とある雨の日
とある雨の日。
私はうずたかく積まれた本(マークが届けてくれたものだ)を読み漁り、リンは剣の手入れをしていた。
窓に打ちつける雨粒の勢いはますます強くなってきており、
さらに遠くの方で雷鳴も聞こえてきた。
「すごい雨……」
私のつぶやきに、リンはいつものように無反応だった。
この少年はいつも無表情で、何を考えているのか、全くと言っていいほど分からない。
(そのうち、雑談でもしてみたいな…)
―――と、その時。
窓の近くで雷鳴が轟いたかと思うと、どこからともなく大きな木が丸ごと窓へとぶつかってきた!
木のぶつかった衝撃で窓ガラスはバラバラに砕け散った。
「きゃあ!」
私はとっさに頭を抱え込んだ。
しかし、割れたガラスが降ってくる様子はなく。
私は不思議に思い、
思わずつむっていた目をおそるおそる開けると、
私をかばうように、リンが私に覆い被さっているのがわかった。
割れた窓からは風と雨がびゅうびゅうと吹き込んで、二人の服はびしょ濡れ、髪は乱れに乱れていた。
と、不意に私はリンの体から血が滴り落ちていることに気づいた。私をかばって、割れた窓ガラスの破片が背中のいたるところに刺さっているのだ……!!!
「リン!」
私の呼びかけに、リンはかすかにうめき声を上げた。
「リン!しっかりして!」
私は涙声になっていた。
「私なんか、かばわなくてよかったのに………」
あふれる涙が止まらない。
わかっていた。
リンは命令にしたがって仕事をこなしただけ。
私が、私が生きていることの方が、リンの命の価値より高いから、と…
ずっと欲しかった“生きる意味”
それを、手に入れた。
手に入れて、幸せだと思った。
でもそれは、誰かを犠牲にして。
他の人より生きる価値があるというのは、他の命を奪ってまで生きていていいということなのだろうか。
他人を蔑み、自分の思うままにしていいということなのだろうか。
様々な考えが頭の中を飛び回っていた、その時。
息も絶え絶えなリンがわずかに身体を起こし、うつろな瞳で私を見つめた。
「無事…?」
私は涙が止まらなくて何も言えず、ただ、こくこくと頷いた。
リンはかすかに微笑むと、そのまま脱力して倒れ込んだ。
ちがう。
私は確信した。
誰かの命を奪ってまで生きていていい命なんてない。
だって命は、すべての生き物に平等に与えられた、ただひとつのものだから………
その後駆けつけたマークの采配でリンと私は医務室へ運ばれ、治療を受けた。
私は自分がほぼ無傷であることを医師から告げられ、心がぎゅーっと締め付けられた。
(リンがかばってくれたから……)
濡れた服を着替えると、私はすぐにリンの元へ向かった。
私の周りを取り巻く人々が安静にするようにと引き留めようとしたが、すべて無視した。
この城から放り出されても構わない。
私のせいでリンは怪我をしたのだ。
のんびり安静になどしていられるものか!
私がリンのいる部屋に入っていくと、控えていた医師や看護師はあからさまに驚き、慌てて立ち去っていった。
私は彼らを気にとめもせず、まっすぐリンの寝ているベッドへと歩み寄った。
リンは、ベッドに俯せに寝かされていた。
上半身は包帯で覆われている。
その包帯に所々うっすらと血が滲んでいる。
「っ……」
分かってはいたけれど、やはり生で見ると、あまりに痛々しい。
「ごめんなさい……」
謝っても傷が治るわけではないと分かっているけれど。
私は気づくと、泣きながらそう言っていた。
すると、リンがぴくりと動いた。
そして顔をこちらに向け、うっすらと目を開いた。
「リン…!」
私はドレスがぐちゃぐちゃになることを気にもせず膝をつき、リンと目線を合わせた。
「リン、本当にごめんなさい!私のせいでこんなひどい怪我を……」
泣き崩れる私を、リンは無表情に見つめた。
「僕は仕事をこなしただけ。君が無事なら、それでいい」
迷いのない言葉。
でも、その迷いのなさに、私の心はさらに苦しくなる。
「よくない!」
自分でも驚くほどの大声。
「私のせいであなたが傷つくなんて、全然よくないッ!」
リンは不思議そうに私を見ている。
「王女になんてならなければ……
いいえ、私が王家の血を引いてなんかいなければよかったのに………」
それは、私が長い間欲していた“生きる意味”などなければよかったのに、と言っているのと同じのはずだった。
でも、何かが違った。
何かが、変わった。
と、ふいにリンがぎこちなく手を伸ばし、繊細な指で私の目元の涙を拭った。
背中の傷が痛むだろうに、それを感じさせないよう努めて無表情を装っている。
「よくそんなに涙がでるな……」
エメラルド色の瞳が一瞬、優しげに煌めいた。
「リン……」
痛みに耐えられなくなったのか、ずり落ちたリンの手を、私はとっさに握った。
リンの温かさが伝わってくる。
「…なぁ、お前さ……」
「え?」
「名前、なんていうんだ?」
私は息をのんだ。
この城に来てからというもの、私のことは皆″王女″としか認識せず、誰も私の名前など呼ぼうと…いや、知ろうともしなかった。
束の間止まっていた涙がまたぼろぼろとあふれだす。
「リン…」
「ん?」
「私ね、カノンっていうの……」
握ったリンの手に、かすかに力がこもった。
「カノン……」
かすれた声でリンが私の名を呼んだ、
その瞬間。
私はなぜか、それまでとは違った心苦しさを、感じたのだった……




