中編
後から本人に聞いたところでは、逮捕された元上級生は元々志藤をしつこくサークルに勧誘していた生徒なのだという。本人としてはサークルは見学程度の予定だったのだが、そいつがメンバーの中心的な立ち位置だったために断りきれなかったようだ。そして乗り気でないままサークルに入り、万が一の場合に備えて、面倒を回避できるように幽霊部員化したとのことだった。
結果として志藤の判断は正しいものだったのだろう。最善だったかどうかは微妙であるが。
退学にはなったものの、元上級生は地元出身者で依然として大学の近辺に暮らしていた。それも少々精神的に不安定な状態で。そして執心していた志藤の住むアパートを訪ねてきた。連絡先の交換でも済ませていたのかと思ったら、サークル再建のごたごたで志藤を快く思わなかった女子生徒から情報が漏れてしまったらしい。
つくづく人間関係とは厄介である。僕が友達をあまりつくらないのはこの辺りが原因なのかもしれない。まあ、出来ないだけなのだけれど。
恐怖を感じた志藤は警察に届け出て、元上級生には形だけの指導が入った。その後、行為がエスカレートして脅迫文を送りつけたため、ようやく本格的に逮捕へと乗り出してくれたそうだ。
これだけみると、志藤は相当なショックを受けて引き籠もったのかと思われるかもしれない。しかし実態はそうではない。確かに志藤にとって一連の事件は恐怖を伴うものであったし、それなりに嫌な経験もしたのだろう。それでも彼女はたくましく強かった。身の安全を確保したり、危険人物を排除したりといった彼女の行動に容赦はなかった。そしてたとえ表面上であろうとも、現在は問題なく生活できている。その上で彼女はあろうことか堂々と引き籠もり宣言を出したのだ。
僕と志藤が妙な縁を持ったのはこの件が大きく影響している。正直、掲示板や地元のニュースで事件の概要を知っていただけで、僕個人として何か強く思うところがあったわけではない。当然当時の顛末など詳細に把握しているはずもなく、自然と風化していくはずの事件だった。見知った顔であっても所詮は他人である。他人事だったに違いない。
志藤が僕の住むアパートに転居してくるまでは。
ある日いつも通り講義に出向こうと階段を下りていると、複数の荷物に囲まれた志藤と鉢合わせになったのだ。事情を尋ねると引っ越し予算の節約をするためにできるだけ自分で運ぶように手配したのだそうだ。最上階への入居だったが、前のアパートがエレベーター付きだったため、自力で運べると油断していたらしい。小さなアパートなので最上階といっても4階である。放っておいても何とかなっただろう。しかし出会ってしまった以上手伝わなければいけない雰囲気になってしまったのだ。
それ以降、便利な労働力としてカウントされたらしく、志藤は僕を電話で呼び出すようになった。
ちなみに影の薄い同級生の顔は一切覚えていなかったようだ。別に気にしていない。本当だ。
ああ、なんでこんなことを思い出しているのだろうか。と一人で疑問を呈してみるが、本当は分かっている。これから訪れる僕にとっては無駄で、苦痛で、加えて終わりの見えない作業に対する予防線を張ろうとしたのだ。詰まるところ、現実逃避である。
一方的に通話を切られ、数少ない連絡手段を電源OFFに着信拒否という荒業で妨害された彼女は、仕方なしに同じアパートの2階にある僕の部屋までやってきた。早朝6時に。そして3時に電話をして切られた経験から、どうやら6時の段階でもまだ僕の活動時間ではないと気づき、インターホンも鳴らさずにひたすら立ち尽くしていたのだ。僕が部屋を出たのが8時前後だから、優に2時間は待っていたことになる。客観的に見ても異常である。
そんなに重大な用事だったのかと少し反省したのが僕の間違いであった。奴に優しさは不要だ。なぜならばつけあがることに疑いがないから。
要件を聞こうとした僕に対して、志藤は極めて明るい笑顔で話し始めた。
「君は割と運のいい人間だって自分でも言ってたよね?」
「あくまで割と良い程度だけど」
僕がある程度問題なく人生を送れているのは、ひとえにこの中途半端な幸運のおかげだと思っている。具体的に言えば、宝くじやパチンコなどのギャンブルの類は全く当たらないが、商店街のくじ引きでは3等を引くくらいに。テストになれば出題されるところがなんとなく分かったつもりになれるし、損な役回りはほぼ巡ってこない。後半は単純に生産的な人間関係が乏しいともいう。
「いやいや十分だ。なにせ私は自他ともに認めるほど運が悪い」
そりゃあ、入学して早々に一つのサークル関連であれだけトラブルに巻き込まれる人間は滅多にいないだろう。彼女にとっての幸運はその境遇を分かってくれる友人に困らないことくらいだ。
そんな運のいい君に、ちょっとだけ手に入りづらいアイテムを運んできてもらおうと考えたわけさ、と志藤は前置きした。この時点で嫌な予感しかしなかった。
「先に聞いておくと、それはどの程度手に入りづらいんだ?」
奴がこの話を持ってきたのだから、どうせろくでもない数値が出てくるのだろうが一応聞いておく。案の定、志藤は言いにくそうに顔を背けた。それでも促すように見つめていると、
「……確率的に言うと、小数第4位くらいに初めて0以外の数字が出てくるくらいかな」
と言い放ってからどんよりと笑った。とても引き攣った笑みだった。
こうして僕の孤独な戦いは幕を開けたのだった。改めて言うが、本日はまぎれもなく平日であり、講義の予定もしっかり入っていたのだ。しかも同学年の人間にとって必修科目のゼミナールが。
大学生活満喫してるな、志藤の奴。照れるな、皮肉だ。