13番スクリーン
リバイバル映画は、一人で観るに限る。
鑑賞に集中できるから? 泣くも笑うも自由だから?
それもある。
けれど、それだけじゃない。
想い出とセットだから。
だって、そうじゃないか。
あの娘と観たラブロマンス。
奴等と行ったアクション。
親が連れて行ってくれたアニメ。
どれも面白かったけど、映画館の椅子に座っていた時間は、
映画の想い出のほんの一部なんだ。
あの娘に会う為に服装や髪型を工夫した準備。
奴等の中には必ず遅刻する奴がいた待ち合わせ。
家族と作品の感想をぶつけ合った食事。
これらの記憶と共に、映画は想い出になる。
ふと過ぎった知人の顔が、昔に観たシーンと重なることがあったり、
たまたま耳にした古いタイトルが、妙に甘酸っぱく感じられたり。
これらは、想い出に裏づけられた僕だけの感覚なんだ。
僕には今、想い出を語らう仲間がいない。
東京に転勤になったのは、2年前のこと。
家族も古い友人も、そして彼女も地元に置いて、一人で移り住んだ。
世知辛さ、
それを是とする職場の人間達。彼らと過ごす、目まぐるしい毎日。
疲弊していく心と体に拠り所が欲しくて、家を買った。
頭金には、彼女との将来に向けて細々と貯めていた結婚資金を充てた。
用途は違っても、お金には価値がある。
そして、気の遠くなるようなローンとともに我が家を得た訳だ。
新興の開発地区、先端企業が入居する高層ビル、
その向かいに建つ、大規模マンションの一室。
日当たりもいいし、最先端の設備を誇る新築分譲だ。
僕は、3つもある部屋に空気だけを住まわせ、返事もないのに、
「行ってきます」
と声を掛けて会社に向かう。今日だって、そんないつもの朝だった。
徒歩5分が公称の最寄り駅までは、
エレベータや信号の待ち時間等を含めて、10分をみておく。
僕は普段通りの時間に、歩道を埋めるサラリーマンの列に合流し、
黙々と駅を目指していた。
午前中の清々しさとは程遠い雰囲気。
眉間の皺も深くなるってもんだ。
そんな僕の目が、いつもと違う景色を捉えた。
珍しく、チラシを配っている女性がいたんだ。歳の頃は二十代中頃か。
「新規オープンです! 特別価格ですから、是非!」
ティッシュでなければ無視する質の僕だけど、
自然にチラシを受け取っていた。
その女性のミニスカートに惹かれたからなのか、
地元に置いてきた元カノに似ていたからなのか。
“リバイバル専門スクリーン登場!
懐かしの名作、不朽の傑作を今一度お楽しみください!”
どうやら、駅の近くに併設された巨大なショッピングモール。
その中のシネコンが、新しい試みを始めたようだ。
「帰りに寄ってみるかな。」
今週のリバイバルは、元カノと初めて観た映画。
豪華客船が沈んでいく描写も去ることながら、
主人公の階級を超えた恋物語は、僕達を感動させたものだった。
懐かしさを胸に、僕は会社に向かった
「失敗したら、戻って来る場所は無いと思え。」
は? と問い返すことも許されない。
「最善を尽くします。」
こういうやり取りから始まった、今の僕の仕事。
先月のことだ。僕は嵌められたんだと思う。
誰が担当したって、上手くいくはずがない。
無茶苦茶な計画を建てた連中は、知らぬ存ぜぬを決め込み、
全ては僕の責任になる。
上層部の面子と、営業畑の癒着。
組織の伝統と企業の格式。
こういったモノを守る為に、時として“生贄”が求められることがある。
決して比喩ではなく、文字通りの意味として。
これを“人柱”と言おうが、“殉教者”と書こうが、
一人の人間が、その人生を棒に振ることに変りはない。
「こんな馬鹿な話があるか!」
僕の声は虚しく響くばかりで、誰の耳にも届かなかった。
これまでの僕が、同じ境遇に陥った誰かの悲鳴を無視し続けてきたように。
こうなると、誰もが僕を避ける。
会社での僕は、誰とも話すことなく、ただ黙々と
最後通牒を受け取る“その日”を、
待つ日々を送ることになった。
今日も同じだ。
入り口ですれ違った元上司は、哀れみを目に浮かべるが、
まるで僕自身が病原菌のように、逃げて行った。
休憩室にコーヒーを買いに行くと、ブレイク中のOL達は、
追い立てられたように立ち去った。その時の目は……。
そうだ。公園の歩道で、踏み潰されたミミズを見る目だ。
ゴキブリではないが、蝶でもない。
害もないが美しくもなく、ただおぞましいだけの存在。
耐え難い状況。
だからと言って、僕に何ができる?
意気消沈した僕は、無言のままで家路につく。
そして、今朝受け取ったチラシに導かれて、シネコンに足を運んだ。
受付の横に、今朝の女性が立っていた。
改めて思う。
本当に元カノに似ている。
「リバイバル・スクリーンは、こちらでチケットをお求めください。」
売り場や入り口からして違うらしい。
何か、会社での僕の境遇みたいだ。
ま、いいか、
と独り言を言いながら、チラシを片手に近寄っていくと、
今朝の女性が笑顔で迎えてくれた。
「来てくださったんですね、ありがとうございます!」
僕のことを覚えていた? まさか。
自分の手に、今朝彼女から受け取ったチラシを持っていたことを思い出し、
そういうことか、
と思いつつも、嬉しい気持ちになった僕は、
久し振りの笑顔を浮かべながらチケットを買った。
「13番スクリーンにどうぞ。」
懐かしい映画を観て、元カノと過ごした頃の気持ちが蘇った。
あの頃の僕は、まさに前途洋々。
未来に夢を抱き、恐れるものも無く、
充実した日々を送っていた。
今の状況なんか、想像することすら無く。
映画の感動と、現状の悔しさで流れ出た涙を拭き取り、
僕は劇場を後にした。
「また、いらしてくださいね。」
予想外に掛けられた声。
他の人に?
でも、今朝の彼女は、僕に微笑んでいた。
「あ、はい。」
頬が赤らむのを感じた。
僕は、ここに通うんだろう。
彼女に会いに。
その通りになった。
僕は、毎週火曜日に、13番スクリーンに通いつめている。
週代わりで上映される作品は、想い出満載のものばかり。
それを楽しむというのは、半ばの理由。
残りの半ばは、彼女に会う為に通っている。
「SFもご覧になるんですね?」
「ええ。この作品は秀作ですから。腹を食い破って出て来るあのシーンは、
強烈ですよね。」
「あ、やめてください。私、苦手なんです。そういうの……」
「ゴメンなさい! つい……」
こんな会話ができるようになった。
暗闇しかないと思っていた僕の人生に、光が差している。
「来週も来られますか?」
「ええ、そのつもりです。」
「いい作品ですよ、来週のも。私、この映画が大好きなんです。」
僕も観たことがあった。家族で観たんだっけ。
UFOの形をした宇宙人と、先細りの人生を歩む人間。
ニューヨークの片隅で繰り広げられる、両者の心温まる物語。
そうだ。僕も大好きな映画だ。忘れていた。
こんなにいい話を忘れるなんて、勿体無いことをしたもんだ。
翌日、会社の会議室で、僕は叱られていた。
どうしようもない仕事を押し付けて、
それがどうしようもない状態になったからといって、
怒ってもしょうがないじゃないですか。
そんな本音を飲み込んで、僕はひたすら我慢するばかり。
次の日も、その次の日も、叱られた。
勘弁してくれよ。
「どうでしたか?」
「やっぱり、いい話ですね。物語を優しさが満たしている感じで、
改めて感動しました。」
「そうでしょう!」
はじけるような笑顔が、とても眩しい。
僕は恋してしまったのだろうか?
だが、僕の先の知れた未来。
彼女を口説くことは、絶望的に思えた。
「来週のは、悲しい話ですね。」
恋人を病気で失う物語だ。
日本中のカップルが涙したという名作。
「きっと僕は、泣いちゃいますね。」
「泣いちゃってください。」
どうしてこの女性は、こんなにも可愛いのだろう?
最初は元カノに似ていると思った女性。
ところが、彼女は僕の中で、新たな特別な存在になっていた。
何とか、この人を誘い出せないものだろうか。
この翌日から、事態が少しずつ変化し始めた。
「それでいいんだよ。その調子で頼むぞ。」
今の上司の言葉である。
僕ははじめ、何のことか分からなかった。
でも、空気が変わってきたのを感じる。
帰ろうとした僕に、「お疲れ」と声を掛けてくる同僚や、
「いつもブラックなんですね」と
コーヒーを買う僕に話しかける事務の女性。
何だ? よく分からなかったけど、
こういう変化が、僕に勇気を与えた。
「号泣でしたね。ダメですよ、この物語は。」
「私も、思い出しただけで泣けてきます。」
そこで僕は、あらん限りの勇気を振り絞って、
彼女を誘ってみることにした。練習に1週間もかけたのに、
はじめから声が裏返っていたけど、躊躇している場合ではない。
「良かったら今度、食事にご一緒いただけませんか?」
美しい彼女の眼が、大きく見開かれていった。
ダメなんだろうか?
「それは、どういうお誘いなんでしょう?」
「ムリならいいんです。すみません。また来ます。」
慌てて立ち去る僕の背中に、彼女が囁いた。
「もう大丈夫ですね。諦めないで。」
僕は、振り返ることもできなかった。
恥ずかしいやら、みっともないやら。
でも、後悔はしていない。
気持ちをぶつけて、何が悪い。
「よし、もう軌道に乗ったと見て良さそうだな。お疲れさん。」
翌日、僕の仕事が思わぬ展開を見せた。
上手くいき始めたのだ。
何で?
考えてみる。
その時、彼女の声が聞こえた気がした。
“あなたが頑張ったからですよ。”
そうなのだろうか?
何にせよ、諦めずに続けてみるもんだ。
次の火曜日、13番スクリーンは無くなっていた。
あれ以来、彼女と会うことはできていない。
ネットで探してみても、近所のシネコンには、
12スクリーンしか無いと出ている。
では、僕が通ったあの映画館は何だったのだろう?
幻?
きっと、そうなのかもしれない。
僕を救う為に現れた幻影。
妄想かもしれないけど、そんな気がしている。
きっと彼女は、困った人、追い詰められた人。
そんな人々の心に現われるんだろう。
映画とともに刻まれた想い出。
それを軸とした、未来に目を向けさせる為に。
おわり。