3 鮮烈の言の葉
同じエルフ族であり、《賢者》でもあるエレンミアと再会した後、夜の帳が降り始めた空を見上げ、イズレンディアと守護騎士たちは早々に領主の館へと引き返した。
当然として、共に戦うことを決めたエレンミアを一人放っておくわけにもいかず、突然の参加者――それも《賢者》の名を持つエルフの少女に驚く領主エスターに、なんとか了承を得て、エレンミアもまたイズレンディアたちと共に館で過ごすこととなった。
ファウンの街の夜空は、常にかかっている雲のために、月明かりも星々の煌きも見る事が出来ない。太陽が沈んでしまえば、どれだけ早い夜の時間も、暗夜と化してしまうのが常であった。
降るわけでは無い雨を思わせる暗い空を、与えられた部屋のバルコニーから見上げ、イズレンディアは一つ、息をつく。
そっと移動させた英知の瞳の先。そこには、暗闇の中にも濃く形を見せる、《邪神の異物》があった。
ふと、イズレンディアがささやく様に呟く。
「――法も、陣も、歌でさえも……吸収されて消えてしまうなら……」
思考により生まれる沈黙。
その中で、彼は過去にもまみえたその黒き結晶体の、脅威の意味を思い出していた。
魔物と呼ばれる者たちと同じ、禍々しき黒を纏った結晶体。
正しく邪神が生み出したとされる、災厄の異物。
「――魔法を魔力へと強制的に戻し、その魔力を吸収して力を増す……相も変わらず、厄介なものですね」
再度吐かれた息は、深いもの。そこには、厄介と言った言葉どおりの感情が、珍しくもはっきりと現れていた。
常に優しい微笑みを湛え、穏やかな雰囲気で他者を癒す姿も、今はなりを潜めている。
実情として、穏やかな心境でいるわけにはいかないのが、《邪神の異物》という存在だった。
悩む静かな静寂を、夜風がそっと流して行く。
空の闇色に反して、まだ夜は始まったばかりだ。
夕食を告げるノックの音に、そっと微笑みを口元に戻したイズレンディアは、領主エスターとエレンミアが同席することになった晩餐の間へと、ゆったりと歩みを進めた。
「いやあ、まさかイズレンディア殿のみならず、〝聖風の地〟の《賢者》エレンミア殿ともお会いする事が叶うとは!」
始まった夕食は、すぐに上機嫌なエスターが朗らかに語る声で満たされた。
確かに、《賢者》が二人も己が目の前にいるというのは、王族ですら滅多に無い稀有な状態である。エスターが驚き、喜ぶのも無理はない。
とは言え、イズレンディアはそもそも自らが《賢者》であることの感覚に欠けており、エレンミアはある意味見慣れた光景に過ぎるため、盛り上がっているのはあくまでもエスターのみ。
仕方が無い事とは言え、エルフ二人は最早、苦笑しか浮かべる事が出来なかった。
そうして始まった夕食は、しかしエスターがふと思い出したように尋ねた内容によって、ガラリとその雰囲気を変える事となる。
波打つ自らの金髪を払い、そういえば、とエスターはエルフ二人に問いかけた。
「あの、街外れの荒野にあるもの……《邪神の異物》、でしたか。アレは、結局一体どのような代物なのですかな? 《賢者》と呼ばれる貴方がたが、それもお二人も揃って、対処しなければならないほど、危険なものなので?」
実に素朴な疑問に聞こえたそれに、しかしイズレンディアもエレンミアも、一瞬で表情を真剣なものへと変える。
次いでうなずき言葉を返したのは、イズレンディアだった。
「非常に危険なモノです。このまま放置していると、間違いなく災厄を招くことになるでしょう」
戦場での姿に似た、緊迫した声音。それに、エレンミアが静かに続いた。
「魔法を魔力に変換し、吸収してしまうのです。そうやって力を溜め込み、その力をいずれ……爆発させる」
「――それは……」
澄んだ水色の瞳を、射抜くように細めたエレンミアの姿に、誰かが息を呑む。
二人の《賢者》のただならぬ様子に、さしものエスターも言葉を続けられず、その場に重い沈黙が降りた。
改めて知らされた脅威に、誰もが二の句を告げないでいる中、ぽつりと穏やかな声が紡がれる。
「――私はかつて、もう一人の同族の方と共に、あの《邪神の異物》とまみえたことがあります」
穏やかでいて、重く響くイズレンディアの言葉。
エスターを筆頭に、多くの者たちが窺うようにイズレンディアを見る中、エレンミアだけは、はっと息を呑んだ。
「あの《邪神の異物》を地中深くに押し込んだのは、私たちです。……それこそ、何千年もの長きにわたり、地上に姿を現すことが無いように、と。――しかし」
途切れた言葉に次ぎ、新緑の瞳が常にはない鋭さを以って、細められる。
イズレンディアの真正面に座っていたエスターが、その射抜くような視線にわずかに身を引いた。
そうして続いたイズレンディアの言葉に、再びの戦慄が、大多数の者たちに走る。
「――今再び、それが突然、地上に現れました。……何事もなければ、現れ得なかったはずの、モノが」
その声音の中に、静かな怒りを覚った守護騎士たち。互いに視線を交し合った彼らは、同じように冷や汗を感じながらも、問わねばならぬと口を開いた。
「……では、何かがあったからこそ、アレは地上に現れた……と?」
「間違いなく」
飛ぶような即答に、いっそうその場に満ちる緊張感が増す。
エレンミアさえじっと沈黙する現状において、それでも、と守護騎士たちは尋ねる者を交替し、問いを続けた。
――この場にいる誰もが、危惧する疑問を。
「……それは、自然現象における異常事態、でしょうか? それとも――人為的なもの……なのでしょうか……?」
ためらうような間が挟まれたその問いに、イズレンディアは黙して瞳を伏せる。
ややあって、ゆっくりとかぶりが振られた。
「そこまでは、私にも分かりません。――ですが、何かがあったことは確かです」
開かれた英知の瞳が、強い意志を秘めて瞬く。
「自然が起こしたものであるならば、致し方ないとも言えます。しかし、もしも何者かの手によって、成されたことであるならば――」
瞬間。
どう足掻いても逃れることのできない感覚が、イズレンディア以外の全員を支配する。
恐怖――だけではない。
緊迫、震え、威圧、竦み――。
それは、明確な圧力を宿した、畏怖。
それを与えたイズレンディアは、静かに、言い放った。
「決して、二度はさせません。私の――Izlendiaの名において」
力ある名を用いてでも、させないと語ること。
それは、強い主張をすることが少ないイズレンディアが見せた、決意の形。
その言葉の意味するところを正確に悟れたのは、守護騎士たちとエレンミアだけ。
それでも、自らを支配する畏怖と、強く発せられたその言葉を、軽んじようと考える者はいなかった。
再三の沈黙の後、かすれた声で、エスターが問う。
「で、では、これから私たちは、何をすれば……?」
無理やり浮かべていることが容易に分かるその笑みに、しかし畏怖の感覚は霧散する。
多くの者が、冷や汗と共に安堵の息をつく中、未だ微笑みをその口元に戻さないイズレンディアが、静かに告げた。
「私たちがすべきことは、二つ。《邪神の異物》への対策と、地上へ出現した原因の解明。――それを、同時進行で行います」
その言葉に、エスター含め、多くの者たちがうなずき肯定を示す。
決まった今後の方針に、エレンミアが両の掌を握りしめ、守護騎士たちが姿勢を正した。
ただ一人。
イズレンディアだけは、ふとその美貌に、鮮やかな笑みを浮かべてみせる。
温かさを取り戻しつつあるその場に、穏やかさを取り戻してなお、確かな重さが宿った声が、凛と響いた。
「――古き約束のその下に。必ずや、かの脅威を排しましょう」
深まるばかりの夜の闇に、一条の光が生まれる。
本来は〝戦場〟で浮かぶものである、イズレンディアの鮮烈な笑みが、多くの者たちの目に眩く焼き付いた――。
申し訳ありません。
『エルサリオン1・2・3』を統合し、一つの連載小説として固めることにしましたので、こちらは完結と設定致します。
なお、今回の統合でこの『エルサリオン3』の展開が、元々予定していたものと異なってくるわけではありませんので、ご安心下さい。