掌の中にある鍵
相方くんの話で、知らされる。
清酒さんが、私が思っていた以上に今回の職場異動を心待ちしていた事。それが叶わす激しく落胆していた事。その為に春は清酒さんが四月病と揶揄られる程、不機嫌モードの時期だったらしい。
それに加え猪口さんという存在が強烈だったようだ。
彼女は相当な問題児で、まず注意力散漫なのかミスが多い。何か作業をお願いしたら、ほぼ毎回の確率で何だかの不備がある。
それも『普通ここで間違えないだろう』という大胆過ぎる所でもミスしてくるとか。どこも気を抜くことが出来ずに念入りチェックの必要があり大変だとか。チェックするのに自分が零からその作業をする三倍時間が掛かる。
ミスを指摘しても『ゴメンナサ~イ』の一言ですまし、同じミスを平気で繰り返す。
傍若無人で、気儘過ぎる行動が目に余り、お客様からもクレームが出まくる。
トラブルしか起こさないトラブルメーカーとなっていたようだ。
そんな状況だったとは、清酒さんも相方くんも、大変だっただろう。
私は思わず相方くんの肩に手をやり、ポンポンと労るように叩く。相方くんは顔あげ私をすがるように情けない表情をする。
「すいません、こんな話をして」
私は首を横に振り、ニッコリ笑って見せる。
「気にしないで、外部の人だからこそ話し易い事もあるよね。
聞いてあげる事しか出来ないけど、私でよければ、いつでも話し相手になるよ」
相方くんはハッとした顔をして、照れたようにクシャっと笑う。
「ありがとうございます。
そしてごめんなさい。ちょっとみっともなかったですね。でも、煙草さんって何か話しがやすくてつい」
私は首を横に振り、気にしなくても良いからと笑う。
「あの、お詫びに今度何か食べに行きませんか? その時はこんな愚痴じゃなくて、楽しい話しで盛り上げますから!
いや煙草さんとは、もっとお話しする機会が欲しかったんですよ」
一生懸命という感じで、弱さを見せたのが恥ずかしさを隠してそう言う相方くんに私は頷く。
相方くんは、ホッとしたような嬉しそうな表情に戻る。でも何でだろうか? こういう感じで人に慕われて頼られるのって何か嬉しい。
同時になんか悲しい気持ちが心の奥底で感じるけれど、その理由がイマイチ分からなかった。
「社交辞令ではないですよ!
食事行くのはマジですから。
じゃあ、メアド交換してくれませんか? 連絡出来るように」
スマフォをボケットから取り出す相方くんに従って、私もスマフォを取りだす。
「なんだ、姿が見えないと思ったら。
相方、ここでナンパか?」
声がする方を見ると急騰室の入り口で清酒さんがニヤリと笑って立っていた。
「清酒さん! 清酒さんもいらしたんですね」
つい清酒さんの姿を見て、弾んでしまった声を後半落ちついたトーンに落とす。
一方相方くんはビクリと体を震わせる。そして、ゆっくりと振り返る。
「清酒さん、人聞き悪いですよ。俺はナンパなんて軽い気持ちじゃなくて……」
相方くんは、清酒さんを前に言葉を萎ませる。
清酒さんは、というと目を細めただけ。そんな恐い顔しているというわけでもないけど、確かに少し怖い空気を漂わせていた。
仕事中に私語で盛り上がっていた事で、ふざけていたと見られたのかもしれない。
「今日、相方くんは凄い大活躍だったんですよ!
本当に助かりました。レティーさんも、凄く誉めていましたよ」
そうフォローをしておく事にする。遊んでいたと誤解されたままだと可哀想だ。
「それは良かったです。
煙草さんも、コチラの会場のお仕事を手伝われていたのですね。
そういえば煙草さん、田邊さんが探していましたよ」
清酒さんは、柔かくニッコリ笑う。もう少し清酒さんと話をしたかったが、そう言われているとココで油を売っている訳にもいかない。戻る事にする。
「あ」
相方くんが声を出すが、清酒さんの視線で黙ってしまう。
「私もすぐにそちらにすぐ参りますから」
清酒さんにそう言われ、私は頭を下げてその場を後にした。
田邊さんの所に行く。イベントでの私の仕事の最終確認をしていたら清酒さんと相方くんが二人で近付いてきた。
「申し訳ありませんが相方は、所用が出来て離れます。私が代わりに引き継ぎますから」
清酒さんの言葉に、相方くんは申し訳なさそうに頭を下げる。
「最期まで、お付き合いしたかったのですが、申し訳ありません。本当に」
田邊さんはイヤイヤと笑い首を振り、相方くんにお礼を言う。それはそうだろう、本来なら関係ない筈なのに手伝ってくれていたから。
そして私の前に来て手を出してくるから手を出すとシッカリと握られる。
「今日は煙草さんとお会い出来て嬉しかったです。こんどはゆっくりお話ししましょう」
そう言い離れていく。レティーさんにも挨拶した後、鞄や上着等の荷物を置いてある控え室へと消えていった。
その日のイベントは、会場に来てもらったお客様に新作のお菓子を食べ比べ。そのチョコの感想のアンケートに答えてもらうというもの。
そのアンケート結果をウチの紙面にて発表する予定。カフェスタイルにしたのは、喜んでいるお客様の写真も記事に使う為のものである。
私の仕事は、カフェエプロンを着けて、席に座っているお客様にチョコと珈琲を配る。そしてお菓子の説明をしつつアンケートを促すという感じの仕事。
清酒さんは珈琲を手際よく淹れて用意する事。
コチラの手が足りないときは席にお客様をスムーズに案内もしてくれている。代わりにお菓子とチョコを配ってくれたりまでしている。
いつもと違って一緒に働いているという感じがなんか楽しかった。
それに上着を脱いでカフェエプロンという姿の清酒さんもなんて言うか決まってきて恰好よかった。
聞いてみると昔カフェでバイトしていたらしく、手際の良さもその経験が生きているとの事だった。
テンションを少し上げねばならないイベント仕事。しかしそれだけでなく、いつも以上に張り切って仕事をしている自分を感じていた。清酒さんと一緒に仕事をしていのが楽しいからだ。
三時間のイベントは無事終了し、集まったアンケートを纏めて箱にいれる。
会場を片付けていると、なんか文化祭の時の雰囲気を思い出す。こういうイベントの仕事は、通常の仕事とは違った楽しさがあるものである。
田邊さんはレティーの方とこの後さらに打ち合わせがあるらしく、私は先に会社に戻る事にする。
一緒に作業したレティーさんの広報部の方と田邊さんに挨拶して控え室に戻り上着を羽織り、鞄に手を伸ばす。
その時に私の鞄のポケットの所に不自然にはみ出るように出ている紙を見つける。
そこに紙なんて入れた記憶はない。
取り出すとマメゾンの相方くんの名刺で、手書きで彼のスマフォのアドレスと番号が書いてあった。さっき交換出来なかったから相方くんがここに入れていったのだろう。
私は、あの元気な相方くんの姿を思い出し、なんか笑ってしまった。
突然、私の手にあった名刺が消える。振り向くと清酒さんがその名刺を持っていて、苦笑していた。
「あ、清酒さん?」
手を伸ばして、名刺を返してもらおうとしたが、清酒さんはそれを自分のポケットにしまってしまった。
「編集部に戻るんだろ? 車だから送るよ」
清酒さんはそう言って私の背中に手をまわし促す。
「あの、名刺……」
『返して』、という言葉がニッコリとした笑顔で遮られる。
「浮気は駄目だよ」
私はその言葉に笑ってしまう。
「浮気って、そんな相方くんですよ。
仕事関係の人にそんな……」
しかし、その先の言葉は続けにくい。
清酒さんとも元来そういう関係だった事を思い出す。
「それに、相方くんもそういう意味でくれた訳じゃないですよ。清酒さんだって、そうでしょ?」
私の言葉に、「うーん」と清酒さんは軽く唸る。
「俺は最初はそういうつもりはなかったけど、こういう事になっている訳だし。
コレはアイツに返しておくね」
廊下を歩きながらそう話してくる清酒さんは、名刺を渡してくれる気はないらしい。
考えてみると、私が逆の立場だったとしても良い気はしないかもしれない。
「じゃあ、清酒さんがたまには相方くんと外で食事とかして、話を色々聞いてあげてやってくださいね。
彼も仕事していく上で悩みとかもあるでしょうから。そういうのを聞いて相談にのるのも上司の務めですよ!」
考えてみたら、相談は近くで状況を理解してくれてい人にしたほうが良い筈だ。
清酒さんにはいまいち伝わらなかったようで、不思議そうに見下ろしている。
しかし何故か笑いだし、私の頭をポンポン撫でて『そうする事にするよ』と言ってくれた。
マメゾンさんの営業車の助手席に乗り込んでいざ、出発か? という時に清酒さんが私の方を向いてくる。
「あのさ今日、夜一緒に食べない?」
私は悩む事なく元気に頷く。
「遅くはならないと思うけど、時間がチョット読めない所があるから、俺の部屋で待っててくれる?
ピザとか頼んでさ、気楽な感じで今日は楽しもう」
そう言いながらポケットからキーホルダーを取り出し、家の鍵だけを外し私に手渡す。なんか、この特別な意味を持つ金属の手触りが嬉しい。
「もしよければ、何か作って待ってようか? 私は多分そんなに遅くならないから」
私は掌の中の鍵のゴツゴツした感触を楽しみながらそう持ちかける。清酒さんの顔がパッと明るくなった。はやりピザとかではなく、ちゃんとした料理を食べさせてあげたい。お仕事が今大変なようだから。
「え! いいの? そいつは嬉しいな」
ストレートに喜んでいる感じの清酒さんに、私は照れながら俯いてしまう。
「大したものは出来ないけど、その方が安いし」
フフと笑い、清酒さんは車をスタートさせる。私は車に乗っている間中、掌でその鍵を握りしめ暖めていた。