樹海は未知の領域です。⑥
……樹海の死者。
その魔物は、古代の魔法によって変質した人間だったとか、死んだ人間がレイスにならずに突然変異したとか、そんな風に言われている。
遠くから見たことはあって、そのおぞましい容姿に戦慄したのを今でもはっきり思い出せた。
樹海の死者に魅入られた者は還らず、身体中の血という血を吸われて朽ちるのが常。
トレージャーハンターにとって戦ってはいけない存在である。
しかし、あくまで樹海の死者は樹海の奥の奥、山脈の近くに棲息しているはずで。
こんな所に、居るわけがなかった。
けれど。
信じるしかないじゃないか。
ヤチが、こんな風になっているんだから。
******
「フェン、匂いを追えるな?」
「がうっ」
ヤチのざっくりした説明を聞いたグランは、自信たっぷりに鳴いて小走りに先を行くフェンに続いた。
勿論、残りのメンバーもだ。
「ま、待ってください!……駄目です、死にに行く気ですか!?」
驚いて声を上げたナチに、白薔薇のメンバーは揃いも揃って笑う。
「当たり前だ、ハルトが待ってる」
「まあ、死にに行くつもりはないけどねー」
「そうね。とりあえず半泣きのハルトが見たいわ」
「……ナチ君とヤチ君は、ここで待ってるか戻っていてね。フェンがいれば追い付けるから」
それを聞いたヤチが、肩で息をしながら顔を上げる。
「ぼ、僕はっ……い、行きます、一緒に!」
「ヤチ!?」
「ナチ、言ったんだ!……戻るって、僕は、言ったんだ……!」
呆然とするナチ。
強張っている両腕が、一瞬だけ、ヤチに伸ばされかける。
……僕達の仲間でも、樹海の死者にやられた者は数知れない。
まだ見付かってすらいない仲間も、本当にたくさんいる。
助けたいと、何度も願ったはずだった。
それなのに、自分の片割れ、自分の半身が、奮い立っているのを目の当たりにしても、言葉を紡げない。
ナチは、何かを言い掛けて、口を噤んだ。
薄暗い樹海は、恐らくもうすぐ雨になる。
そうなったら、ヤチが通った道に残る匂いも、流されてしまうだろう。
「双子!お前らは一緒にいろ、後で必ず合流してやる」
「そんな……!」
グランに言われて、ヤチが悲痛な声を上げた。
そして、必死の形相でナチを振り返る。
「ナチ、ナチは!ううん……僕達は、こんなハンターを目指してたんだろ!?」
そこにいるのは、今にも泣きそうな、鏡に映った自分そのもの。
こんなパーティーを羨ましいと思い、こんな風になれたらと願う、自分だ。
ナチは、その必死な顔に、思わず笑った。
「ふふ、あははっ……ヤチの顔、すごいぐしゃぐしゃだ」
「はあ!?今はそんなこと関係ないだろ!………………ナチ?」
噛み付こうとしたヤチは、目を見開いた。
ナチが、腰に挿していたナイフを両手に取ったのだ。
「ねえ白薔薇。樹海も知らないで、よくも言えたよね。僕達がいないのに帰れるほど、甘くないんだ。……ヤチ、とりあえず仕事は中断だ。全力で行くよ」
「ナチ!……うん、わかった、やろう!」
ヤチも、ナイフを手にする。
「遅れても置いていくから。雨が降る前に辿り着かないとならない。……銀風、先導は任せたからね」
「ぐる……」
美しい銀狼は、困ったように咽を鳴らしたものの、グランに頷かれてさっと走り出す。
「あはは、ナチ格好良いね~」
場違いな明るさで、不屈が笑った。
******
ザザザッ……
樹海は、庭みたいなものだった。
僕達は、小さな頃からトレージャーハンターの両親に連れられてこうして樹海に入っていたからだ。
双子の片割れ、ナチと共に全力で駆け抜けるのは、出来ればそんな懐かしい気持ちで……が、良かった。
今は、少しでも早く、逆鱗のハルトの元に戻らねばならない。
どんなに恐くても、だ。
「……付いてきてますかッ」
「おお!何とかな!!」
振り返らずに声を掛けると、豪傑のグランの声がする。
「少し離れてきてるみたいだよ!スピードは緩めないからね!」
前を行くナチが、声の位置から判断して指摘する。
「とりあえず、俺とティアは大丈夫~」
「ファルーアとグランさんが少し離れてもフェンがいるから」
そこに、驚くほど間近で声が返ってきた。
不屈のボーザックと疾風のディティアだ。
成る程、この2人は確かに戦闘でも速かったな。
蔦をかいくぐり、樹の根を避け、時には跳び越えて、進んでいく僕達にぴったり付いてきているのは中々評価が高い。
……試すまでも、なかったのかもしれない。
なら、僕がしたことは……無闇に彼等を危険に晒しただけ。
そんなのは、僕達の目指すトレージャーハンターではなかった。
「ヤチ。……僕達さ……強く、なったと思う?」
前を行くナチが、呟く。
僕は、ナチに見えていなくても、伝わると信じてしっかりと頷いた。
「当たり前だ。……僕達は、トレージャーハンターだよ、ナチ」
******
皆が嫌な空気を感じ始めた。
樹海の生命達が、息を潜めている感じだ。
「ガウガウッ!!」
黒い塊がちらりと見えたと同時に、銀狼が吼える。
ディティアは、はっとして、思わず声を上げた。
「ハルト君ッ!!」
その瞬間。
信じられないスピードで双子を追い抜いて飛び出した彼女に、ナチが眼を見開いた。
「えっ、嘘……」
慌てて彼女の背を追う双子に、ボーザックが並ぶ。
「あれが樹海の死者!?」
「は、はい!」
ヤチが答える。
「おっけー!行くよ2人とも!」
向こう側で、黒い塊が転がっていて……。
その下から、投げ出された、二本の足が覗いていた。
「っ……はあぁ――――ッ!!!」
ドカアァッ!!
ディティアにしては珍しく、一撃目は強烈な飛び蹴り。
一緒にフェンが体当たりをする。
ゴロゴロッと転がった黒い塊に、ナチとヤチ、ボーザックが飛び掛かった。
「ハルト君ッ!!!」
「ハルト!!」
倒れたままのハルトに、ディティアが駆け寄る。
グランとファルーアも追い付いた。
「……これ……」
飛び掛かったボーザックが大剣を振り上げたまま、固まる。
双子も、眼を見開いた。
転がった触手の中、ミイラのような顔があって、そこには。
ハルトの双剣が、深く突き刺さっていたのである。
……樹海の死者は、既に息絶えていた。
******
ぽっかり空いた眼の部分は、底知れぬ闇をたたえている。
吸い込まれそう、だった。
意識が、視界が、揺れる。
吸い込まれる。
――やばい、持って行かれる!!
「精神安定!」
俺は、必死で声を上げた。
精神を歪められ、意識が持っていかれそうになった俺の身体が、全身全霊で危険を訴えた結果だ。
一気に練り上げたバフに、意識がはっきりした。
触手が俺を抱き込むようにして…………。
「……悪いな!!やられるわけにいかないんだ!」
俺は両腕を、そいつの顔目掛けて振り下ろす。
〈――――ッ!!!〉
「って、うおわあ!?」
しかし、絶叫と共に体当たりをかまされて、俺はひっくり返った。
本当に、樹海のことはわからない。
未知の領域すぎる……。
皆、大丈夫かな。
倒れる瞬間、色んな事を思った気がする。
……たぶん、後頭部を思い切りぶつけたんだ。
俺の意識は、そのまま刈り取られたのだった。




