二万六千百十一五位の男
あまりにも唐突な言葉だったから、私は最初は深くも考えなかった。
「って、珍名が嫌で結婚して、珍名になったら意味ないじゃん」
言い返した後に、なんか清酒さんの言葉って少しプロポーズっぽい言葉だった事に気が付いた。そう考えてしまうと照れくさくなる。下を向きニョゴニョと意味もない言葉を続けるしかなくなる。
チラリと見上げると清酒さんは照れた様子もなく、平然とした様子で目を細めコチラを見ている。
「珍名が嫌なのではなくて、『煙草』が嫌なんだろ?」
清酒さんは静かにそう言葉を返してきた。私は一瞬悩む。もし私がもっと素敵な珍名だったら、ここまで嫌ではなかったのかもしれないと。
もっと美しい珍名だったらどうだったのだろうか? 寧ろ自慢げに使っていたかもしれない。
清酒さんは名前に纏わる珍エピソードはよく語っているが、私のように愚痴混じりな雰囲気ではない。それは清酒の方がカッコイイ珍名だから?
嫌……しかし……清酒も人にひけらかしたくなるような素敵な珍名とは言い難い。煙草と人に与える奇妙さはそう変わらないような気もしてくる。
「確かさ、煙草は苗字ランキングで三万一千七百十位くらい、清酒は二万六百五千位くらい。考えてみたら五千も順位があがるなんて素晴らしい状況だと思わない?」
ニヤニヤと笑っている清酒さんの本意が読めない。単なる冗談なのか? お付き合いを申し込まれているのか?
冷静に考えてみたら、清酒さん以外の人と普通に結婚したら三万くらいランクアップするのも楽勝。そこに気が付くべきなのだが、えらく具体的な数字を示されると変な説得力がある。
『そんなにもメジャーになれるんだ』と迂闊にも、素直に信じてしまった。この瞬間だけではあるが。
『煙草は良い所はまったくないが、清酒は百薬の長ともいうべき存在。そちらの方が偉い感じなのかな』とか、『実際清酒は美味しいよね?』
清酒からの連想でこないだ取材で飲んだ東北の清酒の事までも思い出す。
『あれは本当に美味しかったな~また飲んでみたい……』といった、どうでも良い事までを考えてしまう。
視線をあげるて、清酒さんが私を面白そうに見つめているのに気が付いた。
「良かったら、試飲してみない?」
ニッコリ笑って言ってくるその言葉に一人で慌ててしまう。ワタワタと動揺している私を見て、清酒さんはブブッと笑う。
「この珈琲の事を、言ったんだけどね。『春ブレンド』どうぞ。
まあそういう意味でもどうぞ。俺の方もついでに試飲してみる? ノンアルコール清酒でよければ」
清酒さんは、そう言いながらプラスチックカップに注いだ珈琲を私に差し出す。
「友達からって言葉はあるけれど、もう友達だよね。 だから次のステップに進まない?
『煙草』と『清酒』でより踏み込んだ大人な関係を築いてみるとか」
『ね?』と顔を傾け笑う清酒さんが、いつもより男っぽく見えてドキリとする。
狭い空間で二人っきりでいる事。相手を異性と認識してしまった事。お酒を飲んだかのように私の顔が熱くなるのを感じた。実際、頬がスゴク熱い。頬だけでなく、耳までが熱い気がする。
私は何か考えるより先に、大きくハッキリと頷いてしまった。頷いてから、なんか流れが想定外の方向に進んでいった事に気が付いた。目の前で清酒さんがニヤリと笑う。
私の頭をポンポンと撫で、『後で、メールするね。デートの打ち合わせもしないといけないしね!』とかいった事を言ってくる。
新作珈琲春ブレンドを他の人に振る舞う為に清酒さんは離れる。淹れたての珈琲の入ったガラス製のサーバーを手に編集部へと清酒さんは消えていった。
残された私は、一人給湯室で呆然と佇む。多分顔は赤いかもしれないが、頭は真っ白。そして心臓だけはドキドキ激しく動き身体はフリーズ状態。落ち着こうと、珈琲を一口飲んでみる。しかしコレが清酒さんが淹れてくれたモノだと思うと、逆に落ち着かなくなる。
どうしたら良いのか? 私は悩む。
清酒さんとお付き合いしてから結婚して、苗字ランキング二万六千百十一五位の苗字になってしまうのか? 私はブルブルと頭をふるが、何を振り払う為に頭を振ったのはよくわからなかった。
ちなみに、前話での後書きの問題の答えですが、『加藤さん』が十位になっています。予想通りだったでしょうか?
あと、シリーズ『君の名は?』の中に、『なんか、申し訳ありません』で清酒さんが主人公の、『二十歳を過ぎて、煙草を覚える』において煙草さんが主人公の短編がございます。もし二人の日常をもう少し読みたい方はどうぞ!