森
最後に見た影は朦朧とした意識が生み出した幻覚なのか、それとも本物の影だったのかは分からない。……けど、気がついたときには俺は木を背に座らされ、腹の傷は跡形もなく消えていた。俺は立ち上がると、辺りを見渡してみる。近くには俺が殺したと思われるライオンの死体が1つだけあったが、腰に戻っていた刀を鞘から抜くと、刀には血の跡は残っていなかった。一体、何が起きたのか分からない。体にも刀にも何1つなんの後も無い。これじゃあ、俺がライオンを殺したのだって疑わしい。……けど、現にライオンの死体はある。近寄ってみても寝ているとは思えないほどだった。ライオンの周りには黒くなった、血と思われる塊も大量にある。俺はこれ以上ここにいても意味がないと判断し、歩き出した。腹を噛まれたわりには体の調子はよく、余計にさっきまでのことが嘘のように思えた。
歩き出して数十分、視線の奥に大きな塊が見えた。遠くから見れば岩のようにも見えたが、色は茶色で明らかに岩ではない。俺はなるべく音をたてないようにゆっくり近寄ると、次第にそれが何なのかが分かってきた。それはクマだった。ただ、大きすぎるクマ。さっきのライオンなど、まだ実在するだけ怖さは小さかったのかもしれない。……けど、このクマは大きすぎる。6メートルほどあろうその巨大なクマが横になっていた。俺は刀を構えることも忘れ、そのクマを眺める。数秒後、俺はこの状況の不味さに気がつき、すぐに音をたてないようにクマから離れる。今は寝ているようだが、起きたらヤバイ。俺はゆっくり離れ、迂回する形でクマをやり過ごす。……が、クマの様子がおかしかった。さっきから、全く動かないのだ。俺はすぐ逃げられるように構えながらも、ソロソロと近寄る。そして、近くに来てようやくそのわけが分かった。このクマは死んでいる。口から血を吐き、片方の目は潰されていた。ザッと見ても外傷らしい外傷はなく、このクマを殺った人を思うとゾッとした。おそらく、残り3人のうちの誰かなのだろう。動物同士の殺し合いでこんな殺し方はしないだろう。いや、できないだろう。……けど、明らかに普通の人間のできる戦闘でもない。改めて、あの3人は異常者だと思った。俺はクマから離れ、再び島の中心へ歩き出した。それからも何度も死体があった。それは、誰か少なくとも1人はここを通っているということだ。歩けば歩くほど、死体と死体の距離が狭くなっていく。
そして数時間ほど、休みを入れながら歩いていると、突然、銃声と雄たけびのようなものが聞こえた。俺はすぐに刀を抜くと、音のした方へ走り出した。数秒後――
≪バキバキバキバキ!≫
木が倒れてきた。俺は咄嗟に後ろに飛び、その木を避ける。幸い倒れてきた木は後ろに飛ばなくても当たらない軌道だったので平気だったが、倒れた際に起きる風に吹き飛ばされそうになる。俺はそれをなんとか堪えると、目を開ける。すると、そこにはなんと大蛇がいた。それも、さっきの巨大なクマの2、3倍はあろうかというほどの巨大さだった。……が、突然、蛇は横に倒れる。俺はそれを呆然と見ているしかなかった。……しかし、蛇が倒れると、誰かが歩く音がした。俺は放心状態から覚め、その足跡の方へ走った。すると、そこには見知った顔の人がいた。
「ヴィンセント!」
「……なんや、ライかいな」
俺が声をかけるとヴィンセントは一瞬、人でも殺しそうな目をこちらへ顔を向けたが、相手が俺だと分かると途端に今までのニヤニヤ顔に戻り、そう言った。
「生きとったんやな、ライ」
「ああ」
ヴィンセントはやはりニヤニヤしたままで、俺が生きていることが嬉しいのか、悲しいのか、それとももっと別のことを考えているのか分からなかった
「他の2人は?」
「さぁなぁ。ま、こういうのもなんやけど、あんさんが生きとんなら生きとるやろ」
確かにそうだろう。ここまでいくつも死体があったが、それを全部ヴィンセントが殺ったなら、他の2人も余裕で生きているだろう。
「……さて。ここで会ったのも何かの縁やろうし、どうせ目指す方向は一緒なんやろ?一緒に行こか」
それは俺にとっては願ってもない提案だったので、すぐに頷いた。俺達は無言で歩いた。ヴィンセントの足取りは速く、まるでここがデコボコな森の中ではなく、平地とさえ思えるほど軽かった。俺はそれに一生懸命付いていくと、数分もたたないうちに、森の奥の方から光が漏れていた。
「……どうやら、森は終わりみたいやな」
ヴィンセントはそう呟いた。その光に近づくにつれ、俺にもその光がなんなのかが分かってきた。それは太陽の光であり、ヴィンセントの言ったように森の終わりだった。森を抜けると、そこの先には予想外の光景が待っていた。そこには昔のような藁で作った家がいくつもあった。俺は予想外の光景に呆然としていたが、ヴィンセントは驚くことも警戒することもなく、歩き出す。民家は密集しているとは言えないが、そこそこ民家と民家の距離は近く、それらの多くの民家を囲むように、大きな鉄の柵が立てられていた。まるでバリケードのように。その柵には入り口のように開くドアがあったが、そこには鍵など付いておらず、簡単に入れた。……が、鍵を開けて中に入った瞬間、ヴィンセントは突然、腰から銃を抜くと1つの民家に向けて撃った
≪ダンッ!≫
銃声は1つ。だけど、弾は2丁から放たれた。ヴィンセントからはニヤニヤ顔が消え、さっきのような殺意を持った目をし、撃ってもまだ銃を構えたまま、静止していた。正直、俺には何があったのか分からなかった。……けど、それはすぐに分かった
「慌てないでください」
若い男性の声とともに、ヴィンセントが撃った民家の中から男が出てきた。身長は低く、遠めからでも分かるほどの童顔。そして、その顔は撃たれたにも関わらずニコニコしており、『やさ男』という言葉がそのまま当てはまるような男だった。ただ1点…………背中に長い棒のような物を背負っていなければ。
男はゆっくり歩きながら俺達の方へ近寄ってくる。その間にもヴィンセントは銃を向けたままにし、俺も自然と刀を抜く。しかし、男は気にした様子もなく近づいてくる。男が近づくにつれ、背負っているものがなんなのかが分かってきた。それはライフルだった。……ただ、ライフルの先には刃が付いていた。ガンブレードという、剣としても銃としても使える武器がゲームではあるけど、そのライフル版。
「ようこそ。そして初めまして。僕の名前はピコルと言います」
ピコルと名乗った男は近くまで来ると立ち止まり、そう名乗った。距離はおそらく10メートルほど。俺はいつでも行動できるようによりいっそう、警戒する
「そんなにも警戒しないでください」
しかし、やはり素人の俺の行動などお見通しなのか、ピコルは優しくそう言った。けど、その言葉から『警戒しても無駄』という感じのことは感じ取れず、むしろ『今は何もしない』とさえ言っているように聞こえた。
「……警戒するなって言っても、お前は敵なんだろ?」
「はい、そうです」
ピコルは躊躇うことなく、そして、表情を崩さないまま、そう言った。
「なら、警戒して当然だろ?」
「そうですね。これは失礼しました。しかし、僕達には僕達のルールがあります。なので、僕はまだ貴方達を攻撃するわけにはいかないのです」
「ルール……やと……?」
ずっと警戒したままだったヴィンセントが聞き返すほど、意外な言葉だった。それは当然だろう。攻撃するのにルールなど必要ない。だから、そんな甘いことを言うとは思わなかったのだろう
「ルールってのはどういうことや」
「質問に関しましては残りのクリス様、アラン様の死亡の報せ、または到着された際に説明致します。なので、今はごゆっくりお寛ぎください」
ピコルは未だにニコニコしたまま、俺達に近くにある木製の椅子に座ることを勧めた。俺はどうしたらいいのか迷ったが、ヴィンセントが舌打ちをしながらも椅子に腰をかけたのを見ると、俺も椅子に座った。ピコルはその行動に満足したのか、こちらを見るのを止め、俺達の入ってきた入り口を見つめ始めた。




