私の場所
金曜日の夜、私はいつもより大きな荷物を抱え会社を出る。今日はアパートではなく、かつて私が『家』と呼んでいた実家に帰る為だ。
私の実家は静岡県にある。大学も会社も通えない事はない。私は憧れの一人暮らしを体験するために、東京での生活を選択した。
一旦家を出てしまうと自由が楽しくて、忙しいというのを理由に正月くらいしか戻っていない。
電話で母親とは散々話している事もある。あえて顔あわせて話す必要性も感じず、帰るのが面倒だったから。
電車を降り乗り換えて実家のある駅に着いた時は、景色は真っ暗。
東京を出た時にはもう日が既に沈んでいた。しかし東京は色々な人工的な明かりが多く夜でも暗いとは感じない。しかし静岡県の観光地からちょっぴり外れたこの場所は、真面目に日が暮れて夜は夜らしくなる。
人の生活している明かりのみが灯る。歩いていくと見慣れた家が暖かな明かりを放って私を出迎えていた。その家の玄関を私は思いっきり開ける。
「ただいま~」
正月から三ヶ月。一人暮らしをずっとしていると、この言葉がなんだかくすぐったい。
「おかえりなさい! 寒かったでしょ?」
すぐに母の声が迎えてくれた。奧からスリッパのパタパタとした音とともに母がニコニコした顔で現れる。
そのニコニコ顔につられるように私もつい笑顔になる。
慣れた廊下を通って、リビングにいくと新聞を読んでいた父がいた。コチラをみて『おかえり』と言い優しく笑ってくる。いつまでも変わらない家の様子になんだかホッとする。
「さあ、コレでも飲んで暖まりなさい」
母が私の前にマグカップに入ったココアを置く。
「あれ? 姉貴やっと帰ってきたんだ。おかえり」
お風呂から出てきた弟の平和(ピースではない)が髪の毛をタオルで拭きながらリビングにやってくる。ふと弟が牛柄の寝間着を着ているのに、唖然とする。しかもフードがついていて被ると牛の着ぐるみみたいになるらしい。大学生になる男がこんな寝間着を着るものなのだろうか? 少なくとも清酒さんは絶対着ないと思う。
「あ、ココア飲んでいるんだ、いいな~俺も欲しい」
これがいつもの事なのだろう。父も母もそんな弟の恰好を突っ込まず、弟は私の手元をみてニコニコと母へと笑いかける。
「自分でいれなさい! ポットにお湯あるわよ」
ちょっぴり特別扱いになっている事で、私はこの家で少しだけお客様になっている事を感じる。
実際私が青春時代を過ごした日当たりの良い部屋。今では弟が使い、弟の部屋は物置かわりになっている。私の部屋はもうこの家にはない。
実家も私抜きの状況がすっかり日常となっている。良い意味で親離れ子離れしたというべき。
他愛ない会話を楽しみ、下宿より若干広めのお風呂に入る。仏間のお客様用ふとんの上で一人になり大きく深呼吸していた。
『ただいま』と言って答えてくれる家族はいるけれど、ここには私の場所はもうない。かといって私の城である下宿には『ただいま』といっても答えてくれる人がいない。その事に少し寂しさを感じてしまう自分もいる。
一人になって思い出すのは清酒さんの事。ここ二週間程、突然『恋人?』という事になり、そのまま存在感バリバリで私の生活に入り込んできた。正直戸惑っている部分の方が強い。
今回の帰省、清酒さんは『あら、残念』という感じの事を言ってきてくれた。今週は同窓会の為に会えないという状況に少し助けられたと思っている。スマフォをいじくりFourspaceをみてみた。
清酒さんは仕事を九時くらいに終え、そのあと近所の定食屋さんで晩ご飯を食べて、本やに寄っている。ということは今頃、家で買った本を読んでいるのかもしれない。
つい、通話ボタンを押しそうになり止めた。何をこの状況で話せば良いというのだろうか? 無事実家に着いた事? 弟が凄い寝間着を着ていた事?
私は首を横にふりスマフォを充電状態にしてそのままふとんの中に入った。