野良のいない街
「首輪が気になりますか? 御主人様」
シークの視線に気が付いたのか、猫獣人のカミラは自分の首元、そこに着けられた首輪にそっと指を這わせた。
「……まあ、少しだけ」
「ふふふ。御主人様はこの街に住み始めてまだ一ヶ月ですものね。慣れなくて当然ですよ」
そう。シークがこの街に来たのは今から一ヶ月前。大学へ進学するについで、知り合いから紹介されたこの街に移住してきたのだ。
しかしこの街には他では見られない不思議な『ルール』があった。その一つが「奴隷の所有」である。
「……君は、俺が飼い主で良かったと思うか?」
「そりゃもう! ご主人様は優しいし、いい匂いがして、一緒に居ると心が落ち着くんです! 頭ナデナデしてもらうだけで幸せです!」
「そっか。でも、匂いを嗅ぐのは勘弁して欲しいなぁ」
「にゃっ!?」
亜人。もしくは獣人。
今まで架空の存在だと思われていた彼女達は、どういうわけかこうしてこの街に暮らしている。それも例外なく「奴隷」という形で。
確かにカミラが家事を手伝ってくれることには感謝している。しかし、今まで奴隷とは無縁の生活を送ってきただけあって、この暮らしに甘んじることには少なからず抵抗がある。
「……白亜の街……か」
全ての建物が白色に彩られた霧の街。
この街の亜人には必ず「飼い主」が存在する。いや、この街の人間は必ずそうならなければならない。
故に、亜人の中には野良が一人もいなかった。
【野良のいない街】
「御主人様。今日はいつ頃お帰りになりますか?」
「夕方には帰るよ。それと、家の中では普通に話してくれて構わないよ」
「うぅ! でもそれは……」
「カミラには名前で呼んで欲しいんだ」
「――――ッ!!」
ちょっとした悪戯半分でシークは少しだけ自分の言葉に熱を込める。すると、カミラは目に見えて動揺したように頬を赤らめながら慌てていた。
心から恥ずかしそうに、それでいてどこか嬉しそうに。尻尾がゆらゆらと揺り動いている。そんな彼女の姿は見ていて楽しい。
シークは内心苦笑を浮かべながら、玄関の扉に手を掛けた。
「――し、シーク様!」
直後、意を決したようにカミラが声を張り上げる。
驚いて振り返ると、彼女はこれでもかと言わんばかりに顔を真っ赤染め上げていた。若干涙目なのは興奮しているからだろうか。それともそれだけ名前で呼ぶのが嫌だったのだろうか。
(……後者はあまり考えたくないな)
そんなことを考えている間に、カミラがずずいっとシークの傍に詰め寄った。そんな彼女は上目遣いでシークの顔を見上げながら、先程とは打って変わってとてもか細い声で話しだす。
「……ほ、他の子と仲良くしちゃ嫌ですからね?」
「――可愛いなぁ」
カミラは案外しっかりとしているようで、実際のところは甘えん坊で嫉妬深い。
先日、他の亜人と仲良くしているところを目撃されて以来、この手のやり取りが増えるようになってきた。
どうせ向こうは向こうで自分の飼い主にご執心なのだから、もしものことなどあり得ない。それでも、カミラは自分が捨てられるのではと警戒を解いてくれないのだ。
まあ、それはそれで可愛いため、シークは彼女の好きにさせているわけだが。
「じゃあ行ってきます」
「はい! 行ってらっしゃいませ! シーク様!」
*****
シーク・アンジェラ。
今年で二十歳を迎える大学生。専攻しているのは白魔術。
生まれはアックス地方のど田舎で、高校までは近くのものに通っていた。
そのため、都会に位置する白亜の街はシークにとって新鮮そのもの。『ルール』にさえ目を瞑れば、実に住み心地のいい場所だった。
あくまでも、『ルール』のことを考えなければ。
「……きっとここだと当たり前のことなんだけどなぁ」
初めてこの街に来た時のことを思い出す。
あの時、知り合い経由で役所に住居許可を貰いに行ったシークは、その場で亜人が暮らす『施設』という部屋まで案内された。
そして何の説明もされないまま好きな亜人を選べと言われたのだ。
幸いカミラは人懐っこく大人しい性格だったから良かったものの、下手をすればあの時点でそりの合わない奴隷と暮らすことになっていたかもしれない。
とにかく、その後にようやくこの街の『ルール』について教えてもらった。
・その一、街の住民は必ず亜人を所有しなければならない。
・その二、他の亜人に危害を加えてはいけない。
・その三、認められた時以外、白亜の城に入ってはけない。
・その四、街から去る時、所有する亜人は必ず処分しなければならない。
他にもいくつかの制約はあったものの、とりあえずこの街にしか存在しないであろう内容はこの四つだ。
特にシークは三番目と四番目の内容が気になっていた。
『白亜の城』とはこの街の中心にある巨大な塔のことだ。なんでも一年に一度行われる祭りの時以外は立ち入りが禁止されているらしい。
そしてこの街を去っていた者達は、皆例外なく自らの奴隷を、自分で選んだ亜人を『葬儀屋』という専門施設に送り届けているようだった。
「……どうして、そんなことを」
シークがこの街にいるのは大学にいる間だけだ。その先のことはわからない。
しかし、もしもこの街を去ることが決まった時。
カミラはどうなってしまうのだろう。彼女を連れ出すことはできないのだろうか。
これは、後に『葬儀屋』を敵に回し、一人の亜人を守ろうとする普通の青年の物語。
途中で力尽きました。