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1 出発

まったり進めて参ります。

 



「頼んだぞ、Izlendia(イズレンディア)

「はい、――」




 ふっと意識が浮上するのに伴い、イズレンディアはその深い緑の瞳を開いた。

 静かで澄んだ、朝の気配。まどろみを爽やかに払ってくれるその空気に、ふわりといつもの微笑みが浮かぶ。

 そっとベッドから起き上がり、窓のそばへと穏やかな所作で歩み寄ったイズレンディアは、開け放った窓から入り込むそよ風に、英知の瞳を緩やかに細めた。

「あぁ……今日も良い朝ですね」

 そう、常と同じ穏やかさで呟かれた言葉が、周囲に優しく広がった――。




 シルベリア王国国王セリオ・シルベリアの書斎室。

「――と、言うことでして。大変申し訳ない事ながら、前代未聞の事態ゆえ……調査をお願いしたいのですが……」

「なるほど。お断りします」

 そこで今、国王きっての願いが、バッサリと切り捨てられた。


「……そ、そこを、なんとか」

 予想外に容赦のない切り返しに、その口元を引きつらせてもう一度言ってみるセリオ。

 対するイズレンディアは、普段となんら変わりのないにこにことした笑みを浮かべながら、

「嫌です」

 と、またもや華麗に切り捨てる。

 それは最早、常のマイペースさ、意外性を含んだ遠慮のなさをも上回る、無慈悲の域に達した頑固さを髣髴とさせるものであった。

「…………」

 想像を超えた事態に、流石のセリオも二の句が告げず、部屋には沈黙が流れる。彼の後方には、普段どおり近衛騎士団長であるアーフェル・ロス・リムブスと宰相であるクロス・ラト・エルゼリアも居たが、彼らもこの事態は予想していなかったのか、思わず、と言った風に口をつぐんでいた。

 と、そこでようやく、今まで事態を静観していたルーミルが、声を発する。

「えっと……あそこには、お師匠様は行かないと思いますよ?」

 そう言った声音が若干申し訳なさそうであったのは、ひとえに彼がその理由を知っているから、である。


 というのも、今回セリオがイズレンディアへと直々に願い出た調査。その調査で向かう場所が、イズレンディアにとっては多大に問題のある場所であったのだ。


 シルベリア王国の都の一つに、ファウン、と呼ばれる街がある。

 シルベリア王国がこの地に建国される以前から、常に薄い雲が空を覆っていることで有名なその街に、先日、異変が起こった。


「《邪神の異物》には、深く関わらない方が身のためですから」

 そうにこやかに語るイズレンディアの言葉が、異変の原因を端的に示す。


 ――《邪神の異物》。

 この世界には、そう呼ばれる、謎と危険性を秘めた異物がいくつか存在する。

 時として大災害を引き起こすそれらを、古き時代の者たちが畏怖を込めてそう呼んだことが呼び名のきっかけであったらしいが、事実、それらの多くは非常に大規模な破壊――あるいは破滅を引き起こすものであった。


 イズレンディアの言葉に続き、セリオの言葉が重苦しく響く。

「……それについては、深く同感いたします……。私とて、自国にさえなければ、避けて通るでしょう。――しかし」

 すっと顔を上げたセリオの紫瞳と、深い英知の瞳とが、かち合った。

 常と同じように見えるイズレンディアのその微笑みが、真剣な表情を浮かべたセリオの視線を前にして、一瞬作り物のように固まる。

 唯一、自らの師の希少な一瞬を目にした弟子が瞠目する中、静かな言葉が続いた。


 一国の、王としての言葉が。


「――しかし、それが、自らが護るべき国の中にあるというのならば。……私はそれを、見過ごすわけにはいかないのです」

「――」

 訪れた沈黙の中で、固まった笑みがふと和む。

 わずかに目を見開くクロスとアーフェルの心境をよそに、セリオの王としての厳格たる姿にこそ感心したものの、思考するようにそっと瞳を伏せたイズレンディアへ、驚きを収めたルーミルが心配そうな表情を向けた。


 確かに、一国を護るべきセリオにとって、現状が由々しきことであるのは事実である。それが、元来より太刀打ちできる者の方が少ないような異物であれば、なおのこと。

 ……ただ、それはあくまでもシルベリア王国の問題だと言うこともまた事実であり、それをこの国で生まれ育ったわけでもないエルフ族の《賢者》に頼むのは、ある意味では大変に無謀な願いでもあった。

 端的に言ってしまえば、義理が無いのだ。

 へたをすれば命がかかってくるような問題。それに関わらなければならない義理が、ただ巨大魔石の研究ために留まっているだけのイズレンディアには、無かった。

 それは、セリオも良く理解していた。

 理解していてもなお、イズレンディアに頼まなければならない事情が、彼らにもあったのだ。


 ……そして、それを笑顔でさらりと逃げ道を塞いで〝お願い〟する者に、出来れば発言して欲しくなかったために、真っ先にセリオが頼む方向で此度の話を始めたのだが……。


 緊張を払えぬ無言の空間にて、唐突に響く、綺麗な咳払い。

 それによりたった今、形勢が逆転したことを、セリオとアーフェルが悟った。


 何事かと瞳を開いたイズレンディアと、顔を音の方に向けたルーミルの双方の瞳に、実に美しい――と言うよりむしろ嫌な予感しかしないクロスの笑みが、映る。

 思わず身を引いたルーミルを華麗に無視して、静かな部屋にクロスが言葉を響かせた。

「となりますと、残念ながら――ルーミル殿に行って貰うしかありませんね」


 否。響かせる、どころではない。


「ク、クロス閣下……」

 最早爆音にも聞こえる発言を投下したクロスに、比喩で無く口元を引きつらせたルーミルが、思わず言葉をこぼす。

 加えて、普段ならばここで笑顔の押収がはじまるところであるが、今回ばかりはイズレンディアとて、平常心ではいられなかった。


 何故、クロスがルーミルを行かすことを残念と語るのか。

 加えて、その言葉に対し、何故イズレンディアが平常心でいられないのか。

 それはひとえに、つい最近起こった戦闘の名残で、ルーミルの内にある魔力がまだ完全回復していないことが原因であった。


 二人のエルフにとっては旧知の仲である上級精霊を筆頭とし、精霊たちが鮮やかな舞を見せた舞踏会。その日の夜、精霊たちを狙い攻めてきた魔物の大軍を、エルフの師弟が苛烈な戦いの末、見事に全滅させたまでは良かったのだが……その際、ルーミルは少々無理をしすぎてしまっており、数日経った今でも、まだ繊細な扱いが必要な魔法などは、上手く扱えない状態であるのだ。

 ルーミルは、王城の者たちにとっては親しい弟のような存在であり、イズレンディアにとっては大切な弟子である。彼がそのような状態にある今、誰もルーミルに無理をして欲しくないと思っているのは、まぎれも無い本心であった。


 ――故にこそ、その本心を全力で表に出されれば、さしものイズレンディアといえども……否、ルーミルを自らの愛弟子として大切に扱うイズレンディアだからこそ、すげなく断ることなど出来ないはずだと踏んだクロスの考えは、まさに、的確と言わざるを得なかった。


「あぁ……非常に、非常に! 心苦しい事なのですが……イズレンディア殿が行って下さらないならば、これも致しかたがないことなのでしょうね……」

「…………」

 非常に、という言葉を強調しつつも、どこまでも演技がかった表情と声音で以ってそう言葉を続けるクロスに、微笑みを浮かべたままうつむいてわずかに肩を震わすイズレンディア。

 そのイズレンディアの姿に、怒っていると理解したセリオとアーフェルが真面目に顔を青ざめさせ、クロスを止めようとした瞬間――決着がついた。

「……分かりました」

「!?」

 話を進めていたクロスを除く三人分の驚愕が、部屋に満ちる。

 そっと顔を上げたイズレンディアが、いささかぎこちない笑顔で、言葉を紡いだ。

「行ってきます。最も、調査と言うよりは、そのまま対応することになるとは思いますが……」


 後半になるにつれて憮然とした響きとなっていくその口調が、行きますよ、行けば良いんでしょう? と言っているように聞こえたのは、本人を除く全員の総意であった。


 こうして、《邪神の異物》が目覚めた街ファウンへと、一台の馬車が出発したのである。


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