バイブレーション
私は部屋に清酒さんを入れてから、ハッと慌てた。素早くプレゼントとケーキをテーブルの手前に置く。ケーキの箱に隠した缶チューハイの缶と焼き鳥の缶詰を手に取り、素早く冷蔵庫に隠した。清酒さんはその様子を驚いたように見ていたけれどクスクスと笑出す。誤魔化せてはいないようだ。
「座っていて! 今珈琲を入れるから」
私は照れを隠して強引に清酒さんを座らせ珈琲を用意することにする。
清酒さんが淹れてくれる方が美味しい珈琲が飲めるのは分かっていた。でも仕事を終えたばかりで清酒さんは疲れている。また先日清酒さんの部屋で教えて煎れ方を貰ったばかり。その成果を、見せるチャンスでもある。
お湯を沸かして一息つき清酒さんをみると、不思議そうにテーブルを囲んでいる縫いぐるみを見ていた。
突然過ぎる訪問に、その子らを隠すのを忘れていたのを思い出す。
一人で縫いぐるみ相手に呑んでいたというのは流石に恥ずかしい。清酒さんはその中からグレーの猫のぬいぐるみを、本物の猫を持ち上げるように抱き上げる。
「この子ら、どうしたの? 誕生日のプレゼント?」
清酒さんは猫のぬいぐるみを見つめ苦笑している。
「いえ、以前からいたことはいたの。清酒さんが来ているときはクローゼットの中で待機してもらって……」
清酒さんは首を傾ける。
「なんでそんな事、別に構わないのに。ぬいぐるみなら俺達を邪魔してこないから、いても気にしないのよ」
清酒さんは猫の縫いぐるみを見つめながらそんな事を言ってくる。私は沸いたお湯をそっと、セットした粉に落としていく。良い感じに膨らんできた。よし大丈夫そうだ。
「でも、子供っぽいと思われそうで」
淹れたばかりの珈琲の入ったマグカッブを二つテーブルに置く。
「そういう繕いは、逆に止めて欲しい。俺に対して変に無理されるのって、なんか嫌だから」
清酒さんは猫が好きなのか、気になるのか猫の縫いぐるみの顔をしげしげ見ていた。前足を持ちあげ肉球をつつく。それもそうだろう。
この会社の縫いぐるみは他の会社の縫いぐるみと構造からして違うのだ。布のパーツ数が異なり顔だけでも十数種類の型紙から出来ている。見れば見るほどその素晴らしさが分かるという品物なのだ。
「無理していたわけではないよ、ただ、少しでも清酒さんの前では、大人の女に見せたくて」
清酒さんは目を細めてニヤリと笑う。
「大人な事は分かっているよ。充分に」
清酒さんのエロバージョンの笑いに私はハハハと力のない笑いを返すしかない。普通に話をしていても、このように突然エロスイッチが入る事がある。
「それにしても、この縫いぐるみ凄いな。猫なんて、最初本物かと思った。君が欲しくなったのも良く分かるよ」
私が若干退いたのが分かったのか、表情を少し引き締め猫の縫いぐるみを振り私に渡す。
「でしょ! この会社はね、まず本物の動物のデッサンから始めるんだって! 細かくパーツ毎に生地も変えて本物の動物の風合いを出しているの。それだけにすべて一点一点手作りなの!」
この縫いぐるみの良さを褒めてくれた事が嬉しくて、私は縫いぐるみの説明を熱く語った。
清酒さんは楽しげにそれを馬鹿にしないで聞いてくれる。それを見ていると、つまらない所で変に繕っていた自分が馬鹿みたいだ。もっと他に頑張る所もあっただろうとも思う。
そして改めてささやかな誕生パーティーがスタートする。
箱からでてきたケーキは思わす声をあげてしまう程可愛かった。可憐な飴細工にフルーツとクリームで繊細に飾りつけられたケーキ。余りにも可愛くて切るのを躊躇うほどだった。
蝋燭に火をつけて吹き消して、ケーキを切らずにそのまま二人で突いて楽しむ。二人で楽しめるには十分なサイズ、清酒さんがいて良かったとも思った。
珈琲は清酒さんが淹れてくれたのには敵わないけれどなかなかの出来映えでそこにはホッとする。
流石に食べさせあいっこなんて恥ずかしい真似はしていない。でもブレゼントしてもらったネックレスを清酒さんにつけてもらい、そのまま抱き合いキスをする。ケーキを食べた後だけにキスはとても甘かった。互いの体温と感触をただ感じあう、そんな恋人らしい時間を楽しむ。
そんな事をしていると時間はあっという間に終電の時間も越えてしまう。半分故意であったかもしれない。
帰れなくなった清酒さんに申し訳ないという気持ちはある。でもそれ以上に、清酒さんが帰らないで一緒にいてくれるという喜びが大きい。
清酒さんをお風呂場に送り出し、清酒さんのスーツとシャツがシワにならないようにハンガーに掛ける。スーツを眺めながらニマニマしていた。
ブーブー
そんな時そのスーツから鈍い音が聞こえる。探ってみると携帯電話が入っている。それが鈍いバイブレーション音を発していた。
携帯電話は黒くて面白味のないやや古いデザインのもの。『営業47』と書かれたテプラが貼られている所から、会社から支給されている携帯電話なのだろう。
こんな時間に掛かってくるなんてただ事ではない。
私は鳴り続ける電話を持って風呂場に行こうとして足を止める。
液晶部分に『猪口麗子』の名前を見てしまったから。動揺してその携帯電話をスーツの胸ポケットに戻してしまう。
携帯電話が震えて鈍い音を立て続けるのを聞いていた。諦めたのか、音が止まり私はホッと胸をなでおろす。しかしそのままスーツの胸ポケットから目を離せない。
「俺のスーツを見つめ、何を考えているの?」
突然背後から話し掛けられてギクリとしてしまう。そして振り返り別の意味でビクリとする。
清酒さんが腰にタオルを巻いただけの格好で立っていたから。
急遽私の部屋に泊まる事になっただけに着替えもない。
私の服を着る訳にいかないから仕方がないのだが……。しかし……こうして正面から裸の清酒さんを落ち着いた状況で見るのは初めてかもしれない。
ジムに通っているようだけど、ムキムキというわけでなく程良く筋肉がついている。そんな身体を見ていると、改めて男性なのだなと感じてドキドキする。
私は恥ずかしくて目をそらしスーツに視線を戻した。そして電話の事を思い出し、モヤっとした嫌な気分が心の底に沸き起こるのを感じた。
「そんなに、照れられると、俺の方が恥ずかしくなるよ」
清酒さんは、私が動揺しているもう一つの原因に気がついてない。
私も『なんかスーツから音がしていたけど、もしかして会社から電話では?』と一言この時言えれば良かったのに言えなかった。
私は嫌な感情を心の奥にグイっと押しやり、笑顔を返す。
「清酒さんの着替えは、今後のためにも用意しとかないとね。そんな格好のままじゃ寒いよね、私の洋服でも何か羽織る?」
清酒さんは手を伸ばして私をすっと抱き寄せる。
「確かに着替えが置いてあると、もっと気兼ねなく泊まれていいかも。まあ今日はこのままで勘弁して。
でさ、湯冷めしないように暖めて、タバさん」
そう言いながら少し屈んで顔を近づけてくる。私は目を閉じてキスを受けながら、シャワーの後でシットリしている清酒さんの背中を抱きしめた。
ベッドに移動して清酒さんと愛し合ってから、抱き合って眠る。
朝五時半に起きて二人でアップルパイで朝食を楽しむ。
着替えに一旦家に寄る為早目に仕事に出る清酒さんを送り出した。もの凄く幸せで盛り上がった一夜だっであったが、一人になるとなんか溜息が出てくる。
私の頭の奧では、あのブーという携帯の震える音が蘇る。私はその音を振り払うように首を横に振った。