影
……何分歩いただろうか。かれこれ数十分歩いた気がする。そして、ようやく今の状況がヤバイと分かった。辺りは昼だというのに真っ暗で、夜と大差ない状態になっていた。別に突然暗くなったわけではない。気づかないほどゆっくりと暗くなっていった。だからこそ、奥に来過ぎたのだ。俺は急いで反転して、来た道を戻り始めた。
「……………………」
しかし、一向に明るくなる気配などない。……いや、むしろ暗くなっている気がする。どうしよう。今どの辺りだろうか?このまま奥に進めば帰れるだろうか?ここは島だ。真っ直ぐ行けば、いつかは海に出る。そこから太陽で方角を確認して帰るか?
≪ガサッ!≫
「!」
突然、何か音がした。茂みが揺れる音。誰かいる!?いや、もしかしたら動物かもしれない。……けど、なんでこんな所に?しかし、俺は慌てて辺りを見渡すが、どこにも何もない。いるけど暗くて何も見えないだけかもしれないが、見たところ誰もいない。俺は警戒したままさっきまで向いていた方角へゆっくり体をむき直すと
「わあ!」
そこには何かがいた。暗闇の中、更に黒い何かの影。俺は驚きの余り座り込もうとしてしまうのを堪えた。しかし、膝は震え、一歩も動けなくなってしまう。辺りは暗いのに、更に黒い色で存在し、はっきりと認識できる。明らかにおかしい。少なくとも、普通の色ではない。いや、色ですらないとも思えるほどだ。その黒い影はその場でユラユラ揺れているだけで、害を与えてはこない。膝の震えは止まらないものの、ほんの少しだけ、考える余裕は出てきた。あれはなんなのだろうか?この世界は俺の世界とは違う。魔法や霊体などがあってもおかしくない。そもそも、ソフィア……夏海の力だって、俺の常識では考えられない力だ。俺は警戒しながら、震える足で少しずつ下がる。アレがなんなのかは知らないが、あまり関わりになりたくない。元々ホラーが苦手な俺には精神的に毒だ。
その影は全く動かなかった。俺が後ろに下がっているのに気づいているのか、そもそも俺に気づいているのかさえ分からないが、全く動かなかった。
……いや、動かなかったはずだった。
しかし、影の大きさは変わっていなかった。大きくなることも、小さくなることもなかった。まるで俺が動いていないかのように。
俺は下がり続ける。しかし、状況は変わらない。俺の下がる速さは早くなる。……けど、何も変わらない。
しかし、変化は突然起こった。
影が……大きくなる。小さかった影。点とは言わないまでも、何の影だか分からないほどの小さな影がどんどん大きくなる。それは人の影のようだった。丸い頭の影に胴体のような影。そして4本の太い棒状の影。もしかしたら人ではないかもしれない。けれど、俺の頭に人以外でこの影と重なるものはない。俺は余計に怖くなり、ついには動けなくなった。例えば人の影だとして、なぜ影が暗闇ではっきりと見える?例えば人の影ではなかったとしたら、あれはなんだ?答えの出ない問いが頭を巡る。その間にも影はどんどん近づく。
ついには目の前にまで来た。影の大きさは俺よりも少し低いぐらいの大きさ。横に長いわけでもなく、逆に細すぎるぐらいだった。影は俺の方を見た。……いや、見たように見えた。見上げたのかどうかすら分からなかった。ただ、ほんの少し影が動き、見上げたような気がした。少しの間、俺と影は見つめ合っていた。目の見えない黒い影。俺は頭が恐怖でいっぱいになりながらも、なんとか逃げる方法を考えていた。頭の中で決して逃げられないと思いながらも、考えた。
そして、俺の考えが出るまでに行動を起こしたのも、影だった。影は俺の脇を通り過ぎると、そのまま歩いていく。危機は去った。頭の中でそう思った。あの影に害はない。俺はホッと息をつき、倒れこみそうになった瞬間――
≪ビクッ!≫
体が跳ねた。理由は分からなかったが、元凶は分かった。歩き去って行っていたはずの影が立ち止まり、こちらを見ている。さっきはなかった悪寒に似た感覚。あんなに近くで見たときは正体不明のものに対する恐怖しか感じなかったのに、それより遠くに離れた状態で見つめられただけで悪寒に似た感覚を感じる。自然と歯がぶつかり、カチカチと鳴る。そうこうしている間に影は手を伸ばしてくる。届くはずはない。自分からから……影から離れたのだから。けど、今の俺にとっては、どれだけ離れていても届くような気がした。影は手の形をした影を肩辺りまで上げると、停止した。もしそれが人なら、まるで助けを求めているような仕草。しかし、俺は近づかなかった。単純に怖かった。俺はそのまま後退しようとして――
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛」
影が呻いた。その声は苦しげで、何かを求めるようだった。俺は後退しようと後ろへだした足が止まった。影に口などない。けれど、その呻き声は影が出したとしか思えなかった。俺は知らず知らずに足を前に出していた。罠かもしれない。この世界では何があるか分からない。……けれど、苦しんでいるのを見捨てられなかった。あの日、夏海を見捨ててしまった日から、もう二度と自分の前で誰かが苦しんでいるのを見たくなかった。あいかわらず足は震えていたが、自分から影に近づいた。
「ど、どうしたんだ?な……なんでそんなに苦しそうなんだ?」
恐怖で震えてうまく言葉が喋れない。けれど、震える口でなんとか喋った。
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛」
しかし、影は呻くだけで、依然と手を差し伸べてくる。俺は躊躇った。もし掴めば、いきなりどこかへ引きづり込まれるかもしれない。
……けど、俺は掴んだ。
やっぱり見捨てておけなかった。例え相手が正体不明のものでも、見捨てられなかった。掴んだ瞬間、景色が消えた。……いや、正確には、闇が消えた。目の前がグニャッと歪んだかと思うと、暗闇が吸い込まれるように消えていった。俺は突然明るくなった光景に目が開けられなくなった。