前編
オンラインでの交流も可能なRPG「幻想物語」には、プレイヤーからレアドロップと呼ばれている現象が存在する。特定のボスモンスターを倒した際に、極低確率で仲間になるイベントが発生するのだ。イベントといってもボスモンスターが仲間になったという味気ないメッセージが流れるだけで、固有の映像やセリフが用意されているわけではないが。
ドロップしたボスモンスターは戦闘において非常に大きな力を持ち、一撃で敵を殲滅する広範囲攻撃を能力に持つ。しかし、確率上まずドロップしないし、ストーリーの進行後は手に入れる手段がほぼなく、かといって別段攻略に必要不可欠なものでもない。本来プレイヤーが仲間にしていない前提でゲームストーリーは進行していくのだから当然である。したがって、いわゆる「やりこみ要素」とされ、一部の廃人プレイヤーにだけ高い目標となっている。
攻略サイトで事前に確認したところ、ボスドロップに関する反応は「ひたすらにマゾい」や「そろそろ確率公表しろよ、本当は落ちないんだろ」などと散々である。有志によるものと思われる動画には、数こそ少ないものの実際にボスモンスターを使用した戦闘風景が投稿されている。彼らは一体どれだけの試行回数をこなしてきたのだろうか。
僕は正直なところ「幻想物語」にそれほど興味を持ってはいない。携帯ゲーム機全盛期の今、据え置き機なのに高い売り上げを叩き出しているらしいとしか知らない。その知識も又聞きなので定かではないし。
だが、僕は現在大して興味もない「幻想物語」をプレイするためにとある場所へと向かっている。なんとも妙な話である。
事の発端は真夜中に掛かってきた一本の電話だった。
「ワイバーンが落ちないよう」
泣きつくような雰囲気で電話の主がしゃべる。知るか、と僕は返したはずだ。そこそこ健全な人間は深夜3時に着信音で起こされると大変不機嫌になるのだ。僕はすぐさま通話を終了した。寝ぼけていたのか電源ボタンを長押ししてしまった。仕方ない、明日の朝にでも起動しよう。
翌朝、無事に携帯を再起動させると、十数件の電話着信履歴と、何通かのメールが残っていた。毎朝迷惑メールの処理があるようで本当に面倒だ。電話着信とメールのうちの一件ずつを着信拒否に設定する。こういった積み重ねが自分を守るのである。
朝食は取らずに洗面台に向かい、そのあとで寝巻から着替える。講義の時間にはまだ少し早いが、余裕を持って損はないだろうと部屋を出る。
扉の前に全身を黒いトレーナーで包んだ人物がいた。
僕は急いで部屋の中に引き返して鍵をかけた。チェーンロックに苦戦するがなんとか施錠を完了させる。心臓の鼓動がはっきりと聞き取れる。なんだアレは、どう考えても変質者だ!包丁とか持ってないだろうな。一刻も早く確認して警察に通報せねばならない。
だが同時に、なんとなく見覚えのある背格好だとも感じていた。おそらく知り合いだろうと変に冷静な自分がいる。ドア越しにもう一度確認してみる。相変わらず黒一色の立ち姿。うつむいていて顔は確認できないが、フードから落ちる黒髪は長く、おそらく女性だと判断できた。まあ、僕自身はすでに訪問者の正体を、引き籠もりがちな友人だと確信しているのだけれど。
ロックを外して、ゆっくりと外側に開く。
「ふ、不審者扱いかよう……」
「朝からドアの前に立ち尽くす黒人間を見たら誰だってこうなる」
未だに非日常的な恐怖感から解放されきってはいない。当たり前だ、誰が平日の朝一で危険人物との遭遇を予想できるだろうか。しかし、よく考えると危険でなくともかなり珍しい光景ではある。もしも彼女が不審者としてではなく、普通に訪問客としてやってきても、僕は十分に驚けただろう。
「部屋から出られたんだね、君」
「私は引き籠もりではあるが、別に地縛霊ではないのだよ」
そうやって黒いフードの下でドヤ顔をする彼女。対面しているはずなのにいまだ俯いているため、あくまでもイメージである。顔はほとんど見えていない。引き籠もりは自覚しているんだなあ、と対面時より幾分か落ち着いた状態で分析する。
黒人間、志藤ソラは大学3年生の女性である。彼女とは大学1年の頃に講義で顔見知りになった。1年時の必修系講義は名前順にクラス分けされていたため、ほぼ全ての科目で教室内にいたと思う。特に仲良くはなかった。というより講義以外の時間に話したこともない。なので当時彼女に抱いていたのは、キラキラした人生送ってそうだなあという単純な感想くらいだった。主にその容姿によるものだろうけど、サークル勧誘が最も活発な時期には、非常に高い人気を誇っていたみたいだ。
僕はたとえ人脈作りでしかなくとも、コミュニケーション力が足りないだろうと自覚していたので、サークルには縁がなかった。この欠点に関しては別に今更直そうとも思えなかったし。したがって彼女との接点は全くもってなかった。講義の合間に聞いたところでは、スポーツ系のサークルに体験入会したとかなんとか。少し興味はあったけれど、初めての一人暮らしや各種手続きで忙しく、後から参加しようというほどの情熱は持てずにいた。
少しは新生活に慣れてきたかなという頃には、ある程度の人間関係が出来上がっていた。僕は問題なく慣れ親しんだぼっちライフを満喫することと相成った。過去の試験問題が手に入りづらいのは少し困ったが、適当に誤魔化しながら気楽な大学生活を送れていたと思う。自分で言うと悲しくなるけれど、一人でご飯とか割と平気な人種なんだと再確認した。数少ない友人はそんなぼっち生活中に出会った。例外なくぼっち気味な友人たちである。そして変人揃いでもある。
そんなわけで、僕自身は特に大きな苦労のない大学生活を送っていた。しかし志藤の方はそうではなかったようだ。形だけ入会していたサークルの上級生が、未成年への飲酒強要の末、強姦未遂をやらかしたせいで軒並み自主退学に追い込まれてしまったらしい。そういうのは黙認、もしくは放置されていると思っていたので、学内の掲示板に退学の旨が記載された時には大学ってきちんと機能していたんだと新しい発見になった。
志藤自身はサークル活動に一切関与していなかったらしく、被害にも遭わず事なきを得るかと思われた。しかし、有名税なのかしわ寄せ的に無関係だったサークルメンバーのまとめ役に抜擢され、完全な別サークルとして運営が軌道に乗るまでの間、余裕のない日々を送らなければならなかったらしい。
キラキラした人生には危険が憑き物、違う付き物だ。元々向いていなかったのだろうし、サークル再建の合間にも人間関係が元のトラブルがそこそこ発生したせいで、志藤は活動的な大学生活を送ることに嫌気が差したようだった。流されるように続けてきた人付き合いを少しずつ減らしていき、周りのうわさ話にもその名が上がらない日々が続いた。
そんな中、退屈なはずの日々がにわかに騒がしくなることになる。退学になったはずの元上級生が、ストーカー行為の末に脅迫文を送りつけたとして逮捕されるというニュースが流れたのだ。被害者は誰あろう志藤ソラだった。