幽霊船は震えます。⑧
ハルト。
ハルト……。
「う、ぅ……ん」
頭を振る。
呼ばれている。
埃臭くて暗い。
じめじめした空気が肌に纏わり付く。
「ハルト!」
「……あ……あれ、ボーザックか?」
「ああよかった!ねえ、ちょっとやばい!手伝って早く!!」
俺は目の前で俺の肩を掴みぐらぐらと揺するボーザックに、困惑した。
あれ?俺、何してたんだっけ?
「ちょ、ちょっと、何だよ?」
「やばい!何か震えてるんだってこの船!!」
「船……?……幽霊船!!」
「おわあっ!?」
急に俺が立ち上がろうとしたせいで、ボーザックがひっくり返った。
そうだ、ここは船長室。
いつの間にか暗くなっていて、静まり返っていた。
俺は双剣を取り落としていたことに気付き、慌てて拾い上げる。
……しかし。
さっと部屋を見渡すと、肉塊だったのであろう物が、しおしおになって転がっていた。
「……え、あれ?」
さらに全体を見渡すと、皆がどこか遠くを見詰めて座り込んでいる。
その様子に、さあっと背中が冷えた。
そう、そうだ。
肉塊に開いたたくさんの眼。
「まさか……混乱を使ってきたのか?……っと!?」
ずおおおお。
変な音が響く。
同時に、船が不自然に震えた。
ボーザックがグランに駆け寄りながら、焦った声をあげる。
「こ、こいつ倒したら急に震えだしたんだよ!やばいよね!?ハルト!早く皆を起こそう!」
「あ……そうか、お前、精神安定……」
漸く合点がいった。
「とにかく!早く!!ここから出よう!」
「そ、そうだな!精神安定!!」
あくまで俺のバフは予防がメインのバフであって、ヒーラーみたいに一瞬で治すことは出来ない。
けれど、混乱しているのが少しでも落ち着けば、早く意識を取り戻すかもしれなかった。
広げたバフがボーザック以外を包んだところで、俺はディティアに駆け寄りながらボーザックにも上書きで精神安定のバフを投げた。
「ディティア、ディティア!」
「……う、ん」
「聞こえるか?」
「…………あれ……」
「大丈夫か?俺のことわかる?」
ディティアは、ゆっくりと瞬きをした。
しっかり眼を見ようと、彼女の顔を覗き込む。
潤んだ眼に俺が映っているのがわかる距離。
虚ろな眼が、ぼんやりと俺の眼と視線を合わせた。
「……はる、と、君……?」
「うん」
頷いて見せると、ディティアのぼんやりした表情が驚いた顔になり、みるみる眼を見開いて紅くなった。
暗いけど、それがわかるくらいには真っ赤だ。
「えっ、ハルト君!?あれっ、何っ??」
ぺたんと後ろに崩れた彼女に、ほっとする。
「良かった……!」
思わず微笑むと、ディティアは口元を覆ってしまった。
「えっ、ええっと……うわぁ……」
そこに、後ろでグランがボーザックに返事をしたのが聞こえる。
俺は思わずディティアに「何だよ?」ともう今一度笑って、とりあえず状況を伝えた。
「ここは幽霊船なのはわかるな、肉塊の魔法でボーザック以外混乱したみたいだ。肉塊は倒したけど、船の様子がおかしいからすぐ出よう」
「事情はわかりました!でもハルト君近すぎです……!」
「うん?」
ぷくーと膨れる彼女に聞き返すと、ディティアはスルーしてさっと立ち上がった。
「ファルーアは任せて!」
「あ、あぁ……うん」
……な、何だろう?怒られたような気がするんだけど。
俺は首を傾げたものの、また船が震えだしたので慌ててカタールの所へ急いだ。
「おい!早く起きろ!」
「カタール……俺達のこと、わかる?」
既にグランがカタールを引っ掴む勢いで、ボーザックが横から遠慮がちにカタールを呼ぶ。
「うう、何っすか……煩いっす……」
「うるせぇ!いいから立て!」
「えっ、……ええっ?突然なんすか??」
……それはちょっと可哀想だぞグラン……。
そう思ったけど、俺もボーザックも心の中だけに留めおく。
「こっちはもう行けるよ!」
「面倒かけたわね」
魔法から遠かった場所にいたからか、ファルーアは既に意識をはっきりさせたみたいだ。
俺達は頷いて、カタールを急かした。
「船尾に行く!嫌な予感しかしねぇ、そっから飛び降りるぞ」
「あ、アイサー!」
「速度アップ!魔力感知!肉体硬化!!」
バフを飛ばして、俺達がすぐさま船長室から駆け出した……まさにその時。
俺は足元の本を蹴飛ばしてしまい、蹌踉けた。
自分が本棚に叩きつけられて本が散らばったのを思い出す。
そういえば、航海日誌を調べてない……くそ、仕方ないか。
俺は重たいのを承知で適当に2冊拾い上げ、再び駆ける。
「ハルト!早くしろ!」
「おう!」
選んでいる暇なんて無かったし、これが何の本かはわかんないけどな。
******
ずおおおお。
「うわ!?」
足元から振動が這い上がってくる。
狭い廊下を抜け、階段を上がって、転げるようにして俺達は進んだ。
所々朽ちた床でも、怯えてる暇は無い。
ギッ、ギシッ!
メリッ……!
抜けてくれるなよ……!
祈るように、けどスピードは緩めないで走る。
「レイスっす!」
先導するカタールの声。
魔力感知のお陰で、廊下の先に揺らめく影が見えた。
「突っ切れ!ハルト!浄化寄越せ!」
「浄化!!」
怒鳴るグランに間髪入れずバフを。
通常よりも高速な獲物に、レイスもたじろいだのかもしれない。
カタールが。
ディティアとボーザックが。
ファルーアが。
俺があっという間に通り越して……。
「おらああぁ!どけぇぇ!!」
ドゴアァッ!!
グランの盾が……と思ったら、グランは生身の拳でレイスを吹っ飛ばしていた。
真っ白いつるりとした大盾は背負ったままだ。
グラン、盾無くても戦えるからな……。
「この先が船尾っす!!」
俺達は船内から飛び出すようにして外に出る。
「うぇえ!?何これ!!」
ボーザックの叫び。
俺達は、ぶるぶると揺れる、白くて丸いのっぺりした奴等を眼にした。
魔力海月が、『びっしりと』蠢いていたのである。
密集しているせいか、濃い魔力溜まりみたいに感じて気付かなかったのか……。
ずおおおお。
不穏な音は続き、船と一緒に魔力海月がぶるぶると震え……いや、もしかしたらこいつらの震えが、船に伝わってるのか……?
「ねぇ、これ、燃やしていいかしら?いっそ船ごと……?」
ファルーアが嫌な顔をして物凄く恐ろしいことを言う。
その時だった。
〈ピイィイィ―――!!〉
鳥の声のような音が、船の後方から鳴り響く。
〈くおおおぉーーーん!!〉
そして、俺達の右手の方からは、呼応した鳴き声のような音。
「これ、海龍の鳴き声……?」
ディティアが呟く。
確かに、最初にジャンバックに乗った時、この声を聞いていた。
……つまり、右手の方にジャンバックがいるのだ。
カタールが、その鳴き声を聞いて鈍器を構えた。
「言ったっす!船長は切り札なんすよ!!」




