置から俺を突き上げた。
身を捻りながら膝を曲げて腰を落とし、重心を下げたのだ。
「はっ! 見え見えなんだよッ!」
「……ッ、ぐ⁉」
耐えようと身構えたものの――『肉体強化』の二重程度では太刀打ちできず。
俺は呆気なく飛ばされて地面に転がった。
「たあぁ――ッ!」
そこにボーザックの咆哮。
グランは俺を飛ばした反動を利用して右足を引き、盾と体の位置を瞬時に入れ替え、閃く大剣を受け止める。
ガキィンッ!
鈍い音とともに鬩ぎ合いに移ったふたりに、俺は跳ね起きて後ろからグランを狙った。
隙あり――ッ!
「――げ⁉」
「……はっ⁉ うわあっ」
瞬間、グランがするりと右へ回避行動を取り、鬩ぎ合っていたはずのボーザックの剣が俺へと振り下ろされる。
慌てて受け止めて縺れ合ったけど――そんなの絶好の好機以外のなんでもない。
「――歯ぁ食い縛っとけ」
グランの声が耳朶を打つのと同時、閃く大盾の強烈な一撃が右側から叩き込まれる。
俺とボーザックは踏鞴を踏んで――膝を突いた。
今週もどうぞよろしくお願いします!
先日、Twitterにて中世ヨーロッパの資料紹介スペースに参加させていただいたところ、たくさんの反響がありました。
アカウントがあればどなたでも聞くことができますので、また開催する際はどうぞよろしくお願いします!